第355話 獣人の特性


「リングル……宮廷魔術師になれたんだ」


「貴方の教えのおかげですよ。賢者殿」


「君はよりいっそう気持ち悪くなったね、バルメド辺境伯。それと、炎龍についてはもういい? 僕も知らないことの方が多いし」


「ええ。今日のことはリングルにも伝えておきますよ」


「……気持ち悪い」



 久しぶりに会うバルメド辺境伯は、人が変わったように態度が丸くなっていた。エストとしては以前のままの方が接しやすかったが、下に出られると気分が悪くなる。


 応接間のソファが柔らかく、膝の上のウルティスを抱きしめることで気を紛らわせていると、クッキーが運ばれてきた。


 目当てのモノにウルティスが顔を上げると、後頭部を思いっきりエストの顔面に打ち付け、彼の唇からは血が流れ出ていた。



「おにいちゃん、ごめんね?」


「……だいじょぶ。家の外だから」



 これが自宅での出来事ならば、彼女は容赦なくエストの唇を奪い、血と魔力の味を楽しみながら治癒したことだろう。


 さらりとシスティリアがエストの唇に手を伸ばし、治癒ライアを使えばものの数秒で完治する。

 その間、ウルティスは一生懸命にクッキーの入った籠に手を伸ばす。


 絶対にエストの膝からは降りたくないのか、う〜んと唸るも指は空を切る。



「寄せなさい。ほら、ゆっくり食べるのよ」


「は〜い」



 システィリアが籠を手前に寄せてあげると、返事をしながらクッキーを頬張った。



「……エスト殿。第一子にしては大きいな」


「この子は娘というか、妹というか……拾った子なんだ。密猟の被害者って言えばわかる?」


「うむ。しかし我が国では被害報告を聞かないな」


「ユエル神国だよ。あそこはまだ、獣人を受け入れられない人が多い。その点王国は違うでしょ? だから安心して旅行に連れて行けるんだ」



 王国に対して明確に信頼を見せたエストに、辺境伯は心から嬉しそうに笑みを浮かべた。


 膝の上でもしゃもしゃとクッキーを食べるウルティスが、『たべる?』と聞きながらエストの前にクッキーを差し出す。



「ありがとう。うん……美味しいね」



 辺境伯邸のクッキーは想像していたよりも甘く、かつてリングルの講師をしていた時に、何度か口にした経験を思い出したエスト。


 しかし心の中では、王都のクッキーに軍配が上がっている。



 しばらくクッキーを堪能するウルティスを見守っていると、そっとエストの手に愛しい体温が重ねられた。



「ま、ドラゴンに関してはギルドの危険度みたいに表すことができない、天災と同じと思ってね。僕でも倒せないから」


「……そんな存在がマース火山に」


「そんな存在が居るから、噴火せずに在るんだよ。今まで通り不干渉が最善手かな。怒らせたら僕、逃げるから」


「無論だとも。此度は手間を取らせて申し訳なかった」


「いいよ。また温泉旅行に来るから、お金は落としていくね」


「ははっ、嬉しい限りだ」


「街の維持、頑張ってね」



 そう言ってバルメド辺境伯と別れの挨拶を交わしていると、クッキーに喜ぶウルティスを見てか、屋敷のメイドが布袋に詰めたクッキーを渡していた。


 尻尾を振って喜ぶウルティスが満面の笑みを見せれば、メイドたちから幸せそうな声が聞こえてくる。



 最後に宿まで馬車で送ってもらうと、部屋に着いて早々、システィリアがお腹をさすりながら言う。



「最近よく蹴るのよねぇ。その度に吐きそうになるわ。産まれたいのかしら?」


「それは嬉しいけど……治癒院に行く?」


「どうかしら。体調に変化は無いのよ」


「悩むくらいなら行こう。子どものためにも」



 エストの真っ直ぐな眼差しに耐え切れず、申し訳なさそうに頷いたシスティリア。

 幸いにも宿から治癒院はそう遠くなく、エストは右手でシスティリアの手を繋ぎながら、左手でウルティスの手を繋いだ。



「ねぇ、これで『明日産まれます』って言われたら、アンタどうする?」


「お姉ちゃんたちと使用人を全員転移で連れて来る」


「嫌よ。待ってる間ひとりにしないで」


「じゃあ全力で助産師の手伝いをする。お湯も布も亜空間に予備を入れてるから、役に立てるはずだよ」


「……用意周到ね」


「足りないよ。君の心の支えになれるよう、もっと用意しないと」


「ふふっ、ありがと。大好き」



 腕を抱かれながら歩くペースを落としたエストは、右腕全体に感じる幸せを噛み締めながら進んでいく。

 整えられたレンガの道は歩きやすく、住宅地のちょっとした段差に転ばないよう、支えながら向かっていると、大きな教会に着いた。


 ウルティスが目を輝かせて見上げる教会には、ラカラを表す太陽の刺繍が特徴的な、白い布が垂れている。


 解放されている扉から入れば、受付をしていたシスターに説明し、すぐに処置室へと案内された3人。



 清潔な布で覆われたベッドにシスティリアが腰を掛けて待っていると、この治癒院で最高位の神官が入室した。



「初めまして、エスト様、システィリア様。本日はよくお越しになられました。早速ですが、お子様の状態を診させていただきます」



