第69話 旅の同行者
「ごめんシスティ。まだ怒ってる?」
「しらない」
「知らないということを知ってるんだ」
「うるさい」
トレントを倒して街に戻ったエストは、機嫌の悪いシスティリアを宿で慰めていた。
というのも、エストが吐き出した物が尻尾に付いたらしく、怒りを通り越して無表情で洗わせたのだ。
年頃の女の子には耐え難い汚れに、機嫌が治る気がしない。
しかし、今彼女が居るのはエストの部屋だ。
2部屋とってはいるものの、いつも彼女はエストの部屋に居る。現在は枕に顔をうずめて、尻尾を落ち込ませている。
「蜂蜜舐める?」
「いらない」
「熟成したまま忘れた兎肉は?」
「……ふざけてるの?」
「うん。だってシスティ、元気無いから」
ベッドに腰をかけると、そっと尻尾に触れた。
ぶるぶると震えて拒否しようとしたが、システィリアの意志とは裏腹に、尻尾は触られることを選んだ。
エストは
「何してんのよ」
「綺麗にしてる。ダメ?」
「……続けなさい」
存外に気持ち良かったのか、梳かすことが許された。お詫びのつもりだったが、少しずつフワフワになる尻尾を見て、より綺麗にすることに集中し始めたエスト。
櫛の歯の隙間を調整し、具合を確かめる。
鋭い針のような歯の形状を変えて、毛の通りを確認した後、土や埃の取り残しが無いか見た。
真剣に櫛の研究を始めると、不意にシスティリアが振り返った。
「アンタ、本気すぎるわよ! バカなの?」
「話しかけないで。術式がブレる」
彼女はたかだか尻尾に何を本気になっているのかと思ったが、自分のものとは思えない仕上がりに息を飲んだ。
ボサボサとまでは言わないものの、それなりに手入れを忘れていた尻尾が、艶のある滑らかで美しい毛並みになっていたのだ。
それをエストがしたのだから、尚更嬉しい。
少し間好きにさせてあげようと思い、また枕に顔をうずめた。
エストの柔らかい匂いを吸い込むと、心が落ち着いていく。
「……なんで怒ってたのかしら」
その問いに、エストは答えなかった。
正確には、彼女に合う櫛を作ることに夢中で、聞いていなかった。
試行錯誤を重ね、数十回を超える調整ののち、遂にシスティリア専用の術式が完成した。
「できた。次は髪も梳かしていい?」
「だ〜め。髪は女の命よ。気軽に触らせないわ」
「……撫でるのはいいの?」
「それとこれとは話が別よ!」
理不尽をぶつけられながらも機嫌が直った気がしたので、そろそろ納品に行こうと提案した。
頷いた彼女を他所にネフがエストの肩に乗ると、システィリアはムッとして手を取った。
『ピィ?』
「はぁ? 何か文句あるの?」
言葉が通じてなくても意思が伝わり、ネフとシスティリアの間で火花が散る。
「喧嘩してないで行こうよ。受付混んじゃう」
「ちっ……エストに助けられたわね、トリ」
『ピーッ!』
フワフワになった尻尾を立てる少女と、艶のある翼を広げる鳥。大切な存在を奪い合うように威嚇するが、お互いに効いていなかった。
ギルドに着いて報酬の受け取りが終わると、トレントの報告をした。受付嬢はトレントが現れたことにも驚いていたが、エストが倒したことにも驚いた。
どうやらBランクの魔物の中でかなり厄介な部類に入るようで、次からは即退避を、と念押ししていた。
「よう、お前ら。準備の方はどうだ?」
次見つけたらアタシが倒す! とシスティリアが宣言していると、奥からギルドマスターが現れた。
「順調よ。そろそろ出ようと思っていたの」
「ダメ。最低限中級まで覚えないと」
「ちんたらしてたら調査できないわ!」
「命を優先して。3度目は無いよ」
双方の意見がぶつかり、注目が集まる。
システィリアは依頼優先の考え方で、冒険者ならば最も重要視すべきものを見ている。対してエストは、死んだら元も子もないと、光魔術の鍛錬を優先させたい。
どちらの意見も間違っていない。
互いに譲ろうとしない姿勢を見たマスターは、ふと気づいたことを口に出した。
「システィリア、綺麗になったな。尻尾とか」
「へ? ──っ! ち、違うのこれは!」
「僕が綺麗にした。良いでしょ?」
「……もう尻尾を触らせる仲なのか。俺でさえ許されないのに……」
獣人が耳や尻尾を触らせることは、心からの信頼を表している。まだ出会って一週間ちょっとではあるが、マスターは2人の関係を祝福した。
