第353話 久しぶりの川魚


「優雅な朝ね……眠くなるわ」



 屋敷で一泊したエストたちは、使用人たちにシスティリアの現状と養子のウルティスを紹介した。


 朝を迎え、今日は鍛錬をせずに朝から柔らかいパンと胃腸に優しい料理を食べ、食後の紅茶を楽しんでいる3人。


 猫舌なのか、何度も息を吹いて冷まそうとするウルティスが、遂にカップへ口をつけた。



「こうちゃ、にがい」


「ウルティスにはまだ早かったかな」


「お嬢様、ミルクと蜂蜜にございます」



 すかさず執事のフェイドが甘いミルクティーにしてあげると、愛らしい笑みを浮かべながら小さな尻尾を振り──



「おいしい! ありがとう、ひつじさん」


「執事でございます」


「ひつじ」


「執事」


「ひつじ」


「……人族語の発音に、少しずつ慣れていきましょう」


「うん!」



 その笑みにはフェイドの心も揺れ動きそうになるが、鋼の意思で耐えてみせた。エストやシスティリア以外では唯一耐えた存在だ。


 フェイドは胸を抑えてその場を離れると、他の使用人に彼女の恐ろしさを語った。


 屋敷にもウルティスの破壊的な可憐さが知れ渡る中、エストは紅茶を飲みながら言う。



「ウルティスの火魔術、知ってる?」


「どういうことかしら?」


「炎龍の魔力を宿す前の僕と同じくらい熱い」


「……天才ってことね」


「制御が甘いから、これからだけどね。ライラの属性融合魔法陣に近い力を単属性で出力してるんだ。そこで、気になったんだよね」


「適性……いえ、魔力の量と濃さかしら?」


「そう!」



 言い当てたシスティリアにニヤリと笑って頷くと、ウルティスがエストの膝に乗った。

 甘いミルクティーを飲み終え、まったりしているようだ。



「無色の魔石を咥えさせて、呼吸で排出する魔力量を測定したんだ。ぴったり10秒」


「その測定法、アタシが1割ってところよね?」


「うん。僕で14割だけど……ウルティスは5割もあったんだ。ライラでも4割だよ? すごくない?」


「……何かしらの異常を疑うべきかしら」


「ダンジョンに長い間居たからね。それが原因だと僕は思ってる。魔力の器を強引に大きくされたような……僕とは違う鍛え方だね」



 無色の魔石を使う魔力量の測定は、専用の魔道具よりも精度は落ちるものの、簡易的な測定器としては非常に役立つことで知られている。


 冒険者間で魔術師を求める際、魔力量の指標として1割から2割が平均とされ、3割を超えると優秀、5割になると宮廷魔術師と同等以上と言われる。


 そのため、まだ8歳にして4割も真紅の魔力で埋めつくしたウルティスは、相当に魔術師の才があると言えるだろう。


 エストに関して言うと、魔石ひとつでは測定出来なかったのだ。



「眠たい?」


「……ん」


「外の風、浴びよっか」



 システィリアに目配せをして立ち上がり、うつらうつらとするウルティスを抱え、床に半透明の魔法陣を出す。


 最後に使用人たち全員が3人に頭を下げると、魔法陣の上に立った2人が転移する。


 一瞬にして景色が変わり、温かい地面から立ち上る熱気と、温泉の湯気がそこかしこから上がるニルマースの街……その門前に、3人は居た。


 エストの胸に顔をうずめるウルティスは、まだ『う〜ん』とうなっている。



「意外と暑いわね。汗かいちゃいそう」


「着替えはたくさん用意したよ」


「……えっちね」


「僕はなにも言ってないよ? システィ?」



 首元を手で扇ぐシスティリアがイタズラな笑みを浮かべ、エストに手を差し出した。


 片手でウルティスを抱き直してから手をとると、優しく引っ張って街の中に入った。相変わらず賑わう中央の通りに、2人は懐かしさを覚える。


 心地よい眠気を邪魔されたウルティスは、エストの服をギュッと握りながら顔を横に向けた。

