第60話 商人パルフィー
「できた。これで……うん、ぴったり」
オークの左腕を焼いたエストは、食後の楽しみに取っていた被り物の調整を完了させた。
肉と骨が取り除かれ、眼窩から覗く瞳は澄んだ蒼をしている。臭いは僅かにあるものの、すぐに慣れてしまった。
世にも奇妙なオーク面の少年という姿を手にしたエストは、凍ったオークを引き摺りながら南へ進む。
「やっぱり夏は人が少ないね。馬車すら見てないもん。みんなダンジョンで魔石集めしてるんだろうな」
肉が腐りやすいため活動する商人も少なく、脱水症状に苦しみやすい冒険者はダンジョンに篭もる。
今の時期こそ水の適性を持つ魔術師が活躍できるが、魔術師は運動が苦手な者が多く、ダンジョン組に属している。
今のエストは、肩に乗った鳥が話し相手だ。
思ったことを口にするエストに、鳥が適度に鳴いている。
「今更だけど、オークを引き摺った跡が凄いね。馬車が嵌ったら大変だし、戻しておこうか」
魔力感知を広げて引き摺り始めた位置まで狙いを定めると、杖先を振って
常時2つの上級魔術を使っている上に、簡単な部類とはいえ土の上級魔術を発動させられる魔術師は、この世に何人居るのか。
そんなことを考えすらしないエストは、臭みが少なかったオーク肉の味を思い出し、軽い足取りで進んで行く。
「ねぇ鳥さん、僕ね、楽器に興味があるんだ」
『ピッ!』
「この前魔道書を読んでたらさ、角笛で魔物を追い払う実験報告があったんだ。色んな角笛で検証されてたんだけど、面白いのが────っ!」
前方に複数のゴブリンと人間の魔力を感知した。
撒き散らされた魔力の残滓から、襲われていると判断したエストは全力で走った。
引き摺ったオークが大きな溝を残していく。
「人を襲って楽しい?」
冷たく言い放つと、馬車から引きずり出された獣人の男性を襲うゴブリンが、エストの方へ振り返る。
馬車に乗り込んだゴブリンを含めて、相手は6体。
群れによる強さを得た魔物は、エストの後ろにある凍ったオークを見て涎を撒き散らす。
「僕はね、魔物を襲って楽しいよ」
杖を地面に突くと、獣人の足元に黄金の魔法陣が現れた。男はゴブリンの爪でかなりの重症を負っていたが、魔法陣が輝いた瞬間に傷が塞がった。
「治癒って万能じゃないんだよね。傷を治すのにも栄養が要るからさ。まったく……僕のオークが少し減っちゃうなぁ」
残念そうに杖先をゴブリンに向けると、糸のように細い
外傷も無く倒れたのを見て、5体のゴブリンは奇声を上げながらエストに襲いかかる。
「この肉は渡さないよ」
魔力の節約をするため、杖を槍のように構えたエストは、突っ込んできたゴブリンの胸を穿ち、横に薙ぎ払う。
残り4体。逃げる判断を下される前に、ぶっ飛ばした2体には
「凍ったオークを見て逃げたらよかったのに」
残った2体が別れて逃げようとしたので、片方には杖を投げて心臓を貫き、もう片方に向かって全力で走る。
追いついたと同時に蹴り飛ばすと、腰に差したナイフを抜いて、首を切った。
「おしまい。でも、こんなんじゃミツキには勝てないね。もっと鍛えて強くならないと」
右耳と眼球を回収すると、死体を焼きながらどうするべきか考える。
馬車を引く馬は殺されており、御者の獣人は気絶している。光魔術で治癒はしたものの、いつ目を覚ますか分からない。
とりあえず馬はハエが集る前に凍らせ、オークと同じ氷の紐で繋げると、荒らされた馬車の中に獣人を乗せた。
『ピッ!』
「放置はしないよ。見てて」
馬車自体が動くことを確認すると、エストは
見たことのある動物は完璧に近い再現度を誇るため、土の馬はゆっくりと馬車を引いて歩き始めた。
オーク面の少年と、御者の居ない馬車という、何ともシュールな光景になってしまった。
「……う、うぅ……私は……」
「起きた。痛むところはある?」
「え? ──ぎゃあああああああっ!!!!!」
しばらく歩いていると男が目を覚ました。
エストが馬を止めて話しかけたところ、その頭を見た途端に絶叫し、また気を失ってしまった。
「え〜……カッコイイと思ったのに……」
『ピィ……』
仕方なく被り物を外したエストに、鳥はやれやれと言わんばかりに首を振る。
ゴブリンに襲われ、目が覚めたらオークが話しかけてきたのだ。いかに魔物に慣れていようと、その異様さにショックを受けるのは当然だった。
