第118話 蒼の残光


「来い、ワイバーン」



 エストが魔力を出した瞬間、農村へ向かっていた15体の進路がねじ曲げられた。

 吸い込まれるようにエストの元へ滑空するワイバーン。1体でも脅威足り得る魔物だが、15も集まれば災害である。



「それじゃあシスティ、パス」



 ワイバーンの頭上に半透明な魔法陣が出現すると、雨のように魔術の槍が降り注ぐ。硬い鱗を貫く槍だったが、7体を絶命させ、残る8体に重傷を負わせて無くなった。


 エストの理想ではもう少し倒せると思っていただけに、唇を噛む。


 最後に魔力制御を再開してからシスティリアに託すと、杖を支えにしながら歩き、木陰で座り込んだ。



 そんな姿を見届けることなく、彼女は後ろで怯えている10人余りの冒険者に背を見せ、剣を構えた。



「傷が浅いヤツから狙いなさい! 基本的な弱点はお腹側! 弓使いや魔術師は隙を作ることに全力を注ぎなさい!」



 システィリアが叫ぶと、続々とワイバーンが着地する。中には自分が流した血で滑って転ける姿も見受けられ、エストの狙いは達成した。


 集まった冒険者たちは、眼前の恐怖に足が竦む。

 容易に自分たちを殺せる魔物が8体も降りてくれば、その恐ろしさは立っているだけでもやっとである。


 そこで、先陣切ったのはシスティリア。


 剣士では珍しい長い髪をなびかせ、独特の構えでに突っ込んでいく。生存本能で滅茶苦茶な動きで暴れるワイバーンに対して、彼女は舞うような剣技で腹側に潜り込み、肉と内臓を断ち切ったのだ。


 あっという間に1体目が動かなくなると、残った7体がシスティリアに襲いかかる。



「そんなデカい図体しておいて、小さな獲物を取り合ってんじゃないわよ」



 ワイバーンの脚の隙間を走り、回避する。まるで次の手が見えているかのような先読み能力は、アリアによって叩き込まれた筋肉の可動域を知ることで培われた。


 彼女の勇姿は、冒険者たちの怖気付いていた心に火を灯す。


 Bランクパーティ城塞の誇りを筆頭に、全員がシスティリアと共に戦おうと、先に言われていたに目をつけた。


 彼女の協力のもと、2体のワイバーンを誘導すると、システィリアは残った5体と対峙する。



「……はぁ、キッツいわね」



 1体、また1体と猛攻撃の隙を突いて倒すシスティリアだが、神経も体力も使うこの戦いには早くも疲れの色を見せていた。


 複数のワイバーンと同時に戦うなど、悪夢ですら見ない最悪の状況である。


 “渡り”の時期が重なってしまっただけに、ワイバーンの気性が荒くなると知っていても、まさか10体を超えるとは思わなかったのだ。


 初めから分かっていればエストも魔力を温存しただろうに、悪運が重なってしまった。


 しかし、事態はさらに悪化する。



「ふぅ──あと、2つ…………なっ!?」



 残り3体というところで、システィリアの持っていた剣が砕けてしまった。

 斬撃の勢いのままに距離をとると、右手を見た。


 流石のワイバーンの鱗には摩耗が激しかったのか、彼女の膂力と速度も相まったことで寿命を終えたのである。


 鍔の上から僅かに残った鋼では、ゴブリンすら倒せない。


 腹の半分を斬られたワイバーンは激昂し、煮えた炎を周囲に吐き出す。

 ドロッと落ちた炎が、草原に穴を開けていく。


 こうならないためにも危険な重傷個体から戦っていたというのに、システィリアは己の未熟さに拳を作った。


 ──次の瞬間。


 手負いのワイバーンの頭を、大きなハンマーで叩き付けたドワーフの戦士がそこに居た。




「システィリア嬢、どういう状況だ?」




 一撃で頭骨を砕いたブロフは、肩にハンマーを担いで聞いた。



「渡りが襲ってきたの。あっちで戦ってるのと、そこの2体で最後。エストは魔力切れよ」



 希望の光とはまさにこの事。

 圧倒的な力を持った存在が、この窮地に颯爽と現れたのだ。悪運の中に紛れた小さな幸運を噛み締め、システィリアは淡々を状況を説明した。



「魔力切れだと? ……何があった」


「……アレを見たら分かるでしょ?」



 炎龍を完封する魔術師が魔力切れなど起こすはずがない。そう思い込んでいたブロフだったが、システィリアが指をさした方……真っ白に凍りつき、今もなお冷気を放ち続ける氷塊を見て納得した。