 するとそこには、今までに見たことがない、湯気の立つ川や、嗅いだことのない匂い。そして、王都ほど美しい街並みが広がっていた。


 一瞬にして宝石のような瞳が輝くと、2人と手を繋いで、自分の足で歩くことを選んだ。



「じめんがあったかい……」


「あの火山の下にある溶岩のせいだよ……いや、炎龍の力かな。でも魔力的には自然の流れだし……」


「ウルティス。あの屋台の串焼き、ひとりで買えるかしら?」


「はい! おねえさま」



 思考に耽るエストの傍らで、お金を渡して2本買うように言ったシスティリアは、決してウルティスから目を離すことなくエストの腕に抱きついた。


 そこで意識を持って帰ってきたエストは、腕に当たる柔らかい感触に大きく息を吐く。



「見なさい。あの子、初めてひとりで買い物してるわよ」


「おお……って、あの店は」


「アンタがブロフと食べまくってた、地火魚ちびうおの串焼きよ」


「知ってたんだ」


「ブロフに聞いてから、いつかエストと食べたいと思っていたの。ほら……今回はアタシとウルティスだけだし」


「うん。いっぱい楽しもう」



 たどたどしい発音の人族語で注文をするウルティスだったが、その笑顔の愛嬌たるや店主の心を癒し、おまけに1本を付けて帰ってきた。


 発音とは異なり、鍛錬の成果が垣間見える戦人の足取りをしているが、それに気付いたのは2人だけである。



「かってきた!」


「偉かったわよ。ありがとうは言った?」


「いったよ!」


「買い物ができたら一人前だよ。成長したね」


「えへへ……おにいちゃん、いっしょにたべよ?」


「うん、あそこのベンチに座ろうか」



 システィリアが受け取り、エストが頭を撫でてあげると、早速ベンチに腰をかけて水球アクアで手を洗った。


 手渡された地火魚ちびうおの塩焼きは、あの日と変わらない良い香りを放つ。

 初めて食べる2人はすんすんと鼻を鳴らし、チラッとエストを見ては、同時にかぶりついた。


 ニルマースにしか棲息しない地火魚ちびうおは、やはり他の川魚とは一線を画す旨みを持っており、2人の尻尾がブンブンと振られる。


 感想すら言わずに二口目を頬張るのを見て、エストは尾の方から食べ始めた。



「やっぱこれかな……脂のノリが絶妙だ」


「魚の塩焼きだと一番美味しいわね」


「ちびうお、おいしいね」


「美味しいね。システィがそんなに言うってことは、これは……アリ?」


「アリよ。ただ、生物なまものの特産品は難しいわ」


「そっか……まぁ未来の僕らが何とかするよ」


「なんのはなしー?」


「ウルティスが世界中のご飯を食べてオークみたいになる話」


「おねえさま。あたし、おーくになっちゃうの?」


「なれないわよ。エスト? 適当なこと言うのやめなさい。ウルティスはアンタの言葉を、無条件に信じるんだから……」



 これは新しい遊びを見つけたと思うエストは、悪い笑みのまま塩焼きを食べ切ろうとしていた。

 この地火魚ちびうおの塩焼きを何十本と食べてきた彼には、最も美味しく食べる手順として、尾から食べる方法を編み出したのだ。


 それは、頭の方が美味しいから、というもの。


 好物を最初に食べるか最後に食べるか、という話に似たものであるが、頭は尾より大きい分、熱がこもるため、最後に食べても温かいという利点がある。


 しかし、頭も残さず食べられることが意外と知られていない。



「ウルティス。頭も食べると頭が良くなるよ」


「ほんと?」


「一説には、魚の知識を継承するからっていうのがあるね。こういう説は往々にして伝説やおとぎ話の類だけど、子どもに頭が良い子になってほしいという、純粋な親の願いから生まれた話もある」


「んっ……ん?」


「でも僕は、そんな迷信よりこれだけを伝えたい。地火魚ちびうおの頭は美味しい。苦味やえぐみが無く、最後までパリッとした皮が楽しめる。子どもでも食べられる味だから、是非とも食べてほしいんだ」


