第72話 旧帝国の足跡


 およそ800年も前のこと。

 人類は呪術と読んでいた魔法を、術式という型に当てはめようと躍起になっていた。


 髪の赤い者は火を。

 青い者は水を。緑の者は風を。

 ある程度使える魔術の傾向が分かった辺りで、旧帝国エルガレは大きく発展した。


 土魔術で造られたレンガを積み、城を建てた。

 水魔術で見つけられた井戸は人々の渇きを潤し、良質な作物を育てる命の道となった。



 その中でも、火魔術は大きな進化を遂げた。



 火の形を自在に操り、球や針、矢、剣などの武器と化し、迫り来る魔物の軍勢を大きく退けた。

 人類も魔物も敵わない最強の国。

 そんな噂が流れる頃に、高度な知能を持つ魔物が街を滅ぼしていった。


 人類と同じ言葉を使い、魔術を使う。

 人と似た姿を持つが、明らかに違う。

 頭には天を穿たんとする角が2本。

 圧倒的な魔力量。

 人智を超えた寿命。

 感情の薄い、殺すことしか頭に無い化け物。


 人はそれを、魔族と呼んだ。


 そんな魔族に、旧帝国は一夜にして滅ぼされた。

 硬いレンガは野菜のように切られ、城は半壊。鋭く伸びた爪で首を刺し、飲むように血を吸った魔族は強くなってしまった。


 もう誰も倒せない。

 絶望の文字が目前に迫った時──




「初代賢者、リューゼニスが魔族を倒した」




 公爵領レガンディの中央広場。

 噴水の上に立つ、杖を持った短髪の好青年の銅像。足元には『リューゼニス』の名前が刻まれ、彼の功績でリューゼニス王国とレッカ帝国には大きな繋がりが生まれた。


 2人はそんな銅像の前に立つと、広場を走り回る子どもに目を向ける。



「旧帝国は確かに滅んだ。でも」


「平和になった。そんなこと、子どもの顔を見れば分かるわ」



 しかし、近年はダンジョンの活性化の影響で魔物が強くなっている。初代賢者が守った平和も、再び魔の手が伸びるのは時間の問題だ。



「リューゼニスは空間魔術を使って魔族を倒したらしい。撃たれた魔術を虚空に消し、相手の背後に出現させたとか」


「……そうなの?」


「師匠が言ってたんだ。『空間魔術の始まりは初代賢者から』ってね。僕も使ってみたい」



 知らない魔術は面白いと感じるエストは、旅の目的として時空魔術に関する魔道書の入手を挙げている。

 使えるか分からない以上、使ってみないと分からない。そんな曇りのない好奇心で作られた目的は、叶わないと言われている。


 なぜか。それは──



「バカなの? 空間魔術は失われた魔術。魔道書が残ってたら、失われた〜なんて言われないの」



 失われた魔術ロストワイズ。それが空間魔術である。

 キーワードも術式も、魔法陣すら残っていない、ただ存在したことだけが認められた魔術。日夜魔術師が研究しているが、それらしい情報を掴んだことはただの一度も無い。


 賢者の残した手記にも、空間魔術は『よく分からない』と書かれていた。



「それでいい。僕が見つけて、魔道書を書く。そうすれば、面白さを広められる」


「正気なの? 変な物でも食べた?」


「システィの作った物しか食べてないよ」


「……そうだった」



 エストに言われて、ぽっと顔を赤くしたシスティリアに、安心させるような優しい声色で言った。



「魔術師は頭がおかしいんだ。正気を疑われてるうちは、まだ魔術師で居られる。通常だと思われた時が、魔術師としての死だと思う」



 どうしようもなく魔術が好きな変態。

 そんな認識が薄れる前に、もっと深く魔術の世界に飛び込み、息継ぎもせずに潜り続ける。

 魔術師とは、そんな異常者にこそ向いているのだ。


 誰よりも魔術を愛し、魔術に愛されたエストが言うものだから、システィリアは納得してしまった。



「仕方ないわね……アンタが魔道書を書き上げるまで、アタシが支えてあげるわ。感謝しなさい!」


「うん、ありがとう。できれば書き上げてからも支えてほしい」


「っ……! あ、当たり前よバカ!」



 この際、書き上げることが前提なのはどうでもよかった。ただ好きな人が、この先も一緒に居てほしいと言ってくれたから。


 広場を離れて宿を取った2人は、冒険者ギルドに来ていた。

 めぼしい依頼は残っておらず、住民の家で直接依頼を受けるか、魔石と薬草の納品ぐらいしか出来ることが無い。


 夏は依頼の質も悪くなるので、この時期の冒険者は屋台や土木工事の手伝いで日銭を稼いでいる。



「ん? システィ、これ」