そんな邪推を察してか、システィリアは激しく否定した。しかし、いつも怒りっぽい印象が強いだけに、その否定は照れ隠しだと伝わってしまう。
「いや、いいんだ。良かったな」
「うぅぅ……! アンタのせいよ!」
「綺麗になるんだからいいじゃん」
「あのねぇ……そういう関係だと思われるじゃない! いいの? アタシなんかと(恋愛的な意味で)付き合ってるって思われても!」
「何が悪いの? (パーティとして)付き合うかどうかは僕が決めること。他人は関係ないよ」
意味は違っても言葉が噛み合ってしまった。
どこからともなく口笛を吹かれたり、マスターが寂しそうにしながらも祝うことで、それぞれが思う言葉として受け取れてしまう。
「あと、なんかじゃないよ。システィだから僕は一緒に居る。適性に溺れず、失敗にも全力で立ち向かう姿勢が好きなんだ」
「へぅっ! ず、ずるい……アタシだって……」
「でも、ベッドに潜り込むのはやめて欲しい。システィは体温が高いから、暑いんだよ」
とんでもない暴露に、空気が凍りつく。
ベッドと体温という言葉に皆の表情が固まり、子どものクセに……と恨みがこもった言葉が小さく飛ばされる。
汗が垂れるほど暑いギルドだったが、一瞬にして冷えきった。
そんなエストの言葉に最も大きな反応を示したのは、ギルドマスターだった。
「システィリア? どういうことだ?」
「違うの! ほら、最近は暑くて眠れないでしょ? そこでコイツの体がひんやりして気持ちよくて、つい……」
「つい?」
「ベッドに入ったのよ! 悪い!?」
唐突な逆ギレに、頭を抱えてしまう
13年間育てた娘が節操の無い生活をしていると思うと、心配や怒りよりも、育て間違えたのかと不安にかられる。
特にこれと言った問題は起きていないのだが、話の空気は重く、冷たかった。
「冬は温かそうだよね」
「まぁ、エストもその辺りは気を付けろ」
「何が?」
「何がって……話の意味を分かってるのか?」
「システィは頑張り屋。よく死にかけるけど」
何も分かっていないエストに、マスターだけでなくシスティリアや他の冒険者までもがため息を吐いた。
良くも悪くも、無知とは恐ろしいものである。
恋のコの字も知らぬ素直な男子は、少しずつ放つ色で周囲を惑わしていく。
本人は至って真剣に旅の備えをしているのだから、システィリアの想いに気づく余裕がない。
惚れるだけ沼にハマるような男。
それがエストである。
「でも、そろそろ街を出ようか。中級に関しては道中で教える。それでいい?」
ようやく話の本題に帰ってくると、顔色を戻したシスティリアが深く頷いた。しかし、あっと声を上げ、ギルドの奥に入って行った。
少しして、彼女は帰ってきた。
鍋やスパイス、調味料といった、料理道具を持って。
「旅の楽しみは食事でしょ? アタシが着いて行く以上、不味いご飯は許さないわ」
「……邪魔でしょ、それ」
「ふん。その言葉、明日には覆すわよ」
自信満々に言い切る彼女に、エストは言い返すのをやめた。というのも、中級光魔術は
料理だけで忘れられるものではないが、少しでも心を癒す糧になるならと、道具の持参を許した。
「じゃあ出発は明日の朝。今日はもうゆっくり休む。それでいい?」
「ええ。話していたら疲れたもの」
騒がしい2人がギルドを去ると、もの寂しい雰囲気に包まれた。ここ数年、うるさい子どもとして扱われていた少女が遂に旅立つのだ。
喧騒に慣れている冒険者にとって、静かなギルドの方が居心地が悪い。
しかし、それ以上にエストという少年が謎めいていた。
唐突に現れた、魔術師然とした白い少年。
魔術の腕は飛び抜けており、対人戦の誘導や指南の仕方は熟練者の影が見えた。
何よりも、システィリアを翻弄する会話の様子は酒の肴になっていた。
「……娘のことを頼む、エスト」
静かに呟いたギルドマスターは、執務室に戻ってから目頭を抑えている。
普通の狼獣人ではない娘を守れるのは、同じく普通の人間ではない者に限る。彗星の如く現れたエストの気配。一ツ星に似た雰囲気を纏う彼こそが、システィリアを任せられる唯一の人間だった。
「10年後にでも、孫の顔を見せてくれよ」
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