第83話 心掠
「あら、もう行くの?」
「ううん。ちょっと作戦会議」
システィリアの料理で元気を回復させたエストは、頭にネフを乗せたままギルドの裏に行った。残された面々は追うことなく、ゴブリン退治の指揮を執るアリアの話に耳を傾けている。
数分ほどでエストが戻ってくると、そろそろ穴の周りを塞いでいた氷が限界であることを伝え、開門の準備を始めた。
「アンタ、本当にひとりで乗り込むの?」
「仕方ないよ。僕に人を動かす才能は無いし、これ以上魔物が溢れないよう元凶を止めるしかない」
「……そう。怪我をしたら、アタシが治すわ」
「うん、お願い。それと魔力欠乏症には気をつけて。少し疲れを感じたら、そこが限界。無理をすると体が壊れるよ」
「分かってるわよ! アンタに毎日言われすぎて、耳が4つに割れそうだもの!」
ピコピコと動く獣の耳を押し付ける。
慣れた手つきで頭を撫でると、エストはそのまま抱きしめた。何せ、ここからは
彼女が無事の保証は無い。
祈るように『頑張って』と言葉を残し、南門の落とし格子が引き上げられる。
「怪我をしたら狼ちゃんの元に帰ること! 基本は私が倒すけど、漏れたゴブリンから倒して! いい?」
「「「「おう!!」」」」
「それじゃあ、行こうか」
声のトーンを落としたアリアが先陣を切る。
門の近くに居たゴブリンの集団を一瞬にして絶命させると、冒険者の列の最後尾に居たエストは、外壁の上まで走った。
背嚢を下ろし、ネフと共に地獄を俯瞰する。
「そろそろ魔術が切れる」
落ち着いた口調で顔を上げると、穴を塞ぐように立っていた氷の壁が打ち破られ、堰を切った魔物達が大量に溢れ出てきた。
せっかく減らした魔物の海が元に戻ろうとするが、アリアの斬撃が飛ぶ度に、凄まじい勢いで薙ぎ倒されていく。
斬撃を飛ばす仕組みに興味が湧くエストだが、顔を振って邪念を払い、杖を構えた。
「行ってきます。ネフ、頼んだよ」
『ピィッ!!』
突くように構えた杖の先端にゴブリンの血が大量に付着するが、広い高原を走り抜け、山の中腹に位置するダンジョンの入口に向けて突き進む。
数分ほど走り続けると、遂に穴の前に来たエスト。息を整えてから、溢れ出す魔物に逆らうように異界へ繋がる穴に足を踏み入れた。
「──中も洞窟か。ん? ゴブリンは?」
紫色の壁で造られたダンジョンの中には、魔物の気配が無かった。今も入口から出ている魔物はどこから来ているのか、理解に苦しむエスト。
これが洞窟型異界式の力かと、分からないことへの恐ろしさを実感する。
ダンジョンの中の方が安全という奇妙な状態だが、元凶はきっとこの先にある。そう確信したエストは、魔力感知が効かないほど濃い魔力の中、歩き出した。
濃度の高い魔力に感覚が鈍らないよう注意しつつ進んでいると、一本道の先に大きな扉が佇んでいた。
僅かな隙間から目眩がするような濃い魔力が溢れ出ており、深呼吸しようにも、これだけの魔力を吸えば体調を崩しかねない。
落ち着くために懐中時計を開くと、杖を構えて扉に手をかけた。
ギイィと音を立てて開いた扉の奥には、真っ黒な大理石で造られた、荘厳な玉座の間が広がっていた。
暗く、黒く。本能的な恐怖を呼び起こすような空間に一歩踏み込んだ瞬間、左右に控えていた漆黒の騎士が大剣を振り下ろす。
しかし、即座に騎士が凍りつくと、バラバラに砕けて散った。
『──ふぅん? 子どものクセにやるね』
「誰?」
『さぁ? 誰でしょう。生憎、家畜に名乗る趣味は無いの』
女の声が響くと、エストは意識を集中させる。
大理石の柱に青い炎が灯り、暗かった玉座の間を妖しく照らす。
声のした方向には、真っ赤な玉座に足を組んで座る、独特なシルエットの女が居た。
その影を見たエストは思わず目を見開く。
あまりにもソレが、伝承上の話に似ていたからだ。
人類と同じ言葉を使い、魔術を使う。
人と似た姿を持つが、明らかに違う。
