第366話 帰りを待つ白狼


 エストが指名依頼に出てから丸一日が経ち、エフィリアを抱くシスティリアの髪はボサボサのままだった。



「う〜ん……ふふっ。本当にエストに似て可愛いわね。白い髪も素敵よ……ふふっ」



 家事を済ませたアリアと交代でエフィリアを見ているが、獣人なだけあってか頻繁に母乳を求め、システィリアは魔術の鍛錬をする時間も無かった。


 エストが抱いている間はエフィリアもゆっくりと休めるのか、比較的ひとりの時間も作れた彼女は、心の声を小さくこぼす。



「パパ、早く帰ってくるといいわね……」


「システィちゃん、お散歩の時間じゃない?」


「あら、そうね。エフィ、お外に行きましょ」



 おんぶ用の布にエフィリアを巻き、システィリア自身もしっかりと抱きかかえると、日に一度の散歩に出た。


 鍛錬終わりのウルティスと、赤ちゃんに興味津々なワンワンとバウバウも連れ、広大な庭の森を歩いていく。


 こまめに水分をとりながら木漏れ日を浴び、しれっとエストが引いた川に来た。今日は川のせせらぎを聞かせてあげようと木の根に腰を掛けたシスティリアの傍に、ワンワンが寄り添うように伏せをする。


 小さな自然にエフィリアが手を伸ばしていると、ウルティスとバウバウが川遊びを始めた。



「きゃはは! えいっ!」


『ババウっ!』



 どうせすぐに洗濯するからと、服のまま濡れたウルティスは尻尾が枝のように細くなり、普段からエストに手入れされていたバウバウは、狼の威厳はどこに行ったのか。

 ほっそりとした、大きな犬のように見えてしまう。


 しかし、その筋肉量はAランクの魔物だけあり、翡翠色の毛の下には鎧の如き筋肉で覆われていた。


 対するワンワンはと言うと、遊びに興味が無さそうに見ているが、尻尾はバサバサと草を叩いている。



「行ってきたら? 後で3人仲良く天日干しよ」


『ワゥゥ……』


「アタシは大丈夫だから、遊んできなさい」



 システィリアをひとりにしないために遠慮するワンワン。


 中々遊びに行かないワンワンに、システィリアはウルティスたちに向けて左手を向けた。

 魔法陣を出すことも無ければ、口頭でも詠唱せず、手のひら大の水球アクアが出現すると、放物線を描いて飛んでいく。


 そしてウルティスの脳天に直撃した瞬間、パシャっと弾けた水球アクアが少女の全身を濡らした。



「うひゃあっ! も〜! おねえさま!」


「何のことかしら? 今のはワンワンよ」


「ワンワンなの!?」


『ワゥ……』


「……遊んできなさい」


『ワンッ!』



 そうしてワンワンも川に入ると、3匹の狼はそれぞれほっそりとした毛並みになり、1時間も遊ぶと疲れが見えていた。


 一度家に帰り、アリアが洗濯を始める頃にはウルティスたちが仲良く庭の芝生に寝転がった。



「ホント、元気いっぱいなんだから……ふふっ。エフィも大きくなって、今日みたいに皆で寝転がりましょ?」



 愛おしそうに我が子を抱き、眠るエフィリアをベッドで寝かせたシスティリアは、う〜んと伸びをした。



「さて、ギルドにはちょ〜っと痛い目を見てもらいましょうか。アタシの愛するエストを辺境に駆り出させた罪……しっかり償わせてやるわ」





◇ ◆ ◇






 一方開拓村に居るエストは、2日目の朝に目を覚ました。木造の天井に、藁の上に布を重ねたベッド。床に寝かされた槍剣杖には、氷龍の龍玉が煌めいていた。


 体を起こしてすぐ、腹の虫が大音量でうめき声を上げる。



「お腹……空いた。システィが焼いたオークのバターソテーが食べたい」



 無論、そのような物をエストは持ち合わせていない。亜空間にもオーク肉は切らしており、肩を落としたエストはベッドから降りては、杖を仕舞った。



「ローブに穴……無かったんだ。凄いな」



 空腹で覚束無い足取りで外に出ると、薪を抱えた村人が通りかかる。すると、その場に薪を置いてエストの前に来た。



「賢者様、目ぇ覚ましたか! そら、気分はどうだい!」


「お腹空いた」


「そかそか! セリナさんとこ行けば、何か食わしてくれるでな!」


「誰? ……どこ?」


「あそこに居る赤い髪の姉ちゃんだい」



 指をさされた先に居たのは、井戸の傍で洗濯をする、20代前半の麗人だった。じっとエストが見つめていると、セリナの方も気付いたのか、エストに手を振った。



「あの人、魔術師だね。それも腕が立つ」


「よ、よく分かるなぁ! セリナさんはすんげぇ強いんだ。そら、俺は仕事に戻る。腹いっぱい食えよ〜!」



 嵐のような村人が立ち去ると、エストは件のセリナの方へと歩いていく。

 ニコニコと微笑みながら手を振る彼女に、首を傾げるエスト。



「こんにちは、エストさん」


「おはよう。君、帝国宮廷魔術師団長の娘?」


「……よ、よくご存知で。まさか父から?」


「それこそまさか。面白い冗談だね」



 セリナの父は、6年前に魔術対抗戦でエストと口論になった、宮廷魔術師団長のグリファーである。

 その一件以降、良い印象が無い宮廷魔術師団だが、思わぬ形で関係者と出会ってしまったなと、エストは溜め息を吐いた。


 しかし、その宮廷魔術師団にも友人メルが居る手前、文句を言わなかったエスト。



「洗濯、手伝うからご飯作ってよ」


「それは構いませんが……その」


「家事は一通りできる」



 指先から魔力を垂らし、桶の水を水魔術で操れるようにしたエストは、ものの数秒で衣服の汚れを落としてみせた。


 そして二言目には『ご飯』と言うエスト。


 真っ直ぐに綺麗な瞳で見つめられたセリナは、子どもっぽいエストに小さく笑い、自身の家に招待するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る