第365話 活力の源は純真な愛


「……ん、早いな」



 ヌーさんにもたれかかったまま寝ていたエストは、澱みの魔力探知に引っかかった動きに反応した。

 村の男手総出で柵を建てているが、パンパンと手を鳴らして注目を集めれば、ヌーさんと共に前に出た。



「一旦止めて。大きな魔物が来てる」


「そう……なのか? 風は変わらんが」


「じゃあ続けたらいい。あと1分もしたら皆死んでると思うけど」


「皆、手を止めて避難だ! 賢者殿の言う通りにしろ!」



 村長の指示に従った男衆は、焦る気持ちを抑えて村の方へ避難していく。見えない魔物よりヌーさんの方が恐ろしいのか、幸いにもパニックは起こらなかった。


 村長と衛兵のひとりがエストの後ろで待機すると、ヌーさんが先に森へ駆けて行く。


 数秒もすれば木々がざわめき、ヌーさんが放つ風魔術の余波で空気が震える。



「凄まじいな。流石は賢者殿だ」


「……心変わりが早いね、村長」


「手のことは謝る。失礼だが、本当に噂の賢者とは思えなくてな……あぁ、今はもう貴方が賢者だと認めているぞ」


「噂の賢者? どんな噂が流れてるの?」



 エストがそう聞けば、村長は頭をガシガシと掻き、少々の申し訳なさを表情に滲ませた。そしてぽつりとこぼすように、噂の賢者を語る。



「力が強く、筋骨隆々の大男で、狼獣人の女性を力で屈服させて娶ったと」


「尽く言い方が酷い。その噂、尾ひれどころか足が生えて歩いているね」


「であろうな。貴方を見れば一目瞭然だ」


「合っている部分は狼獣人の女性を娶る……娶るというのも変だ。愛しているから結婚したんだし。変な噂を流されたものだね」


「しかし、力が強いというのは本当だったな」


「あはは、魔術師にしては、って但し書きが要るけどね」



 森をじっと見つめながら言い放つエストに、村長と衛兵の男は冷や汗を流した。何せ、今の言い方では戦士なら手を砕けて当然かのような口ぶりだからだ。


 周囲に強い者が多すぎるがゆえに、エストは自身の価値観が狂っていることに気付けなかった。



 そんな雑談をしていると、森の中からヌーさんが覚束無い足取りで帰ってきた。

 ……至る所から出血した状態で。



「倒せた?」


『……ヌゥ』


「逃しちゃったか。ヌーさんでも倒せないとなると、Aランク中位はあるよね。ワンワンとバウバウも呼んだら勝てる?」



 傷の治療を受けながら、ヌーさんは首を横に振った。賢いヌーさんのことだ。1体が集中して狙われれば、命を落とす危険から無理だと判断したのだろう。


 エストはう〜んと唸り、大きく息を吐いた。



「まぁ、ここも魔力が澱んでるから転移はできないんだけどさ。とりあえず休んでて。次は僕が戦うよ」



 決意を固めてるエストに、ヌーさんは──



『くぅ〜ん』


「そんな、犬みたいな声で鳴かないでね? 君は気高い狼で、僕の相棒だ。信じてくれないと、もうウルティスと遊ばせないよ」


『……ヌゥ』



 エストに戦わせまいと可愛らしい声で鳴くも、むしろやる気を漲らせてしまったヌーさん。言葉が交わせるなら戦った魔物を明かしたいが、それは叶わぬ夢である。


 魔力が澱むほどの場所で生まれる魔物など、異常でしかないのだ。まだそれを理解していないエストなら、もしかしたら。


 ……死んでしまうかもしれない。



「さてと、ヌーさんが心配するくらいだし、早めに倒した方がいいよね。村長、工事を再開させて。見張りはヌーさんがやるから」


「こ、この狼が倒せなかった魔物に挑むというのか!?」



 村長の言葉にはヌーさんも同意するようにエストを見るが、そんな2人にエストはぴしゃりと言い放つ。



「ヌーさんより僕の方が強い。こう言いたくはないけど、舐めないでほしいな。これでも僕は、師匠の弟子なんだ。魔術師として3番目に強い自信がある」



 単純な話である。村の誰もがヌーさんの外見に騙されているが、そのヌーさんを手玉に取ったのはエストであり、不意打ちでもしない限りエストに傷をつけられないだろう。



「……3番目? 貴方が1番ではないのか?」


「そんなわけないじゃん。師匠と先生には勝てる気がしないよ。だって、空間魔術の技量が天と地の差があるから。賢者という称号は、所詮君たちが勝手に付けたものだ。最強でもなんでもない」



