第333話 不穏な異変
「2週間もすれば肩まで伸びるんだ」
ボタニグラ無害化計画は順調に進んでいた。
庭を散歩していたエストとシスティリアは、肩の辺りまで球体の茎が伸びたボタニグラを前に、花が咲く気配を感じた。
「問題は咲いた時よ。どれが腐ってるか……」
「腐っていないことを祈ろう。今のところ、微弱な魔力の動きがわかるから大丈夫だと思う」
「……次は鼻が曲がっちゃうわよ。本当に」
外見的な違いは現れておらず、内側でどうなっているかは分からない。しかし、前回と違う点はしっかりと茎が伸びていること。
この調子で育てていれば、最低でも通常のボタニグラに成長するだろうと予想し、システィリアの肩を抱いた。
軽く預けられた体重にリラックスしたエストは、リビングまで彼女をエスコートするのだった。
「んぎゃあぁぁ! 指名依頼だぁ〜! やだやだ〜!」
手を洗ってドアを開けると、音が鳴り続けるギルドカードを握りしめ、ブンブンと振り回すアリアが居た。
「なんじゃ、行ってきたらよいではないか。わらわが家におるでの」
「……嫌! 絶対嫌なの! エストとシスティちゃんはどう思う?」
帰ってきたばかりの2人は、揃って首を傾げた。
「緊急なら行った方がいいわよ。アリアさんの信頼度があってこそのものでしょう?」
「同意見。二ツ星なら重要な依頼でしょ?」
「ぐぬぬぬ…………話だけは聞いてくる!」
そう言い捨てて2階へと走ったアリア。
どんな指名依頼が来るのか、魔術講師の経験しかないエストは少々の興味を抱きつつ、亜空間から魔道書を取り出した。
隣に座っていたシスティリアがエストの肩に頭を置いてもたれかかると、覗き見るようにして魔道書を読む。
「あら」
その内容は、光魔術による治癒が与える新生児への影響についての魔道医学書であり、ちらりとエストの顔を見上げれば、真剣に読み進めるエストに尻尾を振った。
大切にされていることを実感しながら一緒に読んでいると、魔法陣ではなく、階段から降りてきたアリアが席に着く。
「して、討伐系かのぅ?」
そう聞いた魔女に、アリアは深刻そうな表情で首を横に振った。
「ダンジョンの活性化だって」
「なんじゃと?」
魔女が聞き返した瞬間にエストは魔道書を閉じ、感情を移さない蒼穹の如き瞳でアリアを見つめる。
「どこ? 僕が行く」
エストがそう言っただけで室温が3度は下がったように空気が張り詰めた。
無理もない。魔族との戦いが始まったのは、システィリアと出会ってすぐ、ダンジョンの活性化の調査が発端なのだから。
エストやシスティリアにとって、活性化の3文字は誰よりも敏感に反応する言葉となっている。
「魔族は関係ないよ〜。神国のダンジョン都市だと〜、3年に1回はあることだから〜」
「……心配だよ」
「時々あるんだよね〜。ダンジョン内の魔物がぶわ〜って増えて、街が襲われること。だから〜、ダンジョンでお金を回してる街は〜、すんごい武装してるんだよ〜?」
心掠のマニフのようにダンジョンの形式から変わるような異変ではないとのことで、冒険者ギルドもエストには連絡を出していない。
星付きであるシスティリアの妊娠も周知のため、今回の活性化はアリアとユル・ウィンドバレーの2人にだけ通知されている。
「アリアさんは行くの?」
「うん、行ってくるよ〜。あ……でも」
歯切れの悪いアリアに視線が集まると、アリアはエストに手を差し出した。
「オーク以上の魔物が溢れてたら、超面倒くさい! だから〜、エストも来て!」
「…………えぇ」
面倒くさいとハッキリ言われ、彼女の実力を知っているエストは悩み始めた。
あまり家を空けたくない気持ちと、魔女とシスティリアだけで家事を回せるのかという不安に挟まれ、簡単には手を取れない。
「いいじゃない。ここしばらくアタシに付きっきりだったし、羽を伸ばしてきなさいよ」
「討伐は羽休めにならぬぞ〜」
「本当にシスティはいいの? どれくらい空けるかわからないけど」
