第367話 胃袋の赴くままに


「……ごちそうさま」



 黙々と出された料理を食べ続けたエストは、村中の食料を食い尽くす勢いで平らげた。

 料理を作り続けたセリナの顔には疲れの色が見え、やっとエストが腹八分目と言った時、既に20人前の量を食べていたのだ。


 どんな家畜よりも消費量が多いことに、セリナはエストの食生活が気になってしまう。



「普段もこれくらい食べられるのですか?」


「日によるかな。昼は今日より少し抑えたぐらいで、夜は3人前くらいだよ」


「す、凄まじい食事量ですね……」


「師匠以外たくさん食べるからね。毎回20人前は作ってくれるお姉ちゃんとシスティには、誰よりも感謝してるよ」



 その食料を確保するのはエストの役目だが、肉を買えば破産する未来が見えているので、オークやワイバーンといった肉になる魔物を狩るのだ。


 最近はウルティスもよく食べるようになったため、冷蔵保存庫は魔女の空間魔術で拡張されている。

 それでも週に一度は補充しないと底をつくので、魔術の鍛錬を控えるか、エストの悩みの種になっていた。



「うふふ、楽しそうに語るのですね」


「……好きな人の話をして、楽しくない方がおかしいよ」


「そうですね、失礼いたしました」



 どこか人間離れした空気を纏うエストが、唯一人間らしい姿を見せたのがシスティリアについて話す時だった。


 瞳に輝きが増し、自然と口角が上がっている様からは、彼のシスティリアに対する想いが透けて見える。

 ここまで愛されるシスティリアという人物に興味が湧くセリナに、立ち上がったエストが20万リカを手渡した。



「じゃあね。ご飯、ありがとう」


「こ、こんなに頂けません!」


「タダで食べるわけにはいかないよ。それに、魔術を使いすぎた僕にも責任があるし」



 寝不足の状態で魔術を使いすぎると、人は簡単に倒れてしまうことを実感したのだ。

 迷惑料も含めた大金だと説明すれば、セリナは渋々皮袋を受け取った。


 畑予定地に向かおうとするエストを止めた彼女は、エストの目を真っ直ぐに見つめて言う。



「料理……美味しかった……ですか?」


「うん、美味しかった」


「……ありがとうございます」



 胸の前で手を握り、セリナが深く頭を下げた。

 エストは振り返ることなく家を出れば、伸びをしてから村を見渡した。



「澱みの原因……突き止めるか」



 そう呟いて杖を出そうとしたエストだが、こちらに向かって走る子どもが見えたため、右手が空を切る。

 すると、子どもはエストが見えていなかったのか、思いっきりぶつかってしまった。


 尻もちをついた少年は、6歳ぐらいか。知らない人にぶつかった怖さに涙を浮かべていると、大きな手が差し伸べられた。



「大丈夫? ごめんね、前を見ていなかった」


「だい……じょうぶ。おれの方こそ、ごめんなさい」



 少年は手をとった瞬間、思わず『つめたい』と声が漏れた。普段は氷龍の魔力を流すエストの手は、死体のように冷たくなっている。


 外見も白いローブを纏い、髪色も白いために、少年はその不思議な男にたじろいだ。



「森で遊ぶのは好き?」


「う、うん。でも、入っちゃダメって」


「体調が悪くなっちゃうから?」


「そうだよ。前までは入れたのに……」


「そっか。また森で遊べるといいね」


「うん!」



 わしゃわしゃと頭を撫でられた少年は、再び走り出しては近くの家に入って行った。


 子どもが森で遊べないことには、エストの心にもやがかかる。自身が森で育ったために、同じような経験が出来ないことを憂いたのだ。


 向かう先は畑予定地。防護柵を建てている最中のそこには、現場監督のヌーさんと村長が居た。

 ヌーさんが誰よりも早く気付いては駆け寄り、エストに顔を押し当てて尻尾を振る。



「おぉ、賢者殿! 体調はいかがかな?」


すこぶる快調。村長、完成はあとどれくらい?」


「この調子だと一週間ってところだな。森の呪いのせいで、長時間の作業が出来ないからな」


「呪い……澱みのこと?」


「ああ。俺たちは魔力なんぞ分からんから、呪いと呼んでいる。ここ半年で、随分と酷くなったもんでな……」



 少年の言っていた情報と合致する。

 以前までは澱みが無かった、或いは薄かったという反応に、やはり自然現象ではないと確信するエスト。


 今居る場所よりも更に奥。闇影狼シャドウバイトが育ったであろう場所に、何かがあると予想すると、村長の背中をつついた。



「僕、澱みの原因探してくるよ」


「……追加報酬は払えないぞ」


「いい。僕はただ、子どもが森で遊べないのが不満なだけ。これは自己満足でやるから。ヌーさん、引き続き見守りよろしくね」


『ヌゥ』



 順調、とは言い難い進行度の防護柵を横目に、エストは予定地から真っ直ぐ北へ──業魔の森の奥地を目指し、歩いていく。



「お、おい! 森の奥は危険だぞ!」


「当たり前の忠告どうも。でも、誰かがやらなきゃ苦しみ続けるだけだよ。止めないで」



 振り返ることなく手を振って森へ入るエストに、村長は心配の色を顔に出しては、監督のヌーさんを見た。

 ヌーさんは小さく右前脚を上げると、そっと村長の肩に指球を当てた。あの人なら大丈夫だと、安心させるように。



(デケェ狼の肉球……柔けぇ)



 そう感じた村長は、頬の横にあった鋭い爪を見て冷や汗を流す。まるで抜き身の剣を肩に置かれたような感覚に、村長の体は震えていた。




◇ ◇ ◇




「こうかな? ……違う、もっと耳のハリを……あぁちょっと固すぎ。もっとこう、クニっと……うあぁ難しいっ!」



 呑気に業魔の森を散歩するエストの手には、手のひらシスティリアが創られていた。魔物の気配がしないからと、狼耳の感触を再現しようと奮闘中である。


 中々上手くいかない感触再現に夢中になるエストだが、ピタリと足を止めた瞬間、一歩先の地面に蔦の鞭が走った。


 その速度は音速を超え、強烈な破裂音と共に気配を消す。



「一口でトレントと言うには、殺意も技術も鋭く研ぎ澄まされているね。君みたいな魔物のせいで、子どもが遊べなくなるんだよ」



 右手で杖を持ち、左手を自由にすると、目を閉じて気配に集中する。


 その瞬間、音速を超えた蔦がエストの首を狙うが、エストの左手が、肩の先で蔦を掴んでいた。

 研ぎ澄まされた殺意は、むしろ狙う場所が分かりやすいので好都合だった。


 相手が強者ゆえに戦いやすいと、普段の模擬戦から得た経験が役に立っている。



「み〜つけた。70メートル先からこんにちは」



 蔦から本体の位置を掴んだエストは、杖を振って土刃波アルギヴェタを使い、地中を土の刃が走っていく。

 エストに攻撃したトレントの根を細切れにすると、掴んでいた蔦は力なくたわみ、幹は分割されて亜空間へ収納された。



「美味しいお肉が食べたいな。バターソテーとか、香草焼きとか、シチューもいいなぁ。帰ったらシスティにお願いしよ〜っと」



 杖を仕舞い、再び手のひらにシスティリア像を出すと、耳の感触再現をしながら歩き出す、エストなのである。

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