 軽い挨拶の後に白い手袋をはめた神官は、システィリアのお腹に手を当てながら目を閉じ、胎児の様子を見る。


 しばらくして手を離すと、手袋を外してから目を閉じ、驚いた顔をしながら言った。



「この様子ですと、あと2ヶ月もありません。噂には聞いていましたが、獣人の方は胎児の成長が早いと聞きます。それにより、出産予定は夏になりますね」


「あら……ですって」


「……驚いた。人族と同じなら、秋予定のはずだったけど」



 出産するまで季節を三度経験すると言われているが、獣人の場合は二度の場合が殆どだという。これはまだ魔道医学書に載っていない事実であり、エストも知らないことだった。


 早く産まれる喜びはあれど、心の準備期間が短くなったことに違いはない。

 しっかりとシスティリアの手を繋ぐと、彼女は力強く頷いた。



「出産はどちらの治癒院で行うか決めておられますか?」


「王都にある屋敷で予定しているよ。助産できる使用人が居るから」


「それが良いでしょう。システィリア様、これからお腹の子の動きも活発になります。苦しくなりますが、圧迫する姿勢をとらないよう気を付けてください」


「心配要らないわ。体は苦しくともこの人が居るもの。心が大丈夫なら、体も大丈夫だわ」



 心を一度壊したシスティリアだからこそ、その言葉にはエストへの絶大な信頼が見える。


 何かあればエストが助ける。


 出会った時からそうであったように、体の心配はエストの魔術が何とかする。肝心な心の方は、それもまたエストが支えてくれるというもの。


 真剣な表情で言い切った彼女に、エストは頷く。



「素晴らしいことです。長時間の入浴も体に毒ですから、お気を付けて」


「……そうなのね」


「ありがとう。情報助かるよ」


「新たに誕生する命に、価値を付ける暇はありません。教会はその知恵を共有し、新たな命と母親の命を助けるべく、ラカラ様より治癒の教えを学ぶのです」



 誰よりも知識に価値があると知っている教会だからこそ、赤子とその親には一切の躊躇いもなく知恵を授けるという。


 エストの内心ではラカラ教への見方が変わりそうだったが、過去に術式の間違いを認めなかったシスターを思い出し、見方は変えなかった。


 診察料は要らないという神官だったが、エストは受付で10万リカを支払い、神官に渡すように告げる。



 そして帰り道、夕日に照らされながら宿へ向かう3人は、仲良く手を繋いで歩いていた。



「帰りは馬車の予定だったのに……残念ね」


「仕方ないよ。まさか獣人の体にそんな秘密があるなんて、僕も知らなかった」


「おねえさま、くるしいの?」


「苦しくないわよ……とは言わないわ。内臓を押されて苦しくない人なんて居ないもの。でも、エストとの赤ちゃんだから平気。これも幸せの代価かしら」


「僕だけ延滞料金がかさんでそう」


「アンタは街を守ってるじゃない。充分頑張ってるわよ」


「……そっか。ありがとう」



 夏にはブロフたちがやって来るため、時期が重なると大変になる。温泉旅行は一週間を予定していたが、2泊3日に切り上げようというシスティリアに、エストは渋々ながら了承した。


 そして夜、貸切の露天風呂で見上げる星空が美しく、長湯しそうなシスティリアを何とか引っ張ったエストは、部屋で2人の髪を乾かしていた。



「すぅぅ……はぁぁぁ……良い匂い」


「本当にアタシの髪が好きね」


「食べちゃいたいくらい好き」


「何度か食べてるじゃない」


「……事故だよ。耳も事故」


「嘘ね。この前アタシの耳をハムハムした時、アタシ起きてたもの。アンタ、一度起きてるか確認してからハムったでしょ?」


「……うん」



 綺麗に墓穴を掘ったエストは、もう聞かないでと背中に抱きつきながら髪を乾かし、ウトウトしているウルティスの髪も手早く乾かし終えた。


 仕上げのボタニグラオイルを塗れば、エストが愛してやまないシスティリアの完成である。



「ウルティスったら、もう寝ちゃってる」


「うん……綺麗だよ、システィ」


「ふふんっ。そうでしょ? アンタの手入れは世界一だもの。誰よりもアタシを綺麗にして、綺麗なアタシを誰よりも好きでいてくれるわ」


「……愛してる。もうたまんないくらい好き」



 そう言って抱きしめるエストの肩に頭を預けると、システィリアは優しく頭を撫でた。



「……時々子どもっぽいのよね、アンタは。アタシの方がお姉ちゃんだからって、甘えたいの?」


「たまには甘えたい」


「いいわよ。好きなだけ甘えなさい。たっぷり癒されて、2ヶ月後に備えましょ?」


「……あれ? 僕よりもシスティが癒されるべきでは?」


「別にいいわよ。癒されるアンタを見てアタシが癒されるもの」


「……そう? じゃあ、わかった」



 そうして、しばらく耳と尻尾を触り続けたエストは、今年で一番癒された日と言って眠った。


 必死に欲情する心を抑えたシスティリアは、そんな彼の指を咥えながら眠り、翌朝、枕元を濡らして起きたことをウルティスが不思議そうに首を傾げるのだった。

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