第356話 お〜んせん


「ここに突きを。そう、次。よし最後」


「えいっ! ……ぜんぶあたった!」



 ギルドの訓練場で剣の突きを学ぶウルティスは、8歳児には見えないほど、洗練されつつある剣技でエストの盾を突く。


 傍らで見るシスティリアは冷静に動きの癖を分析し、他の冒険者たちはその動きに声を上げていた。



「腰を入れるだけで動きのキレが増す。これからは意識して特訓していこう」


「うん! これでおねえさまをたおす!」


「……3年後とかにしてあげて」


「アタシに挑むなんて10年早いわ」


「意外と短かった」



 エストの背後から挑発的な笑みが飛んでくると、朝の鍛錬は終わりにして3人でニルマース巡りを始めた。

 朝から繁盛しているレストランに入っては、名物の地火魚ちびうおを使った焼き料理を食べ、街の至る所にある足湯を楽しんだ。


 何ヶ所かある異常に人が少ない足湯にエストが入れば、そっと2人を止めた。



「ここ、信じられないくらい熱い」


「あたしあついのへいき!」


「アタシは辞めておくわ。無茶はダメよ?」



 浸かっている足がジンジンと疼くような、温泉と呼ぶには相応しくない、熱湯の足湯に挑戦しようとするウルティス。


 エストは反射的に温度を下げようとしたが、お湯の痛みを経験するには良い機会だと思い、グッと堪えた。


 恐る恐る小さな足が水面に触れるも、表面はまだ熱くない。しかし油断したのか、足首まで一気に入れたウルティスは、あまりの熱さに飛び跳ねた。



「い、いたい! いたいよおねえさま!」


「も〜、だから言ったじゃない。足、見せてごらんなさい。治癒ライア



 涙目になってシスティリアに抱きつき、プルプルと震えながら差し出した足は真っ赤になっていた。


 光魔術の適性が上げられたシスティリアは、即座に光魔術を使い、ウルティスの治癒力を高めることで火傷を治していく。


 すぐに痛みと赤みが引いたが、火傷なだけあって凄まじい痒みに襲われたウルティス。

 歯を食いしばって耐えていると、今も涼しい顔で浸かるエストに疑問の声を上げた。



「おにいちゃん……へいきなの?」


「うん。体が丈夫だからね」


「……あたしも、なれる?」


「なれるよ。鍛錬を続けて、恐怖に立ち向かえるようになれば確実に」



 隣に座ったウルティスがエストの脇腹に耳を押し付けると、氷のように冷えた手で撫でられた。

 この冷たさが秘訣かと思うウルティスだが、本当は炎龍が関わっていることに気付けるはずがなかった。


 炎龍と氷龍。高温と低温の頂点に坐す龍の魔力が流れる肉体は、異常なまでに熱に強くなっている。



「……適当なこと言っちゃって」


「嘘じゃない。対処を学ぶのも成長だからね」


「──ぷふっ! ねぇ、これ見なさいよ」


「え? …………え?」



 そうして足湯を出たエストは、背後の壁に書かれていた『調理用』の文字を二度見した。

 どうやらここは、足湯ではなく食材を熱するための湯らしい。


 幸いにもウルティスは気付いておらず、そっと熱湯に浄化ラスミカを使うと、足早に去っていく。



 手を繋ぎながら尻尾で尻を叩かれたエストは、恥ずかしそうに顔を逸らしては、道に飛び出しそうになるウルティスの手を引いた。



「……つらい」


「は〜、面白かった。出汁が出てそうねっ!」


「……どうりで人が居ないワケだよ。誰にも見られていなくてよかった」


「アタシ、見〜ちゃった〜! 茹でエスト……ふふっ!」



 可笑おかしげにエストの顔を覗き込んでは、心底楽しそうに尻尾を振る。そんな彼女を見て、つられてウルティスも笑っていると、少々値が張る食事処に連れて来られた。


