第98話 賢者孵化
「聴け、優秀すぎて教え甲斐がないバカ弟子」
「どうしたの? そろそろ僕に越えられそうで焦っている優秀な賢者先生」
「……黙れ。それより転移の理論を教えてやる。使いこなせて半人前だ。覚悟はいいか?」
ジオに魔術を教わってから1年。
遂に転移の魔術を習うというのに半人前と言われ、とてつもなく高い壁を前にしたエスト。
それは時空魔術の性質ゆえの仕方ないことだが、まだまだ奥が深い魔術を習えると思えば、俄然やる気が湧くというもの。
求められた覚悟という言葉に力強く頷くと、ジオは1枚のトレント紙を机の上に置き、真ん中に線を引くと両端に黒い丸を描いた。
「空間は箱だと教えたな。これはその応用だ。黒い丸の片方を現在地、もう片方を転移先だ」
「はい」
「転移の理論は一言に、“座標の一致”で表せる。点から点への移動は陸路なら時間がかかるが、時空魔術で2つの点をひとつにまとめる」
「……ひとつに?」
「見てろ」
ジオは紙を半分に折ると、点と点が重なった場所に
「今、この2つの点はひとつになった」
「つまり、現在地と目標地点の空間を認識して、穴を開けるのが転移の魔術と」
「そんな感じだな。ただ、それだけじゃ転移にはならない。空間の穴はすぐに塞がれ、無駄に魔力を使って終わりだ」
「じゃあどうやって移動するの?」
「お前はもう知ってるはずだ。考えてみろ」
空間の穴。場所を繋ぐ点。物の移動。
エストの頭に、ひとつの言葉が思い浮かぶ。
「亜空間?」
「正解。転移は亜空間を経由して、今いる場所と行きたい場所を入れ替える。お前に亜空間から教えたのはそのためだ」
「なるほどね。でも、亜空間に生物は入れられないよね。手を突っ込んでもすり抜けるよ」
息をするように亜空間への穴に手を入れると、何も無かったように手はすり抜けた。
「だから経由地点として使うんだ。亜空間ですり抜けるのはお前がひとつしか穴を開けていないからだ。何のために物体の移動を教えたと思ってるんだ?」
「……そういう意図なら言ってよ」
「クソほど優秀なお前なら言わなくても分かると思ってたんだが……分からなかったか」
「ムカつく。でも、言いたいことは分かった」
亜空間への穴を経由した空間の入れ替え。
行きたい場所の空間を直方体で切り取り、今いる場所の空間を同じように切り取る。そうして切り分けた2つの空間を、亜空間を経由して入れ替えることで、位置自体を交換する。
それが転移の仕組みであり、恐ろしく高い精度が求められる理由だ。
「もし間違えて体の半分しか切り取らなかった場合、転移先の空間のズレでお前の体が真っ二つになる。正確に目標地点と自分の空間を切り分けないと、簡単に死ぬぞ」
「……怖っ」
「もちろん安全策はある。自分の体より大きく切り取れば、ビビることなく転移できる」
「その分、使う魔力は増えるよね」
「ああ。そもそも転移はバカみたいに魔力を使う。お前をあの場所からここに連れてくるのだって、スケルトンの魔石で換算すれば……2000個は要るんじゃないか?」
「……にせん。今の僕じゃ無理だね」
「あ? あぁ、そうだな。だからこれから、俺が認める魔力量になるまで魔術を使ってお前の器をデカくする。地獄が始まると思え」
ニヤッと笑うジオの顔はまさに悪人といった表情で、既に地獄だと思っていた鍛錬が更に過酷なものになると知ったエストは、机に立て掛けていた杖を亜空間に仕舞った。
魔力量を増やすなら、杖は邪魔になる。
魔術師としての地力を高めるために、ジオは転移の練習をする時間と魔力を消費する時間を作ることにした。
一日を3つに分け、消費・転移・睡眠とする。
魔力は使えば使うほど貯められる量が増えるので、ただでさえ肉体の成長と共に大きくなった魔力量を、意識して増やすとなれば想像を絶するトレーニングが待っている。
朝起きたエストは家の前で大量の魔術を同時に使い、肉体のトレーニングと並行して魔力を使う。
