第99話 二度目の旅立ち
「だ・い・す・き……また書いてる」
魔力量の修行が始まり、1年が経った。
短距離の転移を使いこなし、中距離から長距離への転移へと少しずつ難易度を上げているエストは、僅かな休憩時間にシスティリアからの手紙を読んでいた。
その中の一部獣人語で書かれた文章を訳すと、毎回『大好き』や『会いたい』など、様々な変化球で伝えていることが分かった。
単語として直接的に書くのではなく、縦読みだったり人族語との組み合わせだったりと、バリエーションに富んでいるため飽きることはない。
その言葉を見つける度に頬を緩ませ、やる気の炎に薪を焚べた。
「よし、合格だな。今のお前なら街まで転移できるだろ」
あっさりと告げられたその言葉に、エストは納得や理解をするよりも早く、純粋な疑問を口に出す。
「魔力量は大丈夫なの?」
「ん? あぁ、とっくの昔にな。今のお前、俺より魔力量が多いぞ」
「え? どういうこと?」
「長距離転移に必要な量は、そうだな……1年半前には足りていた。お前の魔力量を増やしたのは純粋な興味だ」
魔力欠乏症になるギリギリを攻めるのが上手いエストを面白く思い、ジオはついつい好奇心で鍛えさせてしまった。
その結果、僅か1年で自身を超える魔力量を手にしながらも、体に適した制御ができるようになったエスト。
知らず知らずのうちに大きすぎる力を手にしてしまった。しかし、その力で大切な人たちを守れると思えば、『まぁいっか』で済ませたのだ。
「魔族に狙われやすくなったな」
「次の魔族には雪山をオススメするよ」
「ハッハッハ……ふざけんな?」
「ユーモアが足りないね。それより先生、これで僕も半人前だけど、一人前になるにはどうしたらいい?」
言外に魔族に関することを託されると、エストは一人前になるべくヒントを貰おうとした。
「お前が学んだのは『空間魔術』に過ぎない。分類上は時空だが、空間認識、
「……ってことは、もしかして」
「ああ。時間……いや、
時空魔術、それが空間魔術と時魔術の総称であるということは、ごく少数しか知らない事実である。
空間の精霊はリューゼニスに魔法の知識を授けたが、時の精霊は悪戯に彼の老化を止めて以降、人間の前から姿を消した。
時計という道具を用いずにそれ単体を観測することは非常に困難であり、『時間とは何か』は誰にも説明できない。
ジオは、その時魔術を習得して一人前だと言ったのだ。
「正真正銘、最後の壁だ。だからここからはエスト、お前がやれ。俺にはお前ほどの才能も無ければ、お前ほど魔術を楽しめない」
賢者として孵化したエストは、もう充分に育ててもらった。親鳥としてのジオに出来ることはもう無い。
「……わかった。ここまで教えてくれてありがとう。魔族は見つけ次第倒すけど、それ以外は僕の好きにするよ」
「ああ、それがいい。たった2年でよくやった」
エストの頭をわしゃわしゃと撫でるジオ。
今までにない褒め方に、エストは本当にこれで修行が終わるんだと静かに納得する。
この2年間はただの準備に過ぎず、真の目的は魔族の殲滅にある。
やっとの思いで大変な生活が終わったと思う反面、もう終わってしまうのかと、寂しい気持ちが湧く。
すると、不意にジオが外の像に向けて指をさした。
「そうだ、最後の課題を出してやる」
「本当? なに?」
「あの白狼族を幸せにしてやれ。アイツの人生を、死ぬまでエストが支え続けろ。いいな?」
「うん。約束する」
「それはアイツに言え。ほら、行ってこい!」
エストの前に半透明な魔法陣が現れると、ログハウスから姿が消える。
まともな別れの挨拶もしていないが、それでいい。
出会いがそもそも異常だったのだ。別れだけきちんとしても仕方がない。だったら面白く思ってくれる場所に転移させた方がよっぽど良い別れである。
「シュン、残りの魔族を捜すぞ。見つけ次第ギルド経由で伝える。手伝ってくれ」
『ワウゥン!』