「農地の草刈り? 報酬は……家宝の魔道書」


「受けよう。僕らなら余裕だ」


「アンタ、報酬しか見てないわね!? 帝国の農地の大きさを舐めんじゃないわよ!」



 システィリアの忠告を聞きながらも受理を済ませると、農地のある方へと歩き出す。

 帝国は大陸でも有数の農業国であり、麦の収穫量は世界で一番。それゆえに、農地の大きさも尋常ではない。


 街を出てすぐ、目的の農地はあった。



「……地平線まで続いてる」


「だから言ったのに……はぁ」



 南へ500メートル、東へ20キロメートルの広大な土地が、今回の仕事で雑草を刈る範囲である。そのあまりの広さにエストは絶句し、システィリアは頭を抱えた。


 かつての魔族が散った土地は、魔力が豊富な土になり、作物が異常なほど元気に育つのだ。



「ほっほっほ。期限はありませんからな、地道にやってもいいのじゃぞ?」


「……数日もすれば追加の雑草が生える」


「よくお分かりで。そう、それに気づいた冒険者が依頼を失敗して、毎年残り続けるのじゃよ」



 依頼人のお爺さんはそう言うと、2つの麦わら帽子を手渡した。システィリア用の帽子には2箇所の穴が空いており、耳を出せるようになっていた。


 あとは頑張れ。


 そう言ってお爺さんは離れて行った。

 眩しい陽射しを吸収する、緑の穂をつけた麦が凪ぐ。

 おもむろに氷の椅子と机を出したエストは、一枚の紙とペンを持って何かを書き出した。



「システィ、よろしく」


「──はぁ!? アタシに丸投げする気!?」


「大丈夫、ちゃんと見てるから」


「見てるからって……お昼ご飯抜きよ!?」


「いいよ。だから頼んだ」



 一心不乱に何かを書くエストに失望し、システィリアは雑草刈りを始めた。

 ブチブチと根っこごと引き抜いていくのだが、すくすくと育った雑草は根が強く、身体能力の高いシスティリアでもかなり力を入れなければ抜けないほどだ。


 収穫しやすいように人が通れる幅の溝があるが、一部はその溝が見えないほど、雑草で生い茂っている。



「全く……なによっ! アイツ……ふんっ!」



 小さな面倒事はよく押し付けるエストだが、ここまで大事な仕事を丸投げしたことは無かった。

 その無責任さに半ば呆れ、自分が好きになった人はこうも雑な人だったのかと、システィリアは悲しい気持ちでエストを見た。


 いつになく真剣に何かを書いてるが、それがとても腹立たしい。


 数秒考えたらしばらく文字を書き、また数秒考えたら文字を書く。暑い中頑張っている姿を横目に、まだ何かを書いていた。


 彼女の喉に一筋の汗が垂れた1タイミングで、エストが顔を上げた。



「できた。システィ、休んでいいよ」


「……は? アンタが押し付けたんでしょ」


「うん、だからもういい。あとは僕がやる」



 そう言ってエストが杖を構えると、麦畑の一角を埋め尽くす程の、風と土の混合した多重魔法陣が現れた。

 8つしかない構成要素で作られたそれが輝くと、一度だけ、ぐらりと麦たちが揺らいだ。



「ねぇ、何してるの?」


「雑草刈り。そこの草、触ってみてよ」


「はぁ? 何を…………嘘っ!?」



 システィリアが雑草に触れた瞬間、青々としていた葉が屑になった。

 風が吹いて麦が凪ぎ、その衝撃で次々と雑草が粉々になっていく。これが先程エストが使った魔術であり、依頼達成への鍵となる。



地形変形アルシフト風刃フギルの組み合わせ。我ながらスマートな術式になったと思う」



 ポンポンと農地全てに魔術を掛けていくと、2時間も経った頃には、麦の生育を邪魔していた雑草は影も残さず消滅した。


 雑草は土の中の根まで細切れにされているため、再び生えてくるには長い時間が必要になる。



「……もう、滅茶苦茶ね。アンタの魔術」


「魔術は使い方次第。良い例でしょ?」


「アンタにしか出来ないのよっ!」



 その後、依頼人のお爺さんを呼ぶと、仰天して言葉を失ってしまった。何とか意識を取り戻したお爺さんから魔道書とお金を受け取った2人は、ギルドで達成報告をしていた。



「この依頼を達成したのは、お2人が初めてです」


「コイツが居なきゃ無理よ」


「システィも頑張ってた」


「1パーセントもやってないわよバカ!」



 こうして、初の雑草刈り達成者となったのだった。

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