 ここは以前、学園の講師をしていた時にシェリスがエストに薦めた料理店であり、王侯貴族も楽しむ隠れた名店だそうだ。


 どこかおごそかな雰囲気の廊下を抜けると、マース火山を一望する大きな窓が特徴の、静かなレストランが広がっていた。


 その静謐さは王家の一室を思わせる、荘厳さから来るもの。どこか尻尾が粟立つような感覚に、2人はエストの手を握る。



「ようこそエスト様。貴方が訪れることを心待ちにしておりました」



 礼服を纏う筋骨隆々のウェイターが頭を下げると、2人がエストの顔を見た。



「シェリスから伝わってた?」


「はい。食べることがお好きなエスト様は、必ずここに訪れると。ご案内致します。システィリア様、お嬢様も、どうぞ肩の力を抜いてください」



 柔らかい笑みを浮かべたウェイターに案内されると、緊張で固まったウルティスの隣にシスティリアが座った。



「ここ、しずかでこわい」


「これも経験だよ。ほら、火山を見てみて」


「きのうおにいちゃんがいったとこ!」


「そうだよ。前はシスティも一緒に、てっぺんまで登ったんだ。いっぱい魔物が居たけど、システィがぜ〜んぶ倒しちゃったんだ」


「おねえさますごい! かっこいい……」



 誇張された過去に酸っぱいものを食べたような顔をしたシスティリアだが、隣から輝いた視線が突き刺さるもので、否定しづらかった。



「ま、まぁ? アタシにかかれば余裕よ!」


「頼もしいね」


「たのもしい!」


「……もうっ」



 興奮するウルティスを撫でて、緊張をほぐすシスティリア。気付けば自身の緊張もほどけており、対面で微笑むエストに小さく感謝した。


 しばらく雑談をしながら待っていると、3人にそれぞれ子ども用、妊婦用、標準と、量も食材も気にせず楽しめるようにコースが分けられて提供すると告げられた。



「アタシ、テーブルマナーって苦手なのよね」


「気にしなくていいよ。それに、お姉ちゃんから教わったマナーなら、どこに出ても恥ずかしくないって言ってたし」


「……今更だけど、妙に所作が綺麗なのはアリアさんの影響なのね」


「ウルティスもその辺りは叩き込まれてるし、下品な食べ方をしなければ大丈夫だよ」



 静かに前菜を食べるウルティスは、テーブルに散らかすこともなければ口の周りも汚さず、アリアの教え通りに食べている。


 というのも、品の無い食べ方を見せると、怒ったアリアがオーガの形相で怒るのだ。ウルティスは本能にまで刻まれた龍人の恐怖に抗えず、大人しく教えを守っている。


 感心した様子でウルティスを見たシスティリアも、過去に怒られた思い出を脳裏に浮かべては綺麗にフォークで食べていく。


 ちらりとエストの方を覗けば、普段と変わらない様子で美味しそうに食べる彼が居た。



「エストは自然体が一番綺麗なのよね」



 酸味の効いた前菜を食べ終わったタイミングで、パンと一緒にスープが出てきた。

 スープにもシェフのこだわりが詰め込まれており、しっかりと考えられたコース料理は、華やかな彩りのおかげで王族になった気分を味わえる。


 次から次へと出てくる料理に興味を持ったのか、システィリアにコースについて訊いたウルティスは興味深そうに聞いている。


 肩の力を抜いて食べるコース料理は、3人にとって貴重かつ楽しい記憶となった。




 豪華な昼食を終え、通りに出た3人。


 う〜んと伸びをしたエストは、午後から温泉巡りをして楽しもうと予定していたが、妊婦のシスティリアと幼いウルティスを手の届かない場所に送るのを恐れ、実行前に2人に相談した。