朝ご飯は大量の肉と魚、野菜とパンを食べ、消化が落ち着くまでは魔道書の解読とシスティリアから貰った手紙を読み返す。
ある程度食べた物が消化されたら、また外に出て大量の魔術を使う。そうして魔力欠乏症になる寸前まで消費すると、次は大量の昼ご飯を食べるのだ。
「食料が無くなりそうで怖いよ」
「何言ってんだ。この山の循環速度を舐めてるのか? お前や俺がバカみたいに食ったところで問題ない」
「……街に出たら大変だよね」
「……魔力を使い過ぎなければいい」
「ま、まぁ。氷魔術で何とかするから」
昼食後にまた魔術を使い、昼過ぎから転移の練習をする。まずは短距離の転移から始めるため、そこまで大量に消費することはない。
しかし──
「あれ? 僕の左腕消えた」
数メートル前方でボタボタと雪を赤く染めていくエストが、首を傾げながら戻ってきた。
「だから直方体で分けろって言ってんだろうが! いきなり体の周りだけを転移しようとすんな!」
「はぁい。首じゃなくてよかった」
「今更だが、普通は腕無くなったらもっと焦るだろ。お前は冷静すぎて怖いぞ」
落し物を拾うように左腕を拾ったエストは、それを亜空間に仕舞ってから上級光魔術の
「焦って失敗する方が怖いね」
「待て、腕をどうする気だ」
「氷龍にあげる」
「……お前、アイツと仲良くなってないか?」
「まさかー。ドラゴン怖いよー?」
「う、嘘くせぇ! あれだけ近づくなって言ってんだろうが! マジで殺されるぞ!」
ジオは氷龍に対して大きく距離を取ろうとするが、エストの方は近づいていった。
その理由は、氷龍の方にある。
山に遊びに行ったエストの前に氷龍が現れると、エストの魔術を受けて面白いと思えば腕を食い、微妙なら追い返すという遊びをしている。
冬の間は活発に動く氷龍は、自身の鱗を容易に貫くエストを面白く思ったのだ。
お礼のつもりかは分からないが、吐いた息で作られた氷を見せたり、山頂付近にある巣穴の前に連れて来たりしていた。
氷龍が現れる度にエストは怯え、疲れた様子で帰ってくる。しかし、それをジオは知らない。
「転移、少し分かってきた。余裕を持って使った方がいいから、緊急時は使えないね」
「コレが戦闘に向かない理由が分かったか?」
「うん。で、夜まで練習するんだよね?」
なんでもないようにジオが頷くと、エストは大きく息を吐く。
こんな生活が長距離転移ができるようになるまで続くのは、肉体よりも先に精神がやられてしまいそうだ。
いくら大好きな魔術の鍛錬とはいえ、使った魔力量に比例した量を食い、勉強や実験も続けながら危険度の高い転移を使うことは、心を休める暇がない。
いつか心が折れると感じたエストは、人差し指を立ててジオに見せた。
「1週間……ううん、1ヶ月に一度でいいから、システィたちに手紙を書く日が欲しい。毎日同じ景色を見てしんどい鍛錬をするなら、これぐらい譲歩して」
「……1ヶ月でいいのか?」
「うん。あまり多いと僕は甘えるから」
「相変わらず修行僧みてぇだな」
褒めているのか貶しているのか分からない言葉を吐くと、ジオは大きく頷いた。
「ああ、分かった。俺としてもお前には『やってもらってる』側だ。それぐらいはやらせてもらう」
「それじゃあ、改めてよろしく、先生」
「おう。クソ優秀なバカ弟子」
ギリギリと音がするほど強く握手をすると、エストは転移の練習を再開する。
かつてシスティリアに課した地獄の修行生活が、パワーアップして自分に返ってきたエスト。
食べることも魔術を使うことも嫌いになりそうなほど負担がかかる修行だが、システィリアへの手紙を書くことで辛うじて耐えられる。
毎日のように食べていた美味しいご飯。
騒がしいシスティリアの声。
見たことの無い景色に胸が踊る感覚。
たった半年の経験を、心の
いつかまた、2人で旅することを夢見て──
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