第70話 システィリア・クッキング
滞在最終日の夜。
システィリアはエストの部屋に訪れていた。
暗い部屋の中、魔石で動く魔道ランプの明かりで魔道書を読むエストは、一瞬だけ視線を移した。
いつもならそれぞれの部屋に戻った後に寝るのだが、今日の彼女は枕を持参している。
「その……一緒に寝てもいいかしら?」
「いいよ」
「どうも。長旅は初めてだから、不安なの」
ベッドに寝転がって魔道書を読んでいたエストは、ごろんと転がることで横にずれた。僅かに温かい布団に潜り込んだシスティリアは、顔だけを出して魔道書を覗き込む。
書かれていたのは、複雑難解な多重魔法陣。
「魔法陣なんか見てどうしたの?」
「術式分解の練習。システィはこの魔法陣を見て、何の魔術か分かる?」
システィリアが見やすいように体をくっつけると、頬を赤く染めながら否定した。
「分かるわけないでしょ。……もしかしてアンタ、分かるの?」
「うん。ベースは
「……どこに書いてんのよ」
「魔法陣。構成要素の円上に魔法文字がある」
「アンタ、キモイわね。ただでさえ読み書きが難しいのに、更に言葉を覚えるなんて変態の所業よ」
それにはエストも頷くが、これが出来て当たり前だと思っているので、いずれシスティリアにも教える予定である。
魔道書を閉じたエストは、隣で見つめるシスティリアと向かい合い、掛け布団の中で彼女の手を握った。
「不安、紛れそう?」
「……うん。その……ありがと」
「僕も不安だから、お互い様」
システィリアは旅、及びダンジョン調査完遂への不安が。エストは十分な食事量の確保が不安である。
体力も魔力も、その源は食事にある。
力の両方を異常なほど使うエストにとって、食料確保が最も気を付けるべき問題であると、街に着いてから思っていたのだ。
エストも同じく不安な気持ちを抱えていると知ったシスティリアは、表情を柔らかくしてエストの胸に顔をうずめた。
自由な右手で頭を優しく撫でた後、ランプを消したエスト。
目を閉じると、ふわりと優しい香りが鼻をくすぐる。頬に感じる獣の耳がピクりと動き、固まった。
「……恋人みたいね」
嬉しそうなシスティリアの呟きは届かず、小さな寝息を立てていた。
布団から顔を出したシスティリアは、数秒悩んだあと、そっと顔を近づけ……触れる前に離した。
こういうことは、互いの同意があってこそ。
自分がもっと素直に。
エストから求められるくらいにならねば、その資格は得られない。
そう考えた彼女は、元の位置に戻って瞼を閉じる。
「ずっと一緒に居なさいよ」
繋がった手を離さないように。
誰よりも近くでこの人を支えたいと思い、眠りにつく。いつかこの光魔術で助けたい。そんな願いを込めて。
「──ィ。システィ、朝だよ」
「なぁに……」
「今日から旅。早く用意して行こう?」
汗ばむような朝、肩を揺さぶられて目覚めたシスティリア。ボサボサの髪のまま体を起こすと、エストに抱きついた。
「かみ……なおして」
「気軽に触らせないんじゃなかった?」
「いいから……はやくぅ」
「はいはい。ネフ、朝ご飯は机の上だよ」
『ピィッ!』
システィリアに背中を向けさせると、尻尾の時と同じ櫛で寝癖を直すエスト。軽く水で濡らしながら梳くが、抵抗する様子はない。
寝ぼけた彼女は驚くほど素直で、普段の怒りっぽい様子は欠片も見えなかった。
いつもこうであれば楽なのに。
そう思うエストだが、普段の行いがあるからこそ、今が輝いて見えるのだと理解した。
「はい、綺麗になったよ。起きて」
「……あれ、アタシ……どうしてここに?」
「君が昨日来たんだよ? 不安で眠れないって」
ようやく本調子になると、己の言動を全て思い出し、ベッドから飛び退いた。声にならない声を上げて部屋を出た彼女は、数分後に用意を終わらせて戻ってきた。
とても、照れくさそうな顔をしながら。
朝食を食べた2人は、ギルドの訓練場で打ち合いをした後、街の南門で最終確認をしていた。
目的地はユエル神国に最も近い、帝国最南端の街、ガルネト。徒歩での移動のため、短く見積っても2ヶ月の到着を予定している。