「だからよ。アタシのせいでアンタまで拘束するのは不本意だわ。この子が産まれる前に帰ってきたら、文句は2つくらいしか言わない」
「……わかった。手伝ってくるよ」
システィリアの後押しもあり、アリアの手を取ったエスト。
それから予定を立てると、出発は翌朝で、魔女の転移で神都まで送ってもらうことになった。
特別必要な持ち物は無いので、いつも通り過ごしてから旅立つことに。
夜になると、ベッドに入ったシスティリアがエストの指を口の前に持ってきては、寂しそうに潤んだ瞳で見つめ合う。
「ねぇ……咥えていい?」
「……許可を取らないで。恥ずかしいから」
「そ。じゃあ遠慮なく……はむっ」
最低でも2週間はかかるとアリアが言っていたため、これも咥え納めかと口に入れたシスティリア。
生温かい口内で、ぬるりと舌で唾液を擦り込んでいく。
何度も味わったエストの体温と味。
吸うように口をすぼめると、体表を覆っていたエストの魔力が分離し、大好きな味に頬を緩ませた。
「おいひい。もっふぉ……ほしい」
いつも以上に求める彼女に、エストは指先から魔力を出してあげた。すると、こくこくと喉を鳴らして飲み込み、嬉しそうに耳が動く。
扇情的な目でエストを見つめるシスティリアに、顔を背けてしまうエスト。
それが気に入らなかったのか、指を離したシスティリアがエストに跨ると、見せつけるように再び指を咥え始めた。
「な、なに……?」
「ふふふっ。困ってるアンタが可愛くて。もう少しだけ困らされてちょうだい……ふふっ」
月明かりに照らされた蒼い髪が、さらりと垂れ落ちる。
細められた黄金の瞳で見つめられ、我慢していた気持ちを的確に刺激するシスティリアに、エストは氷龍の魔力で心を落ち着かせた。
「アタシの気持ち……ちょっとは分かった?」
「……うん」
「じゃあ……アタシの指も……咥える?」
エストはなんとか平静を保てているが、システィリアの方はそうでないらしい。
返事をする前に体を軽く前に倒すと、エストの口に右手の人差し指を挿しこみ、舌先を優しく撫でていく。
驚いた顔のエストは逃げることも出来ず、お互いの指を咥え合うという状況に、心臓が早く脈打ち始めた。
「ちゃんと……アタシの味……覚えて。エストだけのアタシだって……本能から覚えさせるの……んふふ」
エストが優しく指を甘噛みすると、ピクリと反応するシスティリア。甘噛みされたことが余程嬉しかったのか、真似をするように彼女も甘噛みを繰り返し、唾液を垂らしていく。
もう思考する余裕もないほど頭の中がシスティリアの味で支配されたエストは、少しずつ荒くなる息の中、ひたすらに彼女を味わった。
それが……今出来る、システィリアと最も近付ける行為だったから。
「おはよ〜。エスト、寝不足〜?」
「まぁね……ちょっと寝るのが遅くなった」
4時間ほどしか眠れなかったエストだが、システィリアの方は熟睡出来たようで、今も元気に台所の掃除を始めている。
魔女もなんとか手伝おうと背伸びをするが、身長が足りず、手が届かない様が子どものようだ。
そんな2人を横目に、アリアとエストは完全武装で玄関に立つと、システィリアたちが見送りに来た。
「ちゃんとご飯は食べるのよ? ギャンブルはしちゃダメ。寂しくなったらすぐに帰ってきなさい」
「うん……ありがとう。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
頬にキスをし合うと、玄関先に半透明の魔法陣が現れた。エストの空間魔術とは違い、流れるように世界に干渉する技術に、思わずエストは見入ってしまう。
「くれぐれも、怪我と病には気をつけるのじゃぞ」
「は〜い。エストに治してもらっちゃお〜」
「うん、わかってる。師匠も、行ってきます」
「行ってらっしゃいじゃ」
そうして2人は、中継地点である神都へと転移するのだった。
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