第368話 死の輝き
「まだだな……本物を触って確かめないと。とりあえず一旦保留。耳の感触は本当に難しいな」
手のひらシスティリアの完成度を高めながら業魔の森を進むエストは、段々と濃くなる魔力の澱みに研究を邪魔されていた。
思うように魔術が使えない空間は魔術師として腹が立ち、
方向感覚を失わない程度には意識を保つエストも、いよいよ厳しくなってきたので澱みを吹き飛ばしながら進んで行く。
「魔術師を拒むような森だよ、全く……システィの手を借りたい」
吸い込んだ澱みは体内を循環する魔力のバランスを乱し、エストが常に意識している魔力操作を妨害するため、澱みに左右されにくい剣士が欲しい。
ガンガンと金属で叩きつけられるような頭痛の
「なに……あれ。水晶?」
キラリと輝く何かに目を奪われた。
ガラスのように透き通ったは、近付くほど澱みが濃くなり、エストが見たソレがほんの僅かであることを知る。
奥に進むと見える、不思議な巨大な水晶の塊。
圧倒される大きさと輝きに感心するのも束の間、それが入口だとは思いもしなかった。
「洞窟……? こんな所に?」
光の反射で気付きにくいが、ワイバーンなら余裕で入れる程度の穴が空いていた。地面の中から這い出てきたかのような洞窟は、壁面や天井の至る所に赤や青、緑色の水晶が生えている。
結婚指輪の宝石に似ていると思えば、宝石を溜め込む魔物……オルナメートの巣穴を思い出す。
「でもここ、表層も表層なんだよね。オルナメートが棲息するには適していないはず。自然発生とも思えないし……行くか」
数瞬の思考の後、ローブを羽織り直したエストは杖を片手に水晶洞窟に近付いた。
せめて穴の主を見てやろうと一歩踏み入れた瞬間、耐え難い頭痛と目眩に襲われ、激しい吐き気により未消化の食べ物を吐き出してしまった。
一瞬にして平衡感覚が失われ、空間属性の適性があったから何とか離れられたものの、水晶の近くでエストは座り込んだ。
「……澱みの発生源はここだね。ははっ……最悪の気分だ。鳥肌が治まらない」
魔術師としては毒の海に片足を突っ込んだような感覚に、朦朧とする意識の中、体内を巡る魔力だけは整えた。
数分ほど横になり、外気の澱みが優しく感じる程度には感覚麻痺を起こした体で空を見る。
蒼く突き抜けた空間の果てには、どれほど澄んだ美しい魔力で満ちているのか。そんな妄想をする程に目が回っていたエストだったが、10分ほどして平静を取り戻す。
魔術を使うのも一苦労な状態で、
「澱んだ魔力を凍らせたら行けるかも?」
エストは動かしにくい魔力で術式を構築し、瞬きをする間もなく
水晶に触れた冷気が消滅し、かろうじて液体化した魔力も、水晶によって消されてしまった。
「ほぇ? 消えた……というより吸収された」
似たような感覚は経験がある。ジュエルゴーレムのアルマに触れた時や、無色の魔石に魔力を注いだ時がそうだ。
しかし、最も近い感覚は抗魔の鎧……アルタマイトに魔術を撃った時だ。
外部の魔力を吸収、そして分散する力が強すぎるあまり、術者は自身の魔術が消えたと錯覚する。
エストは再度水晶に向かって魔術を放つと、やはり異常な速度で吸収された魔力が、周囲の魔力に混ざって放出されている。
そのため、発生する澱みの中に僅かだがエストの魔力が感じられた。
「はいはい、わかってきたね。これ、洞窟の奥に何か居る。絶えず澱みを生み出す誰かが居ないと、村の方まで影響を与えるなんて到底無理だし」
ブツブツと呟きながらその“誰か”を観測する方法を模索するエストは、まずは水晶の性質を充分に理解するところから始めた。
つまりは観察であり、全ての属性魔術を吸収した際の反応から、侵入の糸口を掴めないか実験する。
「
異なる属性を交互に、そして同時に水晶へ放つと、400倍の4属性同時攻撃をした際に、吸収した魔力から明確に属性を感じ取ることが出来た。
「なるほどね。澱みを解析したら、元凶の属性を割り出すこともできそうだ。外の澱みはかなり薄い方だから…………え、また入るの?」
エストは杖を仕舞い、変性しにくいガラスの試験管と蓋を手に、入口の前で立ち止まった。二度と経験したくないような頭痛と吐き気に襲われることに、体が拒否反応を示している。
足が震え、口が乾き、音に敏感になる。