 しかし、帰ってきたのは意外な返答。



「そうね。長湯の心配は無いけれど、獣人の妊婦は些か居心地が悪いわ」


「おにいちゃん、いっしょじゃないの?」


「……聞いてよかった。でも、中止となるとダンジョンに行──いや、あそこがあるのか」



 ふと思い出したように呟くエストに、システィリアが手を握った。



「何か案があるのね。それにしましょ?」


「うん。それじゃあ行ってみようか」


「どんなとこー?」


「僕も見たことがないけど、巷ではこう言われているよ……ニルマースが誇る、自然の名所」



 あれから30分ほど、火山の南部に向けて伸びる小さな道を歩く3人は、生い茂る木々から漏れる、柔らかな陽光を浴びていた。


 変わらない景色に、本当にこの道で合っているのかと疑う気持ちが湧いてくれば、街からほど近い場所にあるという名所が、耳を通じて知らせてくれる。


 ザーザーと水が落下する音が耳朶を打つ。

 2人の狼耳がピクっと動くと、システィリアが道の先を指さした。


 何かを言おうとする彼女の口に人差し指を当てたエストは、少しペースを早めて歩き出す。

 そうして木々の隙間を抜けた先には、水飛沫と共に大量の湯気が充満する、大きな滝つぼが広がっていた。


 見上げれば、火山にほど近い場所で湧いた温泉が20メートルは上から流れ落ちており、泉質のせいか白濁とした湯の滝つぼが見る者の目を奪う光景を作り上げた。


 ほぅっと3人が息を吐くと、他にも旅人や観光客が、同様に滝を見上げていた。



「綺麗……不思議な景色ね」


「おんせん、はいれるの?」


「気持ちはわかるけど、アレを見てごらん」



 エストが指をさした先には、覆い隠すような湯気の中、真っ赤な肌のオークが3体も滝つぼ温泉に浸かっている。


 心なしかその表情はどこか穏やかで、今なら魔物と分かち合える……そう思う者も少なくない。



「ここは上と下、2箇所の温泉が湧いているから、物凄く熱い上にこうして魔物も入るんだ。魔物好きな研究者が混浴を試みたけど、亡くなっている。その死因は──」


「火傷、かしら」


「その通り。僕らからすれば、温泉に浸かっていたら羽虫が飛び込んでくるようなもの。人間には適さず、魔物に適した珍しい温泉なんだよ」



 そっとエストの影からオークを覗くウルティスは、小さく尻尾を巻いていた。そんなウルティスを抱きかかえ、優しく頭を撫でたのはエスト。



「僕らが浸かれる温泉は、この土地で湧いている温泉の極わずかなんだ。面白いよね、それで温泉街として人を集められているんだから」


「ある意味人類のちっぽけさを理解出来るわ」


「そうだね。僕らは自然には勝てない。自然の一部に僕らが居るんだ。ウルティス、これだけは忘れちゃダメだよ」


「うん!」


「う〜ん……自然魔術を使えるアンタが言ってもねぇ?」



 尤もである。しかし、エストが使える魔術も、自然の精霊ネイカからすれば1パーセントにも満たない領域だ。

 火山を噴火させることも出来なければ、大地を揺らすことも叶わず。文明を消し去る嵐はもとより、家を流す雨すら起こせない。


 どんな人間でも勝てず、操れない相手。

 それが自然だと。



「さて、戻って何か食べようか」


「また食べるの? 食いしん坊ねっ!」


「常に魔術を使っていると、すぐにお腹が空くよ」


「……何使ってるのよ?」


「魔力探知と魔素感知。厳密に言えば、魔術じゃなくて技術だけど」


「ホントバカね。よくそれで会話が出来るわ」



 3秒使えば脳が焼き切れそうになる技を、1秒間1分おきに使っているのが今のエストだ。魔族との戦いが終わっても、家族を守るためには強く在らねばという思いから、今も厳しい鍛錬を続けている。



「ありがとね」



 システィリアの手がエストの頭に伸びると、ワシャワシャと撫でて髪型を崩し、彼女好みの髪型に変えられた。


 そして、ニルマース滞在中、エストは1日8食を記録する。

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