第119話 パートナーとして


「システィ、起きて。日が昇ってる」


「……ぁと5年」


「ここは棺桶じゃなくてベッドだよ」



 抱きついたままのシスティリアを起こそうとするも、昨日の疲れが酷いのか、中々起きようとしない。まだ寒い日が続く今、温かい布団とわずかに冷たいエストの体温は、至高の睡眠環境を作り上げていた。


 頬を優しくつついても、耳を揉んでも起きる気配がない。むしろ、胸元に顔をぐりぐりと押し付けて、エストの起こす気力を削いでくる。


 このままでは2人して堕落してしまうと感じたエストは、心を氷のように冷やして彼女の体を無理やり起こした。


 その際、システィリアの胸に手が触れる。



「……えっち」


「もっと触っていい?」


「ぶっ飛ばすわよ?」



 たった一言で覚醒したシスティリアは、耳をピンと立てながらそう言った。

 ようやく起きてくれたことに安堵し、エストは冗談だと言いつつ彼女の後ろに移動すると、ボサボサになった髪を梳いていく。


 髪用の氷の櫛で丁寧に整え、尻尾は気品を感じさせるふわふわ具合に仕上げた。



「ありがとね。さぁ、今日の仕事はどうしましょう。剣が折れちゃったし、また休みにするのはあの子たちの腕が落ちるわ」


「そういえば昨日、かなり早く帰ってきてたね。何かあったの?」


「……メルの調子が悪かったのよ。ずっと心ここに在らずって感じで、死んだら可哀想だから引き返したの」



 引き返す理由が実に冷たいが、そのおかげでワイバーンの襲来に対応出来た節もあり、ラゴッドからすれば運が良かったと言えるだろう。


 しかし、システィリアはメルが不調の理由をよく理解しているがために、非常に複雑な気分である。



「そっか……じゃあ僕の杖、使う?」


「あんな重いの振り回したくないわよ! ワイバーンくらい大きい相手ならまだしも、人間の護衛には使えないわ」


「慣れてないと無理だね。そうだ、ブロフに言えば貸してくれるんじゃないかな?」


「それが最善ね。アタシ、聞いてくるわ」



 そう言ってシスティリアは、朝ご飯も食べずに工房へと走って行った。寝起きとは真逆の行動力に、エストは静かに感嘆する。


 数分が経ち、食堂にて2人分の朝食を待っていると、腰に剣を差したシスティリアが帰ってきた。


 エストは立ち上がって手で招き、テーブルへ誘導する。



「在庫の剣をくれたわ。ただ、アタシの腕に耐えられるかは自信がないんだって」


「おかえり。それだけシスティが強いってことだね。お姉ちゃんも言ってた。真に使い手が強くなると、相応の武器が求められる、ってね」


「……確かに言ってたわ。それと、ただいま」



 行ってきますを忘れていた代わりにハグをすると、ようやく席につく2人。周囲から生暖かい視線が向けられるが、全く気にしていないようだ。


 朝から大量の食事をとり、北門までシスティリアを送ったエストは、ゆったりとした休日を過ごす。




 久しぶりの魔法陣の解析練習に手こずったり、宿の洗濯を手伝ってシーツを外に干したりと、普段よりは外に出ない時間にした。


 夕方になり、帰ってきたシスティリアにおかえりのハグをしてからマッサージをする。

 初めて使う剣だと筋肉の使い方が偏ることがあるため、丁寧にほぐしていった。


 すると、夜になる前に2人は街の外に出て、あの時のように台所付きの簡易拠点で料理を作る。



 街の中では見られない満点の星々の下で、解体したワイバーンの肉を調理するシスティリア。



「エストは今日、何してたの?」


「ほとんど何もしてないよ。宿のお手伝いをしたら、手のひらシスティを作って遊んでたくらい」


「ふふっ、本当にそれが好きなのね」


「うん。耳の内側の毛がある部分と無い部分にこだわっていたら、時間が溶けてた」


「もう、アタシのこと好きすぎないかしら」


「仕方ないよ……大好きなんだから」



 こだわりの像を膝の上に、エストは空を見る。

 修行生活中も見られた星の輝きも、彼女が近くに居るだけでより煌めいて見えた。瞬く間に消える流れ星は、不動に思える夜空を撫でる。