 どこか悔しげに顔を背け、森に向かって歩き始めるエスト。脳裏に浮かぶ、圧倒的な2人の魔術師を振り払い、澱んだ魔力の中を泳ぐように足を進めた。


 方向感覚が狂うような、頭痛と吐き気がエストを襲う。魔力の澱みとは、魔力を感知しやすい魔術師ほど強く影響を受ける。


 氷獄で味わったような苦痛の中、しかし穏やかな心で歩いていた。



「エフィ、僕が居なくて泣き出したりしてないかな。もしかしたらシスティの方が泣き出したり……なんてね。帰ったらたくさん抱き締めないと」



 肉体と精神の悲鳴をかき消すのは、いつだって愛する人への想いだった。


 深呼吸の後、少しずつ澱みに体を慣らすエストに、刹那の殺意が向けられた。だがエストは戦闘態勢をとらず、熟練の釣り人の様に静かに待つ。



「……え?」



 杖先を地面に向けながら数歩進んだ瞬間、エストの正面には剣を構えたシスティリアが立っていた。

 突然のことに判断が遅れたエストは、眼前のシスティリアが繰り出す剣技を躱し切れず、左肩に痛みが差す。


 じんわりと熱い痛みは確かに肉体を傷つけ、混乱しながらもエストは姿勢を低くした。



「システィ? なんだこれ。お〜い、聞こえてる? ……まぁ聞こえてないか。どうせ偽物だろうけど、タチが悪い」



 ひとまず眼前のシスティリアが偽物であると判断したエストは、次に彼女が幻影なのか、はたまた夢を見ているのか確認した。


 魔力を繋げたまま数百本の氷針ヒュニスを放つが、偽物であってもシスティリアは強く、ほぼ全ての針を叩き落としてしまった。


 しかし数本は彼女に刺さり、魔力を直接感知したエストは目を見張る。



「驚いたな……僕の魔力じゃないか。どうりで綺麗なワケだ。他人がここまで完璧なシスティを模倣できるわけないもんね。全く…………こんなナメたことをするバカは誰だ?」



 ズドドドッ!


 エストの殺意が剥き出しになった瞬間、亜空間から大量の氷槍ヒュディクが現れ、幻影のシスティリアを貫いた。


 杖を振ることなく、完全無詠唱の絶対零度ヒュメリジを発動させると、村のすぐそこまで業魔の森が凍りつく。


 一瞬にして濃い緑の森が白く染め上げられると、偽物を構築していた魔力すらも運動を停止し、遂には消滅した。



「……術者の気配はするんだけどな。っていうか、よく避けたね。地中か空か……上手く逃げたものだ」



 澱んだ魔力すらも土の上に落ちると、エストは綺麗な空気を大量に吸い込み、魔力探知の範囲を広げていく。

 すると、そんなエストの隙を突くように、背後の木陰から漆黒の塊が飛来する。


 その瞬間、5メートル上空に転移したエストは、真下に来た魔物の正体を捉えた。



「ダークウルフ……の、上位種? 闇影狼シャドウバイト……だったっけ。



 ヌーさんより一回り小さいが、その体躯は確かに狼のものだった。特徴として圧倒的な“黒さ”を誇り、まるで空間にぽっかりと穴が空いたように、可視光を殆ど吸収している。


 一説には存在しない魔物として語られ、それも高難易度のダンジョンにしか観測報告が無いため、ダンジョンが作り出した架空の魔物と言われているのだ。


 しかし現在、エストの真下で地面を穿ち、即座に見上げた闇影狼シャドウバイトが、宝石の如く煌めく黒を2つ輝かせている。



 このまま着地すれば間違いなく食われるため、短距離転移で近くの地面に足をつけたエストは、目にも止まらぬ速さで風槍フディクを放つ。


 だが闇影狼シャドウバイトは影に身を隠し、魔術を避けてしまった。



 ダークウルフ種だけが持つ、影に潜る能力。現代の魔術知識でも解明されていない力だが、たったひとつだけ欠点が明かされている。


 それは──



「影を無くせばいい。さぁ、出ておいで」



 周囲の木々に無数の光球ラアが灯った瞬間、隠れていた闇影狼シャドウバイトが影から弾き出されてしまう。


 普通の相手ならまだ体毛の黒さで騙すことも出来るだろうが、今回は相手が悪かった。


 高い光の吸収率を持つということは、吸収した光から探知出来るということ。

 エストは目視することなく亜空間から風刃フギル氷刃ヒュギルを浴びせると、ドス黒い血を流した闇影狼シャドウバイトが地面に伏す。


 死んだことを確認するため亜空間に収納すれば、大きく息を吐いた。



「……闇魔術は精神に干渉する魔術。まさか僕の魔力からシスティの幻影を作って攻撃するとはね……とんでもない魔物だった」



 闇影狼シャドウバイトが見せた幻影がシスティリアでよかった。もしエフィリアであれば、エストは何も出来ずに死んでいた可能性があったのだ。


 久しぶりに大量の魔術を使ったなと思い、畑予定地に戻ってきたエストは、討伐報告をする前にヌーさんに全身を埋めて眠ってしまった。





「……な、なぁ、狼よぅ? お前の主人……本当に人間か?」


『ヌゥ』


「だって、見ろよ……森が凍っちまってるぜ」



 氷の賢者という名に恥じぬ魔術に、村長はただ畏怖の念を抱くのだった。

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