第364話 幸先悪し
鬱蒼とした木々の中、道無き道を突き進むエストとヌーさんは、隙あらば殺しに来るトレントの蔦を切り落としていた。
エストが試しに
何度か風で澱みを払いながら歩いていると、入り口で感知していた開拓村を見えてきた。
「どうして僕を呼んだのかな……今度ユルに相談しようかな」
『ヌゥゥ……!』
指名依頼の頻度から、星付きへの上がり方へ興味が湧いたエストに、油断大敵だとヌーさんは唸る。
気を引き締めて村の方を見れば、既に簡易的な防護柵で囲われており、トレントに攻撃されない程度には広い空間が切り拓かれていた。
畑仕事をする村人や、丁寧に薪割りをする姿が見えており、エストは何故依頼を出されたのか首を傾げる。
「行ってみようか。仮にも指名依頼だし」
ヌーさんを隣に歩かせながら村に近付けば、ヌーさんの巨体に驚いた村人がすぐに兵士を呼び、開拓村の数少ない兵士たちが門の内側で陣形を敷く。
柵近くの
「依頼で来たエストだけど、責任者は居る?」
「すぐに来る。その位置で待たれよ」
「村の外は危ないのになぁ……いいけどさ」
村人が危険と判断しているのはヌーさんの方だ。エストもそれを理解している以上、下手に刺激することなく、大人しく待った。
数分ほど待った頃に重たい木の門が開けられると、3人の衛兵を連れた筋骨隆々の男がエストの前に出て来た。
問題があれば力で解決しそうな雰囲気を放っているが、意外にも注意深くエストを観察し、値踏みするような目で瞳を見つめた。
「そなたが賢者エストか。あまり強そうには見えないな」
「賢者って言っても魔術師だよ? 斬ったり殴ったりするより、灰すら残さず燃やす方が得意なんだ」
失礼な物言いの村長に無表情で返したエストは、差し出された手を握った。その瞬間、岩に挟まれたように強い力で握られるが、エストは瞳を赤くして全力で握り返した。
すると、バキボキと嫌な音を立てて村長の右手がひしゃげ、五指が紫色に変色した。
「がああああっ!! な、何が魔術師だ!」
「君こそその体で叫ぶのはなに? 痛覚を殺す技術も無いのに、よく手を出したね。……あ、上手いこと言った」
痛みに苦悶の声を上げ、即座に衛兵がエストに剣を向けるも、瞬く間に地面から伸びた氷が兵士の剣を凍てつかせた。
「握手しただけで剣を向けないでよ。君たち、僕に守ってほしくて依頼したんでしょ? あんまりな態度だと帰るから。ね、ヌーさん」
『ヌゥ』
ヌーさんも同意するように声を上げると、エストは杖を振った。それと同時に村長の右手を治し、兵士の剣を解放してやると、姿勢を正して言う。
「僕は60万リカで依頼を受けたわけだけど、さっきの仕打ちと治癒に関してギルドに報告を入れる。人を安く買い叩いた村長にも、それを受け入れたギルドにも腹が立つけど、残念ながら署名は既に済ませてしまった」
後悔こそしていないものの、エストにも思うところはある。指名依頼は強制されるが、報酬が割に合わない場合は議論の場を設けるべきだと。
終わったら文句をぶつけてやる気満々のエストは、村長に鋭い視線を刺し、言葉を続けた。
「早く防護柵の建築予定地に連れて行ってよ。周辺の魔物を狩る」
「……やってくれるのか?」
「やりたくないけどね。ほら、早く立って。イライラすると魔術が暴発するんだ。村が消し炭になってもいいの?」
と、イライラしているように腕を組んで言えば、すぐに村長が案内を始める。
これにはヌーさんも、よくもまぁ思ってもいないことを平然と言えるものだと、エストの背中を鼻でつついた。
嘘も方便だと言うエストだが、今回ばかりは演技が下手だった。
兵士たちの後ろに居た村人の中には、当然魔術の知識がある者も居り、賢者ともあろう魔術師が感情の制御を出来ないとは思えなかったのだ。