魔力を嗅覚で捉えられる白狼族。その獣人の先祖とも言われる、白狼。かつては大きな群れを成して生存していたその狼は、魔族に狩り尽され、数を減らした。
既に絶滅したと思われたその狼は、何の運命か、氷獄の中で僅かながらに生存している。
そのうちの一頭が、シュンである。
「氷龍、居る? お別れに来たよ」
一方エストが飛ばされたのは、よく遊びに行っていた山の山頂付近であり、氷龍の巣に近い場所だった。
この2年間、世話になったのはジオだけではない。氷獄の生態系にも、大きな感謝をしなければならないのだ。
文字通り生態系、そして山の頂点に立つ氷龍には、しっかりと挨拶をしておく。
エストが巣穴を覗き込みながら聞くと、中から冷たい風が吹いた。
入室許可だと思って進むと、まるで水晶のような壁で作られた洞窟になっており、その最奥にはあの氷龍が頭を下げて待っていた。
「僕、ここを離れるんだ。君にはよく遊んでもらったし、ひとつだけ魔術も教えてもらった。ありがとう」
青く透き通る目でエストを見つめ、数度の瞬き。ドラゴンの一種である氷龍にとって、エストの居た2年とは瞬きをするようなもの。
しかし、氷龍には忘れられない瞬間だった。
一度たりとも傷を付けられなかった自慢の鱗を、たったの一撃で粉砕したエストに、つい敵対の目を向けそうになったのだ。
殺すのは惜しいと思って腕を食ったが、人間とは思えない治癒力を見せた上に、魔術を見せに来た。
人間はただでさえ奇妙なのに、とりわけ奇妙な者が来たと、永い時を生きる氷龍の記憶に残った。
「……え? それって」
人間と龍の流れる時間は違う。瞬きをするような間の出会いだとしても、氷龍が認めるには充分なものを見せてくれた。
そのお礼に、とでも言いたげな様子で、人間の何倍もある大きな前脚から小さな玉をエストの前に落とした。
「龍玉、だよね。本当にいいの?」
ドラゴンが数千、数万年とかけて溢れ出した魔力が固体になり、球状の魔石と化した龍玉。
幼い頃にアリアから教えてもらったソレだが、今のところ発見されている龍玉はとても小さく、親指と人差し指でつまめる大きさとのこと。
しかし今エストの前にあるのは、大人が両手で包むように持っても半分しか隠せないような、とても大きなものだった。
その価値は計り知れない。人類の魔術の歴史より遥かに長い時間をかけて生み出された龍玉は、価値という言葉では表せない希少性を秘めている。
「さすがに貰いすぎだよ。少しだけお返し」
そう言って、転移の事故で生まれてしまった腕や脚を置いた。
自分の体の部位を複数も差し出すという体験は初めてだったが、存外気持ち悪さは無いなと思い、腕の一本を氷龍の頭目掛けて投げ飛ばす。
バクっと大きな口で受け止めると、数度の咀嚼の後にの嚥下する。
満足そうに目を細め、氷龍は冷気を吐き出した。
「それじゃあ、元気でね」
出会った時は小さかったその背中は少し大きくなり、息をするように亜空間から杖を出す姿を、氷龍は静かに見送った。
それから少しの時が経ち、エストは雪山の山頂で伸びをした。
澄み渡る蒼い空と、吹き降ろす風で巻き上がる粉の雪。氷の結晶を纏う木々は恐ろしくも美しく、幻想的な世界を創り上げていた。
見下ろす視線の先には、小人が住んでいるのかと思えるほど小さく見える、フラウ公国最北端の街があった。
「お土産4つか。旅というより帰り道かな」
13歳になり、出会った頃のシスティリアと同じ歳になってしまった。つまり、今の彼女は16歳。帝国ではお酒が飲める年齢なので、お土産のひとつは酒にしようと決めている。
良い酒が買えることを願って、新たにエストがキーワードを作った魔術を使う。
足元に現れた半透明な魔法陣は、ジオの使うものより色が薄く、流れる魔力は多い。
魔女の息子であり、賢者の弟子。
双方の時空魔術をみてきたからこそ、その腕は尋常ならざるものとなった。
「行こう──
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