そうして森を歩き続けていると、日も傾き始めたので野営をすることにした。
乾いた枝を拾い集めて火を起こし、食事の準備を始める。獣人を火の近くに移動させ、氷の枕に寝かせた。
オークの右足を切り分けていると、ようやく男が目を覚ました。
「……酷い夢を見ました……あれ?」
「おはよう。痛むところはある?」
「いえ……ありません。え? どうして?」
血溜まりが出来るほど出血していたのに、痛みを感じていないことに困惑する。
裂けた服に付着した血から、襲われていたことの証明はできる。ただ、体の傷が完全に消えていたために、混乱から覚めない。
「ゴブリンは僕が倒した。傷も僕が治した」
「本当ですか!? あ、ありがとうございます!」
茶色い犬の耳を生やした男は、深く頭を下げた。
土のフライパンで肉を焼いているエストは、適当に頷いて返す。
オークの肉は焼きすぎると信じられないくらい固くなるため、ちゃんと返事をする余裕がないのだ。
「──ここっ! ……うん、完璧」
香ばしい肉の香りが広がると、男の腹がぐ〜っと鳴った。
質の良いオークの獣脂で焼いた肉は、例えゴブリンの肉でも食えるようになると言われるほど、旨みを増す効果がある。
特に鼻の良い犬獣人……それも、治癒を受けて体が栄養を欲している状態となれば、その空腹感は飢餓に近い。
エストは透き通った氷の更にオーク肉を盛り付けると、男の前に差し出した。
男は感謝の言葉と共に受け取ろうとするが、ちょっと待ってと手のひらを向けられる。
「いくら出す?」
「……え?」
「君を助け、ここまで運び、ご飯もあげる。安全な寝床も付けよう。それにいくら出す?」
「お、お金……ですか?」
「うん。君の価値が知りたいな」
君の価値。つまりは、命の値段。
人は助け合って当たり前と言いたいが、タダで良い環境を得られるほど、甘い世界ではない。
それに、エストは子どもである。
ただでさえ舐められやすい以上、助けた相手には相応の対価を要求せねば付け上がられる。
今回の相手は商人だ。正しい値段を出せなければ、商人としての格が透ける。リスクに応じたリターンを。リターンに応じたリスクを取れることが、商才というもの。
獣人という身でありながら商人をしている男は、匂いを放つ肉の前で、じっと考える。
「……800万リカ。それが私の価値です」
「じゃあ、食べよっか。美味しいよ」
「え……でも私、手持ちは全く……」
「別に僕、お金に困ってないし」
別皿に取り分けた肉に、かぶりつくエスト。
先程までの話はどこへ行ったのか、一心不乱に肉を楽しんでいる。
そんなエストの横では、指先よりも小さくカットされた木の実を鳥がついばんでいた。
食事に夢中になる一人と一羽を見て、男も肉に手をつけた。
「頂きます……こ、これは!」
「美味しいでしょ」
「はい! こんなに旨みのあるオーク肉、初めて食べました!」
そこから先は、無言で食事を楽しんだ。
2人して満腹になる頃には、オークは胴体と左足だけになっていた。
「そういえば、名前は?」
「申し遅れました。私、商人はパルフィーと言う者です。帝都から行商に出たところ、ゴブリンに襲われました」
「何か売ってるの?」
「え〜と、今回の行商では瓶や焼き物を売ろうとしていたのですが……あの有様です」
「残念だったね。焼き物って売れるの?」
「はい! 薬師や飲食店、貴族様は特に!」
胸を張るパルフィーだったが、馬車の惨状を思い出して萎れていく。
焼き物は意外と値が張る物なので、失った金額を考えるととてつもない損失なのだ。おまけにエストには800万リカの貸しがある。
商人として、最大級のピンチに直面した。
「まぁ、今日はもう寝よう。馬車で寝る?」
「……はい。片付けをしたら、そうします」
「わかった。何かあったら起こしてね」
そう言って
寝付きのいいエストは既に寝息を立てており、野営とは思えない姿に、夢でも見ているのかと錯覚する。
「……恐ろしい魔術の腕。この子は……いえ、この方は……いずれ大物になりますね」
震える足を動かすパルフィーの目に、火が灯る。
商人として、腕の良い魔術師との繋がりは大きな価値になるのだ。
ここでしっかりとエストと関わりを持つことが、自身の成長に繋がると確信した。
「これは、大利の予感です」
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