第357話 変わらない髭のおじさん
「もうかえっちゃうの〜? おんせんとおわかれ?」
「そうだね。レガンディには温泉が無いし、また旅行で一緒に来るのはどうかな?」
「おにいちゃんと、おねえさまといっしょ?」
「もちろん。それまで良い子で居たら、今回よりももっと遊べるよ」
宿を出る前、足にしがみついたウルティスを説得したエストは、最終確認を終えたシスティリアから鍵を受け取った。
商会を通じて宿をとったせいもあり、その金額は目を背けたくなるものだったが、本来の予定期間分の値段である。
手持ちの現金を殆ど使って支払えば、宿の前から王都まで転移する3人。
屋敷の玄関前でフェイドと軽く話し、予定日の大幅な短縮を知らせた。
「まさか、そのような事が……では2人をご新居へ?」
「3週間後かな。こっちも忙しいし、シアとフィーネにも心の準備が要るでしょ」
「お気遣いありがとう存じます。では、時期になればエスト様がお呼びになるということでよろしいですかな」
「うん、よろしい。ごめんね、急な報告で」
「……2ヶ月も猶予があって急とは思えません。常人ではニルマースよりこちらまで、半年は要してもおかしくない距離。迅速かつ丁寧な報告、痛み入ります」
視界の端でカルが育てた花々を見るシスティリアたちが気になり、フェイドと別れたエストは3人で庭を見て回ることにした。
暖かくなると咲き始める花の彩りに魅せられていると、システィリアの首から汗が垂れていた。
「大丈夫? 少し休む……いや、帰ろうか」
「ふふっ……よく見てるのね」
「当たり前だよ。ウルティス、行くよ」
ハンカチで軽く拭ってあげてから自宅に転移すると、3人はすぐに手洗いうがいをしてリビングに入った。
ただいまを言う前にシスティリアを寝室で寝かせようとするが、ソファの方が良いと言われ、静かに頷く。
2人のただならぬ様子にまったりしていたアリアたちが駆け寄り、エストは治癒院で知った獣人の特性を語った。
ソファで横になったシスティリアは、ふーっと息を吐いて呼吸を整えれば、エストが優しく手を握る。
「なるほどのぅ……システィリアよ、遠慮するでないぞ。苦しい時はすぐに呼ぶのじゃ」
「ええ……ありがとう。エストもね」
「気にしないで。気分は悪くない?」
「水が欲しい。アンタの魔力を垂らしたやつ」
「すぐ作るね」
決して手を離さず、冷たくない氷のコップを創ったエストは、改変した
軽く揺らして魔力を馴染ませてから渡すと、若干体を起こしたシスティリアの喉がこくこくと鳴る。
「ぷふー……効くわねぇ」
「僕の魔力、大丈夫? 合法だよね?」
「多分合法よ。元気が漲るのを感じるわ。それより、頭撫でなさいよ」
「少し調子が戻ってきたね。耳のマッサージもしようか」
「お願いするわ。あ、膝枕じゃないとイヤよ」
ソファに座ったエストが膝をぽんぽんと叩くと、左膝の上に頭を置いたシスティリア。
彼のお腹に顔をくっつけるように膝枕をしてもらい、ほの温かい手で耳をほぐされる。
ぺたりと垂れた耳の背が手のひらに乗れば、親指で優しく揉みこみ、心地よさそうな吐息が聞こえた。
「はふぅ……あったかい」
「可愛いなぁ。システィより可愛い人、見たことない。見たくないけど……はぁ、本当に好き」
「……心の声ダダ漏れよ」
「……気のせいだよ」
気を抜きすぎたかと視線を逸らしたエストは、アリアに稽古を付けてもらうウルティスを見た。日に日に洗練されていく技に目を見張るものがあり、いずれはシスティリアを超えると思わせる具合だ。
しかし、エストの中ではそれは無いだろうと思っている。というのも、狼獣人の中で白狼族とそれ以外では、圧倒的なまでに身体能力に差があるのだ。