風で葉が擦れただけで振り返り、こんな経験はいつぶりかと、鍛錬の記憶を辿ってしまう。
「師匠に闇魔術を教わった時以来かな」
魔女の闇魔術により、感覚が異常に鋭敏になった時と似ていた。今はもう、それも経験であり、エストを構成する要素のひとつとなっている。
では、今回も挑めるのではないか。
これも成長のためだと言い聞かせ、一歩、また一歩と入口の方へと進むと、死の輝きを放つ水晶を視界に入れた。
滞留する超高濃度の澱みに入った瞬間、猛烈な頭痛に苦しみながらもう一歩踏み込めば、足元の空気を瓶に入れると蓋を閉める。
その後は一目散に洞窟を出ては、大量の魔力が混ざった嘔吐を繰り返した。
「はぁ……はぁ……帰ろう。かなりの量、澱みを……吸いすぎた」
よくここまで頑張った。そう自分に言い聞かせながら、木に手をついて森へ歩くエスト。
しかし、ここは業魔の森である。
ちょうど村まで半分といった距離で、トレントに手をついてしまい、しなやかな枝が振り下ろされた。
「……燃やすぞ?」
枝がエストに触れようとした瞬間、真っ赤な瞳で見つめられたトレントは、植物系の魔物であるにも関わらず、本能から恐怖を呼び起こされた。
ピタリと枝を止めたが、勢い余って葉っぱがエストの髪に触れた。これにはトレントも『やってしまった』とばかりに幹を硬直させるが、エストはとぼとぼと歩いて行った。
「の……──賢者殿! 目を覚ましてくれ!」
いつの間にか気を失っていたエストは、村長に肩を揺さぶられて瞼を持ち上げた。
空は既に薄暗く、視界の右端に映る翡翠色の毛はヌーさんだろう。ひょこっと狼の耳が立ち上がると、だらりと下がった右手の匂いを嗅がれた。
ゆっくり体を起こせば、そこは朝エストが居た家……村長の家の前だった。
周囲には何人もの村人が集まっており、セリナ主導で薬草の収集と薬の調合、医療知識のある者が総出でエストの救助に当たっていた。
「あぁ……まだ頭が痛い。ヌーさん、モフ」
『……ヌゥ?』
「横腹貸してって意味」
『ヌゥ』
村長の腕から離れ、ヌーさんの柔らかい横腹に全身をうずめると、お日様の匂いがするヌーさんを余すことなく堪能するエスト。
体内に取り込んだ澱みを洗い流すようにヌーさんを吸っていると、セリナが1杯の薬を持ってきた。
「こちらを。魔力循環を調える整魔力薬です」
「それって材料に魔石を使う薬だよね?」
一般的に魔力欠乏症を緩和する目的で使われる薬だが、これは対象の適性属性と同じ属性の魔石を使う必要がある。
エストの適性は時間と空間。空間は無色の魔石で代用可能だが、時間の属性魔石はまだ発見されていない。
そのため、エストに合う整魔力薬は存在しないのだ。
「はい。エストさんに合わせて、4属性の魔石粉末を入れましたが……」
「……まぁいっか。頂くよ」
ルコル草のエキスと粉末状の魔石、そしてその他薬草数種類を混ぜて煮詰めた薬は、尋常ではない苦さを誇る。
魔術師の中には、この薬を飲みたくないがために欠乏症手前で魔術の行使を辞める者も多い。
しかしエストは、限界まで魔力を使い、重度の欠乏症に至ることで魔力量を増やしてきた。氷獄での鍛錬では薬も無く、この苦味を経験したことは無い。
一思いにグビっと呷り、無表情でセリカを見つめる。
「ど、どうですか?」
「泥水で淹れた紅茶を2時間外気に晒したような味」
「うふふ、良薬は口に苦し、ですね」
本来なら吸収された魔石がすぐに欠乏症の症状をやわらげるのだが、エストは体内の澱みが代謝によって押し出されるような感覚を覚え、効果を実感した。
「賢者殿、村の手前で倒れていたのだ。覚えてないか?」
「澱みの原因っぽいのを見つけて、研究したら澱みを吸い込みすぎて、意識朦朧の中で帰ったところまでは覚えてる」
「澱みの……原因?」
セリナが真っ先に反応を示すと、家で話を聞かせて欲しいと村長に頼み込んだ。
二つ返事で了解を得ると、ぱたぱたと自宅の方に走っては、トレント紙とペンを持って帰ってきた。
ヌーさんには畑でまた会おうと言って別れたエストは、村長とセリナに、澱みの原因──
水晶洞窟のことを語るのだった。
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