第363話 冷たい魔術師
「見えてきた、アレがシュバイドの街だね。ヌーさん、真正面から行くよ」
午前7時を回った頃、今日も変わらぬ一日が始まろうとしていたシュバイド住民は、門の騒ぎを聞いて集まっていた。
騒然とする民衆の間では、『賢者が来た』という話と『魔物が来た』の2つが入り乱れるように飛び交う。
まさか両方とも真実だとは、開門前の民は思うはずも無かった。
いざ門が開けば、見上げるほど大きな翡翠色の狼に乗った、英雄として誰もが知る賢者エストが居たのだ。
「人、多いね。みんなヌーさんのもふもふ目当てかな?」
『……ヌゥ』
「あはは、ヌーさん毛繕い苦手だもんね。知らない人には触られたくないか」
ぽふぽふと背中を撫でられながら街を闊歩するヌーさんは、大量の兵士を後ろに連れてギルドへ向かう。
四風狼と三奇人の噂を知る者でも、まさかあの日の狼がここまで大きくなったとは、誰ひとりとして知らなかった。
民衆が怯えた目を向けていることに気付いたエストは、懐の亜空間から水晶のワンドを取り出した。
「邪魔にならない程度に遊んじゃおう」
エストがワンドを振って完全無詠唱の魔術を使えば、ギルドまでの道に氷の花々が咲き誇り、幻想的な道に作り替えた。
氷の花は種々に富み、触れると溶けて無くなる儚さに目を奪われた民衆は、キラキラと輝きながら舞う何かを手に取った。
見ればそれは、艶やかな色がついた氷の花弁だった。
体温で溶けて魔力に還る演出に、老若男女の心を惹き付けたエストは、ふと王都の凱旋を思い出す。
「邪魔しかしてないや。まぁいっか」
『ヌゥ!』
「ヌーさん? 花びら食べるの辞めようね」
『……ヌゥヌゥ』
首を横に振ったヌーさんは、その後も花弁をつまみ食いしながら冒険者ギルドの前まで来ると、綺麗な『おすわり』のポーズでエストを降ろした。
犬の芸ならば可愛いものだが、
頭を下げたヌーさんの頬を撫でたエストは、騒動の中で正面からギルドに乗り込んだ。
何食わぬ顔でコツ、コツと足音を立てながら歩く姿に、ギルド中の視線を一点に集める。尊敬、畏怖、嫉妬……様々な感情がこもった視線を浴びながら、カウンター前に立つ。
冷や汗をかいた受付嬢も何故か立ち上がると、エストは貼り付けたような笑みを浮かべた。
「で、本当に60万リカで指名依頼をこなせばいいんだね? 開拓村が防護柵を建て終わるまで村を守る。だから一度、森を灰にして時間を稼ぐ。これが値段相応の仕事だよ」
そう言い放った瞬間、ギルド内は空気が凍る。
ランク相応の依頼ではあるが、金額相応の依頼内容かと言われれば、そうではない。何せ、開拓村と言えば死者が続出する“
今の冒険者なら場所を聞いただけで依頼を断るが、受けるにしても3倍の金額は無いと頷けない内容だった。
指名依頼の相場を知るBランク以上の冒険者たちが受付嬢の方を見れば、彼女の隣に居たもうひとりの受付嬢が立ち上がる。
「構いません。やれるものならご自由に」
「うん、事前確認は終わり。依頼書を出して」
エストは改めて差し出された指名依頼書に署名すると、カウンターを背にして杖を取り出した。
何かするんじゃないかと緊張が走るが、エストはただ静かにギルドを出て行った。そして待機していたヌーさんに乗ると、開拓村のある業魔の森へと向かう。
のしのしと歩くヌーさんだったが、エストが氷の柱を階段状に創り出すと、速度と高度を上げて駆け上がり、一気に街の外まで跳躍した。
「あの森か。随分と魔力が澱んでいるね」
空中で目的地を確認すると、魔力探知で魔物を探すエスト。しかし情報通り魔力の澱みが感覚を狂わせ、魔物どころか村を感知出来なかった。
このまま燃やせば村ごと焼き払ってしまう恐れがあるので、顎に手を当てて考え込むエスト。
ふわりと着地したヌーさんが業魔の森の前で足を止めると、冷たい魔力の感覚に大きな尻尾を振る。
ヌーさんが振り返れば、
物は試しとエストが杖を振った瞬間、風で木々がざわめく……なんて表現を嘲笑うように、暴風で森が悲鳴を上げた。
滞留していた魔力を物理的に吹き飛ばすことで業魔の森の地形を把握したエストは、再び澱み出す前に村を見つけた。
そして次の瞬間、エストの上空には6つの魔法陣が重なった、深紅の相乗魔法陣が出現する。
その魔術は非常に強力なことで知られる
「ッ! あっぶな」
後は発動させるだけ……というところで、エストは大きく後ろへ跳んだ。
先程までエストが位置に鋭い蔦が鞭のように地面を打ち付け、
そして魔術の発動も遅かったか、再び魔力の澱みが業魔の森を覆ってしまった。
「厄介だな。でもこの感じ、澱みは自然発生じゃないね。元凶を叩いた方が早い」
『ヌゥ?』
「うん。真正面から行こう。この森は……嫌な予感がする。変なことをして手痛いしっぺ返しを食らいたくない」
エストとヌーさんは計画を変更すると、魔力の澱みの元凶を探すことにした。
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