第84話 魔族vs龍人族


「狼ちゃん、2人投げるよ!」


「は、はいっ!」



 迫り来るゴブリンの群れを押し返しながら、門の前に立つシスティリアに向けて怪我人を投げていくアリア。


 Bランク冒険者より2つランクが上なだけ。そう思っていた存在は、まさに次元が違うと呼べるほどに力と技、そして速度を持っていた。


 もう10分以上もゴブリンを捌きながら、息を切らさずに戦況を把握し、報告と怪我人の運搬を行う。


 あまりにも規格外な働きぶりに、システィリアは治療に専念することしかできなかった。



治癒ライア。アンタは……回復ライゼーア。はい、行ってきなさい!」


「助かった。礼を言う」


「今度奢らせてくれ!」


「いいから早く行きなさい!」



 次々と運び込まれる冒険者に魔術をかけ続けていると、少しずつだがシスティリアの顔色が悪くなっていく。


 文字通りの生命維持が厳しくなってきたと感じるアリアは、ペースを上げて扇状にゴブリンを狩り続ける。



「……あれが一ツ星。本当に人間なの?」



 押しては返す命の波を見て、到底自分には真似できない。想像することすらできない戦いに、感嘆する。そんな冒険者がエストと姉弟であると知ると、なおさらその強さを実感した。