秋は魔物や動物が越冬のために人里へ降りてくることが多く、ダンジョンが更なる異変を起こした場合、街に被害が出るかもしれない。
様々な可能性を考慮しつつ、地道に歩くことに。
帝国を真っ直ぐ縦断するので、長旅は必然。
9割の好奇心と1割の不安を胸に、2人は街の門をくぐった。
「そういえばアンタ、好きな料理はある?」
歩きながら、システィリアは何でもなさそうに問いかけた。
「料理? う〜ん……全部好き」
「じゃあ嫌いな食べ物は?」
「無い。好き嫌いしたら怒られる」
「ふふっ、昔はあったんだ。何が嫌いだったの?」
「野菜。全部嫌いだった」
今では何でもモリモリ食べるエストだが、昔はよく好き嫌いもしていた。ただ、その度にアリアや魔女が怒るので、次第に嫌いは減っていった。
「意外ね。ちゃんと子どもっぽいじゃない」
「今も子どもだよ」
「そうかしら? 歳と身長以外は大人よ」
「……子どもに言われても」
「きーっ! ガキよガキ、アンタはまだまだガキンチョよ! もっとレディにかける言葉を選びなさい!」
正論で殴り合う2人の前に、ゴブリンが飛び出してきた。システィリアは怒りを乗せて首を一閃すると、耳を切り取ったのを見てエストが燃やした。
無言で遭遇から処理までを終わらせると、また何事も無かったかのように雑談を始める。
そうして街を出てからしばらく経ち、太陽が真上から照らすようになった頃。
森を出て再び草原に入ったところで、道中で得たオークを使い、昼食を作ることにした。
「アンタ、かまどとか屋根とか作りなさい」
「人使いが荒い。
「多才なのが悪いの。この万能超人」
褒めているのか貶しているのか。
簡易的な拠点が完成すると、火を起こして調理の準備を始めるシスティリア。
そこら辺に転がっていた大きめの石をまな板代わりに捌いてると、エストが何も言わずに氷の台所を作り出した。
システィリアの身長に合わせた高さに作られており、食材を入れる氷のボウルや皿が用意され、ギョッとしてエストを見る。
当の本人はというと、氷の椅子に仰向けになっていた。頭の上にネフを乗せ、悠々と魔道書を読む姿が様になる。
「はぁ……無駄にカッコイイのよね」
「手伝えることがあったら言って」
「はいはい。お子ちゃまは待ってなさい」
システィリアは料理中、誰かが居ると気が散るタイプである。
下手に手伝って機嫌を悪くされても困るので、エストは大人しく待つことを選んだ。
「久しぶりの料理ね〜。燃えるわ!」
ボウルに水を張り、シウ草をよく洗った後、大きく切り分けたオーク肉に貼っていく。シウ草は臭み消しの役割をするので、僅かな臭いも気にならなくさせる。
「よし。次は緑色ね」
肉全体の表面に貼り終えると、付け合せのサラダを作る。
野草知識が豊富なシスティリアは、道中でいくつか採取していた。今回はその中から、比較的苦味の少ないものを選んでいく。
野菜嫌いの多くは、その独特な苦味が原因だ。
選んだ野草を冷水で洗い、茎と葉を切り分ける。
茎は少し硬いため、小さく刻むことで食べやすくする。こうしたひと手間が、食べる楽しみを助けるのだ。
サラダの用意が出来たら鍋を出し、オークから取れた獣脂で肉を炒めていく。この時、焚き火ではなくエストの火を使うのがポイント。
火力の偏りを無くし、満遍なく火を通す。
じっくり火を通すとシウ草が茶色く変色するため、全体が茶色くなった辺りが食べ頃である。
肉を火からあげると、手早く切り分けて盛り付ける。
鍋底に残った肉汁に蜂蜜と野生のベリーを潰して入れ、サラダにも肉にも使えるソースを作った。
丁寧な盛り付けが終わると、いつの間にか用意されていた氷のテーブルに配膳する。
「ここまで作って気づいたのだけど」
「どうしたの?」
「主食が無いわ。買い忘れね」
「買ってこようか?」
1時間もあれば戻ると言うエストに、システィリアは首を横に振った。
「アタシのミスだもの。次から買うようにすればいいわ」
「……そっか。僕も忘れないようにする」
「ありがと。さぁ、食べましょ! トリには残ったベリーをあげるわ」
『ピィー!』
ネフ用の小皿にベリーが盛られると、エストは『いただきます』と言ってから食べ始めた。