いつか勝てたら、それはウルティスの努力が種族の壁を超えた証となる。胸の内で応援しながらマッサージをしていると、ギラついた黄金の瞳がエストの顔を覗いていた。
「他のメスを見るなんて……襲うわよ?」
「体調悪いんだからダメだよ。しばらく休まないと」
「はぁ〜あ。つまんないわね。心は元気なのに体が不調……ねぇ、もっと頭撫でて。暇だわ」
「忙しいね。甘えん坊システィ?」
「そうよ。アンタにだけ甘えたいの。もっと甘やかしなさい」
アンタにだけ、なんて言われて断れるエストではない。耳を揉んでいた手で頭に手を置けば、さらりと髪を流すように撫で始めた。
尻尾をゆさゆさと振り、甘えたい気持ちをさらけ出すシスティリアだったが、突然耳を立てるとエストの服を掴んだ。
撫でるのを止めて首を傾げるエストは、玄関のドアがノックされる音を聞いて立ち上がる。
「誰だろう?」
「ふふっ、きっと驚くわよ」
「本当に耳が良いね。王様とかは嫌だなぁ」
そんな独り言をこぼして鍵を開ければ、手入れの足りない茶髪を伸ばした背の低い男と、橙色のショートボブヘアーが特徴的な女性と目が合った。
エストは目をぱちぱちさせ、一言。
「まだ夏じゃないよ」
「茶を出せ。とびきり美味いやつをな」
「あ、あはは……お久しぶりです、エストさん」
聞きなれた声の2人に笑顔を向け、頷いた。
「久しぶりだね、ブロフ、ライラ。予想よりかなり早く来たね」
右手を差し出すと、流石はドワーフといったところか。常人なら骨が砕けるであろう力で握り返され、エストの頬がピクピクと痙攣していた。
「フラウ公国を目指す道中、たまたまレガンディを経由するものでな。2人の顔を見に来た」
「本当はかなり心配されていましたよ? 身重の体で魔物と戦っているんじゃないか〜とか、エストさんが過干渉になって喧嘩しているんじゃないか〜とか」
「……3割正解かな。まぁ入ってよ」
そうして靴を脱がせて手洗いをしてもらい、念の為に
2人が近寄れば、その大きなお腹に改めて
「いらっしゃい。ライラ、髪切ったのね」
「お、お邪魔します! 短い方が動きやすいので……体調は大丈夫ですか?」
「ちょっと微妙。エストに撫でてもらっていたの。それににしてもブロフは変わんないわね。剣の腕は成長したのかしら?」
「無論だ。これまで4つの臨時パーティを組み、全て解散させた」
「前言撤回だわ。めちゃめちゃ変わったのね」
居住まいを正そうとする彼女を止め、空いているソファに2人を座らせると、手ずから紅茶を淹れたエスト。
まだまだアリアやシスティリアには敵わないものの、2人か満足出来るレベルには紅茶の淹れ方を学んでいた。
「はいどうぞ。1杯600リカね」
「え゛っ……ゆ、有料ですか?」
「ライラ、そういう時は1億リカ分頼め」
「なるほど! では1億──」
「僕、亜空間に茶葉を保管してるけど」
「……払いましょう」
「1億払うらしいわよ。やったわね!」
「そ、そういう意味じゃ……ふえーん!」
冗談だよと言いつつ配られた紅茶をひと口含んだライラは、600とまではいかないものの、1杯200リカは出してもいいと思える程に美味しかった。
これにはブロフも深く頷き、香りを堪能している。
「で、あれから何かあったのか?」
「う〜ん、魔物をいっぱい倒したくらい。あと、ボタニグラの安全栽培が成功中ってところかな」
「……何を言っているんだお前は」
「後で庭を案内するよ。ブロフの方はどう?」
コト、とカップを置いたブロフは、遠くを見る目で天井を仰ぐと、ここ数ヶ月に起きた2人旅を語る。
「臨時パーティが全て、魔物に食われた」
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