かくして、村の中で演技がバレつつも建築予定地に案内されたエスト。
そこは開拓村の畑を広げようと切り拓いた土地なのだが、ポツポツと残った木々が目立ち、その全てがトレントであったのだ。
依頼文だけで勘違いしていたエストは、開拓村を興すための討伐依頼ではなく、拡張工事のための討伐依頼だと知った。
「嫌な間隔で発生してたんだね。絶妙に2体で叩ける位置に居る」
それは事故で学んだ村人は、自分たちでは倒すことが出来ないと判断し、ギルドに依頼を出したところ……誰ひとり、村にすら辿り着けなかった。
「まさか道中のトレントも凶暴化しているとは思わず……Aランクの失敗を複数受けて、貴方に依頼したのだ」
「ふざけるな。こんなに澱んだ魔力で満ちた森に魔術師を呼ぶな。お前は僕を殺したいのか? 娘が産まれたばかりの僕を? ……と殴りたい気持ちを抑えて言うと、確かに実力に見合うAランク冒険者は僕だけかもね」
「…………申し訳ない」
「いいよ。星付きになればいい話だから」
エストは全員を少し下がらせてからヌーさんのお腹をぽんぽんと叩けば、牙を剥いたヌーさんが
目覚めたトレントが枝をしならせてヌーさんに打ち付けるが、
巨体に見合わぬ素早さで回避すると、トレントの幹を折り、根を断ち切って倒してしまう。
その暴れっぷりを見ながら氷のソファに座るエストに、思わず村長が声をかけた。
「よ、よいのか?」
「運動不足だからね。散歩も躾の一環だよ」
「……散歩と言うには激しすぎると思うが」
村長はそう口にするが、事実ヌーさんにとっては激しい運動にもなっておらず、硬い肉を食べる感覚でトレントの幹を噛み砕いていた。
しかし相手がトレントだけなので、ヌーさんは段々と飽きを見せ始めた。察したエストが立ち上がれば、残った10体のトレントが根を張った、硬い地面を隆起させる。
弱点である根を露出させれば、次の瞬間にはヌーさんが噛み砕いて倒し回り、数分程度で畑予定地が更地と化した。
「柵を建てる部分に線を引いて。周辺の魔物を倒してくるから」
「承知した。皆、聞いていたな!」
村長の掛け声で
ある程度の範囲が見えてきた辺りでヌーさんを狩りに出したエストは、防護柵の材料はあるのかと聞く。
「無論、整えてある。貴方が来てくれるまで、時間があったものだからな」
エストはてっきりこれから用意するもの思っていたが、材料は余分に作っていたらしい。
後は運搬と施工だけという村長に、エストはすぐに取り掛れるよう、『ここに持って来て』と指示を出した。
そうして数時間ほどかけて集められた材料を並べていると、周辺のトレントや狼系の魔物、それにゴブリンを食べたヌーさんが帰ってきた。
爪と口の辺りに付いた血を水で落としてもらうと、エストの前で腹を見せたヌーさん。
「お腹パンパンだね。いっぱい食べた?」
『ヌフッ』
「よかったよかった。いっぱい食べて、大きくなってね」
満足そうに尻尾を振るヌーさんに抱きついたエストは、お腹を押さないよう気をつけて撫でていた。
「……これ以上、か。既に充分恐ろしいぞ」
『……ヌゥ』
「ヌーさん怒ってるよ。“怖い”じゃなくて、“カッコイイ”でしょ? こんな大きい狼を見て興奮しないなんて、村長は僕と友達になれないかもね」
「す、すまない。怒りを鎮めてくれ」
エストに撫でられて気分を良くしたのか、作業する村人を守る番犬の如く見守るヌーさんだったが、皆にとっては雑な作業に目を光らせる監督者のようだった。
ここまで長時間移動の疲れを見せないエストだったが、静かにヌーさんにもたれかかると、大きく息を吐いた。
「エフィ、システィ……早く帰りたいよ」
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