「……おねえさま」


「頭も美味しいから残さず食べてね、って言ってるのよ」


「うん!」



 食べ終わったシスティリアから串を受け取り、黙々と食べるウルティスを見守るエスト。

 年の離れた妹……そう思っていたが、最近は距離が近い。どちらかと言うと娘のような感覚が湧いてきたのか、昨日のジルの気持ちが理解出来そうになる。


 ウルティスは可愛らしい。健康的な生活を送るようになり、笑顔を見せる機会も増え、顔立ちも整っているために皆から注目を集めている。


 そんなウルティスを守りたい……そう思うのは、ジルのような者たちである。


 エストやシスティリアたちは違い、彼女が守れなくても生きていけるよう、鍛え、導くことが役目だと感じている。


 それこそが妹ではなく娘のように感じる原因だろうと、エストはウルティスの耳を触りながら思った。



「やっぱり感触、違うなぁ」


「アタシと比べて?」


「うん。システィの耳は、こう……クニクニというか、ハリがあるというか、ペコッと折れる感覚があるんだ」


「そうね」


「でもウルティスはぷにぷに……まだ純粋な柔らかさしかないんだ」


「ふ〜ん? どっちが好きなの?」


「ウルティスかな」


「……そう」


「だって、システィの耳は大好きだからね。僕が愛してやまない耳だよ。毎日、ずっと触っていたくなる」


「……んふふ、そう?」



 ベンチから下ろした尻尾が激しく振られ、彼女の近くだけ箒で掃いたように綺麗になっていた。


 やはりエストの中で一番は変わらず、毎日魅了しては惚れ直す、システィリアだけである。

 だが、次にウルティスも大切に思っており、真剣に魚と向き合う姿が微笑ましく、エストは頭を撫でながら正面に見える火山を眺めた。



 すると何やら、中腹の辺りで土煙が上がっていた。



「システィ、あれ見える?」


「火山かしら? あれは……群れ?」


「どの群れかわかる? あのまま下りたら、異界式ダンジョンの冒険者が飲み込まれるけど」


「自分で見なさいよ。全く……氷像ヒュデア水球アクア



 システィリアが氷の望遠鏡を創って覗くと、エストはまじまじとそのシンプルな望遠鏡を見ていた。

 そして、望遠鏡から顔を離した彼女と目が合えば、少し言いづらそうにしながら見たものを口に出す。



「……火山の魔物が全部下りてる。エルダーオークも、赤いオークも、ゴブリンも……フォーゲル・フーにフォーゲル・ヴァン……それに、アレよ」



 彼女が指をさしたのは、火山の上空。

 そこには、数体の翼を生やした獅子の魔物が、火山から逃げるようにニルマースへ飛行していた。



「グリフォン……これはちょっと」


「……逃げましょ」


「システィ?」



 尻尾の動きをピタリと止めたシスティリアが、深刻そうに呟いた。



「アタシは……きっと戦えない。アンタが前にくれた弓でも、お腹の子に負担をかけちゃう……もう、戦えないの」


「おねえさま?」



 塩焼きを食べ終えたウルティスが、暗い顔をする彼女に寄り添う。

 だが、串を受け取ったエストは違った。


 立ち上がってシスティリアの前に立つと、膝をついて目線を下げる。



「システィリア。僕は君を守ると言った。それは、お腹の子どもも一緒。僕があの魔物の群れから街を……君を守るよ」


「無理よ! 単体Aランクが何百体いると思ってるの!?」


「……ランクなんて関係ない。心臓を貫き、頭を潰せば誰だって死ぬ。残念だけど、僕は戦う相手を問わず、大切な人を守るように教育を受けたんだ」



 右手で3本の串を握ったエストは、立ち上がって2人に背を向けた。



 そして、幾重にも展開した多重魔法陣を右手の串にかけると、エストから放たれる魔力が一気に重く……熱くなる。


 ウルティスが見上げたエストの瞳は、左目から水色の稲妻が迸り、右目は真っ赤に燃えていた。



「賢者以前に、僕は家族を愛する男だ。大切な人を……家族を守れないほど、弱い自覚はない」



 そう言ってエストは龍の魔力を全身に回し、業物の槍もかくやな強化された串を投擲した。

 直後、凄まじい衝撃波と共に細い串が飛翔すると、音よりも早く飛んだそれは、上空を飛行するグリフォン3体に直撃し──



 木っ端微塵に吹き飛ばした。




「ここから全て、倒してみせるよ」

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