 美味しそうな肉の香りと、システィリアの鼻歌が心地よい。


 あらゆる幸せを五感で感じ取っているようで、胸が踊るような気持ちと共に、停滞を望む心の声が聞こえる。



「はい、できたわよ。ステーキにスープにパンとサラダ、エストの好物で埋めつくしてやったわ!」



 嬉しそうに言うシスティリアに、エストは照れた様子で『ありがとう』と言った。



「どうしたの? らしくないわね」


「そうだね。少し緊張してるのかも」



 なぜ緊張しているのか全く分からないシスティリアは、エストの隣に座ると、前髪を上げて額をくっつけた。


 結果は平熱。むしろ冷たいくらいだ。

 何か良くないものでも食べたのかと心配する彼女の手を、エストは優しく両手で包む。



「……意思表示をしようと思って」


「意思表示?」



 首を傾げるシスティリアに、頷いて応える。



「うん。改めて言うけど、僕はシスティのことが大好きなんだ。誰よりもね」


「っ……! え、ええ。知ってますとも」



 顔を赤くしながら何度も頷く彼女に向かって、懐から何かを取り出すエスト。



「その証として、これを贈らせてほしい」



 エストが取り出したのは、青い宝石が嵌め込まれたペンダントだった。

 宝石を囲う銀の枠には雪の結晶のような意匠が施されており、誰が造った物か、システィリアは一瞬で理解する。


 ペンダントとエストを交互に見ると、決心した表情のエストが言う。




「恋人……に、なってほしい。曖昧に好きと言い合う関係じゃなくて、夫婦になるための準備として」




 ハッキリとエストの口から言葉が紡がれる。

 もうほとんど恋人のような関係だっただけに、ここで異性として共に居てほしい相手だと告げることが、エストにとっての意思表示なのだ。


 そんな想いを真正面から受け取ったシスティリアは、ぽたぽたと頬を伝った雫で膝を濡らす。


 そっと立ち上がったエストが首の後ろに手を回してペンダントをつけると、システィリアはエストのお腹に抱きついた。



「うぅぅ…………なるぅぅ! 結婚するぅ!」


「結婚はまだ早いよ。15歳くらいの方が……」


「やだやだやだぁ!! 今するもん! アタシ15歳だもん!!」



 駄々をこねる子どものように泣きながら『結婚する』と連呼するシスティリア。今まで小出しにしていた気持ちが一気に溢れてしまい、本人ですらどうしようもないほど涙が止まらないのだ。


 背もたれに尻尾をバシバシと打ち付けながら泣きじゃくっている。


 しかし、そんな彼女もまた愛おしいと感じるエストは、優しく頭を撫でながら──



「言ったでしょ? 夫婦になるだって」


「…………じゃあ」


「うん。旅が終わったら、結婚しよう」


「……ホント?」


「本当だよ。僕はもう、システィリアしか異性として見ないって決めたから。覚悟はできてる」



 ジオに言われた『一人の相手を愛する覚悟』は、あの時既にできていた。その決断のせいで人を傷つけることも、自分に甘えることもあった。


 それでも、システィリアという女の子と一生の時間を送ることが、エストにとって何よりの宝物だと思ったのだ。


 例えこの先、魔族と死闘を繰り広げることがあっても、彼女だけは守り抜く。

 その硬い思いを、ペンダントに込めたのだ。


 立ち上がって目線を合わせたシスティリアも、覚悟を決めた表情で言った。



「アタシも愛してる。何があっても、エストのことはアタシが守る。絶対」



 どちらからでもなく唇が触れた。

 柔らかく、それでいて熱い感覚に、はにかみながら『もういっかい』と言うシスティリアの腹が鳴る。



「……おなか、すいてた」


「食べよっか。タイミングが悪かったね」



 恥ずかしさとワイバーンの美味しさで板挟みにされたシスティリアは、顔を赤くしたまま食べるのだった。

 

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