ひと口食べた瞬間から広がる旨み。蜂蜜とベリーの甘酸っぱいソースが柔らかいオーク肉の美味しさを格段に引き上げ、10秒ほど楽しんでいると表情が固まった。
あまりの美味しさに、脳が痺れる感覚がしたのだ。
「どう? ……美味しい?」
「……僕らもうシスティ以外の料理が食べられない。美味しすぎて、手が震えてる」
「な、何よ! そこまで言わなくても」
「本当なんだ。毎日作ってほしい。お金は僕が出す。材料も集める。だから、お願い」
真っ直ぐにシスティリアを瞳を覗き、頼み込むエスト。その言葉の真意を探ろうとするシスティリアだったが、どうしてもプロポーズの言葉に聞こえてしまい、顔が熱くなる。
本当はただ『システィリアの料理を食べたい』という思いだが、言い方やその後の補助も相まって、彼女の考えは変わらなかった。
「は、はいっ……よろこんで」
「システィがこんなに料理上手だとは思わなかった。お店開けるよ、絶対」
エストの脳内では店に通う姿が。システィリアの脳内では、2人で経営する情景が思い浮かんだ。
双方幸せそうな表情をしているが、やはりここでも噛み合わない。
「旅が終わったら────っ、来る」
唐突に立ち上がったエストは、机に立て掛けた杖を持って拠点から走った。
魔力感知に引っかかった複数の魔物と、逃げる3人の大人。エスト達が来た方……森から逃げてきた3人は、道に出てきたエストに逃げろと叫ぶ。
「逃げるのは君たちの方だ。
試しにダークウルフ戦で使った魔術を土で応用してみると、見事にゴブリンの頭を爆散させた。
ただ、右耳が回収出来ない上に森が血まみれになり、魔術の手応え以外はダメダメである。
くちばしをベリーで汚したネフが頭に乗ると、3人に話しかける前に森を掃除し始めたエスト。
「いきなり走って何を……なるほど」
「システィ、丁度いい実験台だよ」
実験台? と首を傾げるシスティリアだったが、草原に座り込んだ冒険者を見て納得した。
3人のうち2人が怪我を負っており、1人が腹を大きな爪で引っかかれていた。このままでは出血多量や菌が入るリスクがあるため、光魔術の被検体になってもらう。
息を切らす3人の前に立ったシスティリア。
右手を前に出して、魔術のキーワードを唱える。
「
「切られた肉を繋ぎ合わせるイメージを持って」
血を洗い流し終わったエストは、杖を一振りして怪我の周りを水で洗った。冒険者は少し苦しんでいたが、このあと、更に苦しむことになる。
「
「勉強。とりあえず拠点まで運ぼう」
刻一刻を争う状況だが、2人は変わらず冷静だった。
男の様子を見て歩けるだけの体力はあると判断すると、もう1人の男が肩を貸し、無傷の女は俯いて歩き出した。
拠点に向けてゆっくり進んでいると、重症の男が言う。
「……っ、汚らわしい獣人に助けられるのは御免だ。シスターごっこなら他所でやれ」
愚かにもシスティリアからの治療を拒否した男は、心底嫌そうな顔で歯を食いしばっていた。
「あっそ。じゃあ死ねば?」
軽く受け流したシスティリアは、軽蔑の眼差しで男を見る。粗雑でチンピラのような格好をした、新米冒険者然の男を鼻で笑った。
「別にアタシ、助けたくてアンタの怪我を治そうとしてないもの。魔術の練習台に使うためよ。最初から言ってるでしょ? 実験台だって」
「……お前、正気か?」
「こっちのセリフね。死にたいなら勝手に死になさい。あ〜あ、残念。エストが優秀じゃなければ、勝手に死んでくれたのに」
残念そうに言う彼女に、エストは目を丸くしていた。なにせ、初めて獣人を嫌う者を目にしたのだ。
伝説上の存在ではないことを知って、感心して話を聞いていた。
ただ、同時に胸がモヤモヤする感覚を覚えた。
それが獣人に向けた悪意だったからか、システィリアに向けられたからか。
どちらにせよ、違和感の正体が掴めないエストは、眉をひそめた。
「う〜ん……冒険者ってめんどくさい」
ゆくゆくは本当に店を開いてほしいと願っていたエストは、仕方なく拠点まで運ぶのだった。
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