 武術のアリアに、魔術のエスト。


 どちらも一点に特化したスタイルでありながら、互いに持たぬ技術を等しく尊敬し、学ぶ姿勢を見せている。

 現状の己に満足せず磨くことを続け、いずれ擦り減って消えそうになっても、新たな知識を足して磨く。


 ただ、アリアの凄さはエスト以上に分かりやすかった。それは獣人であるがゆえの危機察知能力によるものではない。


 誰が見ても、人間を超えたような速度で戦っているのだ。



「さて、いつまで出続けるのかな〜?」



 そろそろエストには帰ってきてほしい。

 そう思っていたところ、遂に魔物の放出が止まった。アリア達は今がチャンスとばかりに、積もっていく死体の上で残党を狩る。


 ようやくこの地獄も終わるんだと、誰もがそう思った。

 最後の1匹をアリアが討ち取った瞬間、山の中腹から殴られるような殺気が鼓動し、冒険者たちの意識を刈る。


 奇跡的に意識を保っていたシスティリアは尻もちをつき、近くの冒険者達を起こそうする直前……半分溶け落ちたローブを着る魔術師が視界に入った。



 パッと花を咲かせたように笑って顔を上げると、ゴブリンの死体を踏みつける、悪魔の如き存在に視線が吸い込まれた。



『人間は生きたまま血を飲むのが美味しいのよねぇ。腹を刺して痛みで目が覚めた瞬間の表情ときたら……あぁ、堪らないわぁ……!』



 システィリアの息が荒くなる。光の映さない瞳で棒立ちになっているエストから魔力が溢れ出し、本能的に体が震えるのだ。

 そんなエストの前に立つ角の生えた女が恍惚とした表情で訳の分からないことを語り、吸うだけで倒れそうなほど濃く黒い魔力を放出している。



「嘘……嘘よ。滅んだはず……」



 それが魔族だと認識するが、歴史が間違っていたことへの抵抗感と目の前の存在から、思考がスープのように掻き回される。



「狼ちゃん、逃げて。時間は稼ぐから」



 見るからにエストが異常であることを理解したアリアは、せめて彼女だけでも生き残らせようと、ゴブリンの上で強く踏み込み、片手で剣を構える。


 張り詰めた空気が、粘土のように重たい。


 尻もちをついた姿勢のままシスティリアが後ろに下がるのを見て、未だに手を出してこない魔族を睨む。



「エスト? 目を覚まして。起きてくれないとお姉ちゃん、死んじゃうかもしれないよ?」


「……」


『無駄な言葉ね。ワタシの魔法にかかった以上、坊やはワタシのおもちゃなの。ほら、坊や。そこの女を殺しなさい』



 魔族の言葉にコクリと頷く。

 前に出たエストは右手の杖に魔力を通し、血のように赤い多重魔法陣が幾つも展開される。逃げ場は作らず、確実に殺す。


 そんな殺意が、確かに宿っていた。


 だが、ただでやられるアリアではない。

 姿勢を低くすると、一気に距離を詰めた。その速度は尋常ではなく、足元にあったゴブリンの死体達を大きく巻き上げている。



「……後で治してもらおうね」



 容易く。野菜でも斬るかのように剣を振り上げると、杖と共にエストの右腕が吹き飛ばされた。

 しかし、魔法陣が消えることはなかった。

 それどころか、吹き飛ばされたはずの右腕が即座に再生し、溢れ出る魔力が弱くなっている。


 そういえばと、光魔術は徹底的に叩き込まれていたことを思い出すアリアだったが、無情にも魔法陣は高速で回転を始める。


 まだ魔術が発動していないにも関わらず、空気が熱い。高密度になった魔力の粒子が衝突し合い、熱を帯びている。




 すると、全ての魔法陣が一斉に輝く。




「残念。お姉ちゃんを侮ったね」



 魔術が発動する直前、アリアは剣に魔力を込め、魔法陣に向かって無数の斬撃を飛ばした。音よりも速く刻まれた魔法陣は、魔力の乱れによって全て霧散する。


 小さく息を吐き、再度剣を構えた。

 そして、剣の腹に反射する己の姿を見て、先程の斬撃で自身に掛けられていた闇魔術こと斬ったことに気がついた。



『あらぁ? 龍人? てっきりワタシ達が食べ尽くしたものだと思っていたけど……クフフ、運が良いわぁ』



 刹那。眼前に現れた魔族の爪が、アリアの心臓目掛けて振り下ろされる。

 人を超えた力で反応して剣で弾くが、次の瞬間にはエストが再度魔法陣を展開していた。



 圧倒的に不利な状況。


 そう判断したアリアは、鱗に覆われた尻尾に力を込めた。紅い龍の尻尾がわずかに膨らむと、特徴的な龍の瞳が殺意を増して魔族を睨む。


 龍人族の象徴は、額に向けて捻れた2つの角と、伝説にも残る圧倒的な強さだ。


 しかし、その強さには段階がある。


 龍人の尻尾は、骨の周りを分厚い筋肉で覆い、鱗を纏うそれは獣人に比べて太く、重い。一見して動きが遅くなりそうな印象を受けるが、龍人はその筋肉を活かし、三本目の足。または武器として使うのだ。


 


『クフフ! トカゲに睨まれてもねぇ?』



 アリアが強く剣を握った瞬間、空気が揺れる。

 おぞましい速度で地を蹴ったせいで、高原に穴があいた。尋常ではない勢いで直進し、エストを無視して魔族の懐に潜り込むと、人間には反応できない剣技で忌々しい両腕を切り落とした。


 それだけでは飽き足らず、ゴブリンを貫き地面に刺さった足を軸に、質量の塊である尻尾で殴り飛ばす。



 一瞬の出来事に、外壁近くまで下がっていたシスティリアが言葉を失う。



「──これが……龍人族?」



 伝説として、龍人族が白狼族と争っていたことは知っている。何百年も前にお互いの縄張りが干渉し、土地を巡って殺し合いをしていたと。


 能力的に見れば龍人族が優勢に見えたが、あまり大きな群れを作らない龍人族に対し、白狼族は中規模な群れを数多く形成するために戦況は互角。


 最後には、お互いがほとんど死滅するほどの大戦争になったのだ。



 そんな龍人族の力を見て、アリアは横に首を振る。


 どこかで生まれ、棄てられた白狼族のシスティリアに、目の前で魔族を圧倒するアリアに敵うわけがない。力量差は歴然。初めてエストのことを聞かれた時の威圧感も、今の戦いを見ていたらよく分かる。



「……悪夢でも見てるのかしら」



 吹き飛んだ魔族を見て、また魔法陣を切り刻んだアリアは、静かに魔術を使おうとするエストを抱きしめた。


「大丈夫……まだ温かい」


 龍の目ではなく優しい人間の瞳に戻り、遅くまで遊ぶ弟を迎えに来た姉のように言葉をかける。



「エスト、起きて。お家に帰ろう?」


「……」


「怖かったよね。でも大丈夫。お姉ちゃんが居るから。一緒に帰って、世界で2番目に美味しいご飯を食べようよ。だから……お願い」



 起きてもらおうと目を合わせた瞬間──



「……え?」



 アリアの腹から貫いた氷の剣が、背中を貫通していた。

 ボタボタと音を立てて血が流れたのを見て剣が消える。アリアは膝から崩れ落ちると、大粒の涙を零した。



「どう、して……どうして解けないの!」



 魔族は殺した。普通ならそこで魔術が切れるはずだ。それなのに、エストにかけられた術は消えることなく、ただ魔族の命令を実行する人形と成り果てている。



「返してよ……返してよッ! ねぇ!!!」



 魂からの声を吐き出すと、何度も何度も『どうして』と、駄々をこねる子どものようにエストの脚に抱きついた。


 しかし、静かにソレは現れた。




『あの程度でワタシが死ぬと思ったぁ?』


「ッ──!」


『死ね。醜いトカゲ』



 アリアの背後に出現した魔族が、傷口を抉るように背中から手を突き入れた。


 切り落とされたはずの肉体は既に完治している。ニヤリと笑う表情は誰に向けたものか、頬を紅く染めて血の味を楽しもうとした。



『クフフ……クフフフフッ!!』



 引き抜いた真っ赤な手に舌を這わすその瞬間、魔族にとって信じられないことが起きてしまう。



 不意にエストの右手から、バチッと雷のような魔力が弾けた。


 垂れ流しになっていた魔力の隅々まで弾けると、ボーッとしていたエストの瞳に、青空の如き澄んだ光が灯る。


 大きく目を見開いた魔族は、その現実が受け入れられなかった。



『ワタシの……魔法が』



「……楽しい旅がしたいんだよ。邪魔……しないでくれるかなぁ?」



 強く歯を食い縛るあまり、奥歯を砕いて血が垂れる。足元に蹲るアリアの姿を見て、今までに感じたことがない強い怒りに支配された。



「殺してやる……っ!」

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