第87話 賢者の宿命
「うぅ……どこ? ここ」
目を覚ましたエストは、見知らぬ部屋で目を覚ました。
木目の天井。丸太の味が強い壁に、近くの本棚から香るインクと革の匂い。宿の部屋というには生活感が強すぎる。
バッと体を起こすと、軽く目眩が襲う。
「……家? 確か僕、魔族に殺されなかった?」
片手で額を抑えていると、ドアが開いた。
部屋に入ってきたのは黒い髪の青年、ジオだ。
片手を上げて会釈をし、ベッドの近くにあるテーブルに向かって魔法陣を出すジオ。
半透明の魔法陣からコップに入った水とパンが現れ、エストに差し出す。
「目眩がするだろう。悪いがお前の魔力を少しだけ抜き取った」
「……ここはどこ?」
「俺の家だ。領土は知らん。建てた時はトラート王国だった」
「トラート王国は150年前に滅んだ。今はフラウ公国」
「じゃあ分からんな。知ったところで意味が無い」
リューゼニス王国から遠く北に位置し、強い吹雪が高頻度で発生するフラウ公国。
エストが魔族と戦った帝国最南端のガルネトより生存が厳しく、輸出入が困難なために自給自足の生活が強いられる。
通称として『氷獄』と呼ばれるほど、この国は厚い雪と氷で覆われている。
「……帰らないと。システィが心配する」
「無駄だ。今のお前では氷龍の巣を抜けられない。死にたいなら話は別だが」
「氷龍? 大丈夫だよ、まだ秋だし」
「何を言っている?」
そう言って指をさした方向には、一輪の薔薇が咲いていた。
それはエストにとって最も思い入れのあり、今の時期を示す花。
「……青薔薇」
小さな鉢に植えられた青薔薇は、凛と咲いている。
とても開花に必要な条件を満たしていないが、確かにそれは青空のような花弁を見せている。
「春になるまでお前は動けん。だから黙って俺の話を聞け。それからどうするか考えろ」
椅子にかけられた半分熔けたローブを見て、今はこの人の話を聞くしかないと理解した。事実、現状の体調では山越えなんて無理だと分かっていた。
大きく息を吸うと、姿勢を正してジオを向く。
「俺はジオだ。昔は賢者と言われていたが、今は三ツ星冒険者の方が有名だな」
「……賢者」
「驚かないのか?」
「魔族との話、ちょっとだけ聞こえてた」
心掠のマニフがリューゼニスと言っていたことは覚えている。
エストは必死の止血の最中だったが、それだけは聞こえていた。
「頼みはひとつだ。魔族を殺せ。そのために俺の魔術を全て教えよう。どうだ?」
「どうして僕が魔族を殺さないとダメなの?」
「俺では殺しきれないからだ。厳密に言えば、魔族の頂点に立つ5人の魔族。五賢族に限るが」
「マニフは倒してたよね?」
「お前と一ツ星が削っていたからな。分かっていなかったのか? 俺が来た時には既に瀕死だったぞ」
そしてジオは付け足すように言う。
「マニフは五賢族でも最も弱い。あの闇魔術を抜け出したお前なら分かるだろ?」
あれで最弱。
エストとアリアが重傷を負ってもなお勝てず、最悪の全滅が見えたというのに。今は五賢族以外の魔族をジオが滅ぼしたが、残りの4体はそんなジオですら敵わない。
初代賢者リューゼニスですら倒せない相手を、なぜエストに託すのか。
「お前には才能がある。あの洗練された魔力を見れば、お前が全属性を使えることは一目瞭然だ。あそこまで透き通った魔力は……もう見つからない」
「僕の魔力と魔族に何の関係性が?」
「弱点が無いからだ。基本4属性はそれぞれに相性の良し悪しがあるが、全部使えたら無視できるだろう?」
「……まぁ」
「その上でお前は、まだまだ成長できる。10歳前後で既に俺の50年に相当しているんだ、誇りに思え」
50年。リューゼニスが全属性を扱えるようになるまでに要した年月だ。これだけの時間、彼は手探りで魔術の鍵を探し続け、自分なりの答えを出してきた。
しかしエストは、先人が残した魔道書を読むことで、リューゼニスが50年かけた道を凄まじい速度で駆けて行った。
天賦の才と恵まれた環境。
両方を得たエストは、魔術師としては最高峰。
賢者としては卵になれたのだ。
ただ、エストは戦いたくなかった。
このままシスティリアと旅を続け、飽きたら2人で老衰で死ぬまで生きているものだと思っていた。
快適な旅にも慣れてきたところだった。
それなのに、魔族の出現が全て壊したのだ。
「僕は……システィと一緒に居たい」
「五賢族が居る限り、魔族は人間を殺す」
「その殺される対象にシスティも居る?」
「システィ? ……ああ、あの青髪の獣人か。残念だが奴は白狼族だ。優先的に狙われると思え」
白狼族が何か、それをエストは知らない。
でも、彼女が何者かなんてどうでもいい。
これからも一緒に旅を続け、笑い合えるなら。
答えはもう、決まっている。
「わかった。僕、システィを守る」
「……本当にいいんだな?」
「うん。殺されてからじゃ遅いしね」
ほっと息を吐いたジオは、エストに杖を返した。
これで、彼の悲願が達成するかもしれないのだ。
かつて帝国を滅ぼした忌々しい魔族。
ジオの……初代賢者リューゼニスの家族を殺した魔族。
1000年の時を経て、ようやく掴み取った光。
無垢な少年に背負わせるにはあまりにも重い役割だが、賢者の宿命というもの。
これからエストにはあらゆる魔術を教え、使いこなせるようになってもらう。
魔法から呪術へ、そして魔術への変遷を理解するところから、ジオの教育は始まる。
「そういえばお前、名前は?」
「エスト」
「そうか。じゃあエスト、これからよろしく頼む」
「うん、よろしく」
そうしてエストは、魔女の弟子から賢者の弟子へと変わったのだった。
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