 生きたまま凍らせたことが分かる惨状に、そこで大量の魔力を使ったことはブロフでも分かる。



「その剣はどうした?」


「さっき折れたのよ。替えが無いから魔術で戦うわ。ブロフ、アンタはワイバーンの注意を引いてちょうだい」


「……ああ。しかし……最近の戦士はたるんでいるな。オレの居た時代だとあれはDランクにも満たない」


「御託はいいから、頼むわよ。エストに託されたんだから」


「フッ、勝手ながらオレも託されよう」



 耳が痛くなるほどの声量で鳴くワイバーンに、ブロフは軽い足取りで立ち向かう。まるでドラゴンと比べたら雲泥の差だとでも言いたげに、噛み付くワイバーンの頭を下から殴る。


 体重の何十倍もあるワイバーンを浮かせる程のパワーは、水槍アディクを使おうとしたシスティリアの目を丸くさせた。



「……有り得ないパワーね」



 脳が揺れ、死には至らずとも倒れ伏すワイバーンに向かって魔術を放つ。魔力量こそ多くないものの、システィリアの魔術も効く……はずだった。



「っ、ダメだわ! ブロフ、一旦──」



 多少鱗に傷をつけた程度で終わると、一旦撤退の指示を出そうとした途端、目の前でザクッという音を立てて何かが刺さった。


 驚いた様子で視線を向けると、そこにはエストの杖が地面に刺さっていた。


 バッと顔を上げて木の方を見ると、顔を青白くさせたエストが弱々しく手を振っていた。



「全く……重いのよぉぉぉぉ!!!」



 持っていた剣を捨てて杖を拾う。

 これだけで自分の体重の半分はあるんじゃないかと疑うほど重たい杖は、恐ろしく尖っており、刃は煌めき、何よりも硬かった。


 絶対に壊れない。そう確信できるほど、アダマンタイトの槍剣杖そうけんじょうは重たいのだ。



 そんな杖を両手で構えたシスティリアは、その長さを活かすようにワイバーンの目に突き刺し、全力で押し込んだ。


 硬い骨の隙間を縫って脳を直接破壊すると、目眩をしていたはずのワイバーンはそのまま息絶えた。


 近くを見れば、冒険者たちのワイバーンも瀕死である。目の前の1体が、正真正銘最後の個体だ。



「ブロフ!」


「任せろ。オレは戦士だ」



 冒険者の方へ向かおうとしたワイバーンの尻尾に叩き付けたブロフ。すると、ワイバーンは悲鳴を上げて体を一回転させて薙ぎ払う。


 そばにあった仲間の死体ごと尻尾で殴り、次の瞬間にはブロフに向けて炎を吐いていた。



「遅い」



 炎を大きく避け、ワイバーンの胸元に潜り込むと、一撃、また一撃と心臓を狙ってハンマーで叩く。

 これには血と共に炎を垂らすワイバーンだったが、システィリアはその隙を見逃さなかった。


 殴られた時の音から肋骨が折れていることを分かっていたので、ブロフと位置を替えるように胸元に来ると、杖を大きく縦に振る。


 すると、スパッと鱗の膜が破けるように赤い線が入り、その線の上を狙って全力で突き刺した。



「嬢、離れろ!」


「ええ!」



 最後の力を振り絞って暴れるワイバーンに、システィリアは杖をそのままにして距離をとった。

 不幸にも、暴れた拍子に刺さっていた杖がさらに深く刺さってしまい、完全に心臓を破壊する。


 それと同時、冒険者たちも2体のワイバーンを討伐した。




「お……終わった……」




 時間にすれば2時間程度であるが、凄まじく濃い戦闘だったために、システィリアは大きく息を吐いた。



「よくあの杖で戦った。見事だ」


「……そっちこそ、よく片方のワイバーンに気をつけつつ、もう片方を殴ったわね。状況の把握能力とパワー、どっちも驚いたわ」



 2人が握手をしていると、立つのもやっとなエストがフラフラしながらやって来た。杖の支えが無い今、システィリアが抱きとめに行く。



「もう、休んでないと死ぬわよ?」


「君が生きてるから……まだ死なない」


「…………覚えてたんだ」


「当たり前だよ。よく頑張ったね、システィ。ブロフも来てくれてありがとう」


「急に『武装して北に走れ』と彫られた氷の板が降ってきたもんでな。運良く武器の手入れをしていたが、最悪間に合わなかったぞ」



 実はエスト、木陰で休みながらブロフに応援要請を出していたのだ。工房の空間を覚えていただけに、氷像ヒュデアの板を落としたところ、ちゃんと伝わった。


 来れなかった場合は魔力欠乏症を覚悟して戦ったが、何とか間に合ったのである。



「はぁぁ……疲れた。新しい魔術なんか試すんじゃなかった……」


「やっぱりアレで使いすぎたのね!」


「だって4体だけだったもん」


「もん、じゃないわよ! 次からは気を付けて試しなさい! いいわね?」


「……はぁい」




 そうしてこの日は、多額の報酬とワイバーン4体分の肉、そしてDランクへの降格免除を受け取った。


 ギルドから帰ってくると、『明日はワイバーンのご馳走にする』と約束してから2人は泥のように眠るのだった。

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