頭には天を穿たんとする角が2本。
圧倒的な魔力量。
感情の薄い、殺すことしか頭に無い化け物。
『900年振りの血は美味しそうね。クフフっ!』
「……魔族」
長く伸びた紫の髪に、真っ赤な瞳。
闇に溶けるような黒い角は天井を向いており、漆黒のドレスは光に反射し黒く輝く。
かつての帝国を一夜にして滅ぼした魔物。
朝に感じた震えるような気配の正体であり、大量のゴブリンとオークを呼び寄せた謎の魔術を使う化け物。
伝承と違う点は、感情が薄くないこと。
まるでご馳走を前にした子どものように目を輝かせ、獣のように涎を垂らしている。
鋭い爪で手を振れば、影から現れた黒い騎士がエストに向かって斬りかかった。
「
黒い騎士の鎧は異常に硬く、ダークウルフですら一撃で屠る
エストのこめかみに汗が伝う。
魔族の動向に注意しつつ、より効率的に倒せないか模索する。
『なんか寒いわね。
騎士を倒し終わる直前、魔族の前に現れた赤黒い多重魔法陣から、黒く燃え盛る炎の大剣が現れた。
巨人にしか握れないような大きさの剣は、エストが見たことも無い術式で構成されており、危険を感じて
魔法陣から射出された炎の大剣は真っ直ぐにエストを捉えると、氷の壁を容易く貫いてしまう。
一瞬にして全ての氷が破壊され、横に回避したエストだが、すれ違った大剣の温度が尋常ではなく、ローブの半身が溶けて無くなった。
幸い服とローブの間に
「今の……魔術? 見たことない」
『バカな家畜を殺すための剣よ。次は避けないでくれるかしら?』
「ヤダ。僕、まだ死にたくないから」
反撃にと横殴りの
エストは分析しながらあの手この手で魔術を放つが、その全てが容易く掻き消されてしまう。
「魔力が乱されてる。魔封じの部屋に近い?」
昔、魔道書で読んだ話を思い出す。
そこには魔力が掻き乱されることで魔術の発動を妨害し、抵抗が弱い状態で部屋に出現する魔物に襲われる、というもの。
ここまで魔術が消されては様々な理由が思い浮かび、エストが対処法を知らない事象は片手で数えられるほどに絞られる。
術式内の魔力が乱されるならと、エストは魔術ではなく魔力を固体に変形させ、半透明な槍を握った。
数歩の助走をつけて投げられた槍は、玉座の間の空気を揺らしながら直進する。
それを掻き消さんと魔族は手を振るが、槍の穂先が多少ブレただけで、その鋭い殺意が腹に刺さった。
鮮血が飛び散り、ひどく濃い魔力が玉座から垂れていく。酔いそうなほど濃厚な死の臭いは、エストの表情を歪ませた。
『……久しぶりの人間だから楽しもうと思っていたのだけれど……もういいわ。死になさい』
フッと右手を前に出す魔族の傷は、癒えていた。
しかし赤黒い血は粘り気を見せながら床に垂れ落ち、凄まじい再生能力を見せると共に、闇のように輪郭の消えた魔法陣がエストの前に現れる。
「あっ」
防御すら許さず、魔法陣が輝いた。
魔法陣から伸びる神経のように細い魔力がエストに触れた瞬間、プツリと糸が切れたように体の制御を失った。
『クフフ! 外に人間も居ることだし、見世物にしようかしら。ワタシを傷つけた罪よ。裁かれなさい』
立ち上がった魔族がコツコツと音を立ててエストの傍に立つと、ニヤリと笑みを浮かべて顎を持ち上げる。
開いた瞼から覗く水色の瞳は光を失い、深海のように暗い。完全に意識を乗っ取った魔族は、脳を揺らすような甘い声で言った。
『
エストは小さく頷くと、マニフの背後に着いて歩く。まるで脳を乗っ取られたエストは、魔力の操作すら魔族に奪われ、大量の魔力が垂れ流しになっている。
ほんのわずかに杖を握る右手が震えるが、肉体は完全に精神と分かたれてしまい、抵抗虚しく操り人形と化してしまった。
『あぁ人間……なんて脆い家畜なのかしら』
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