第7章 龍身の賢者

第139話 お高い宿


「お前……あの時のッ!」



 氷の縄で縛られ、床に這いつくばりながらエストを睨むレウド。彼とエストの出会いは、学園入学前まで遡る。


 エストをただの子どもだと舐めてかかったことが原因で、かなり痛い目に遭った男だ。



「ねぇ、知り合いなの?」


「知り合いってほどじゃないよ。僕が冒険者登録をした時に、面白い芸を見せてくれたんだ」



 ほら、こんなふうに。

 そう言ってレヴドの股間をピカーっと光らせてやると、システィリアは珍しく引いた目でエストを見た。

 悪魔のような笑みを浮かべて光らせ続ける姿に、きっと何かされたんだろうと考え、そっとやめさせた。



「受付さん、2部屋一週間とれるかな?」


「は、はい! 420万リカになります!」


「サービスに期待してるよ」



 一瞬の迷いも見せずに懐から皮袋を取り出すと、受付に渡すエスト。

 中身の確認が終わるまでもう一度股間を光らせてやろうと思っていたところ、なんとレヴドは自力で氷の縄を打ち破った。


 エストは真後ろから掴みかかろうとする手を躱すと、横に居たシスティリアの前に立って杖を出した。



「お前、どうしてそんな金を持っている!」


「知らないの? ギルドは魔石をお金に替えてくれるんだよ?」


「なっ、ふざけんな! それだけの金を用意するのに、どれだけ数が要ると思ってる!」



 今の資金的に、この宿にあと2週間泊まれるかといったところ。

 ラゴッドで大量のリザードマンの魔石を売り払って得たお金なので、誰も討伐数など覚えていない。



「見苦しいわね。アンタが弱いからここに泊まれないだけでしょう? 身の丈に合った宿に行きなさいよ」


「うるせぇ! 獣人は黙ってろ!」



 その言葉にいち早く反応したのは、やはりエストだった。

 完全無詠唱で小さく杖を振っただけで使われた氷魔術は、レヴドの全方位に氷の槍を出現させた。

 澄んだ瞳には何も映しておらず、ただ静かに、無音の殺意を研ぎ澄ます。



「久しぶりだよ、この感覚。君は相変わらず僕の大切な人に汚い手を出すね…………3度目は無い。出て行け」



 出入口の方向の槍を消すと、冷や汗を垂らしながらレヴドは宿を走って出た。

 昔よりも遥かに洗練された魔術に、筋肉だけが取り柄の自分では勝てない相手だと悟ったのだ。

 取り巻きの冒険者に指をさせば、騒動の根源は去っていった。


 受付嬢もホッと息を吐いて確認が終わると、エストは鍵を受け取った。


 部屋への案内を受けながら、繋いでいたシスティリアの右手に力がこもる。



「アタシのことになると過剰に反応しすぎよ。う、嬉しいけど、その……心配になるわ」


「システィのことが悪く言われるのが嫌いなんだ。僕は君がどんなに素敵な人かを知っている。だから、種族的な外見だけで判断されるのが無性に腹立たしい。ごめんね、僕は心が狭いから。治せそうにない」


「…………もう。そう言えるだけアンタの心は広いわよ」


「惚気けるなら部屋でやれ」



 日に日に慣れを見せるブロフだったが、いつも以上に距離が近い2人に苦言を呈す。

 苦笑いをする案内人に連れられ、それぞれの部屋に荷物を置いた。


 流石は世界有数の温泉街ということもあり、宿の値段は今までにない過去最高額だった。一泊30万リカの高級宿であるがゆえに、部屋は広く、隅々まで清掃が行き届いていた。


 何せ、この宿は貴族も愛用しているのだ。

 半端なサービスでは最悪、物理的に首が飛びかねない。


 2人で大の字になっても余裕があるベッドと、バルコニーから望むニルマースを流れる川と温泉の湯気、そしてそびえるマース火山の景色は、まるでひとつの芸術品である。



「値段相応の景色ね。ふふっ、一緒に温泉に入れるみたいだし、楽しみだわっ!」


「屋台もいっぱい出てるから食べ歩きもしたい」


「夜まで自由時間にしましょうか。アタシも服を見てみたいの」



 ひとつ頷いたエストは、システィリアがどんな服を着るのか考えながらブロフにも自由行動だと伝えると、2人で食べ歩きをすることになった。


 一度頭から色んな服を着るシスティリアに退いてもらい、食欲をそそる香りを放つ屋台に目を向ける。



 馬車の列が通り過ぎるのを待ってから道の反対側にある屋台で、地火魚ちびうおという特産の川魚の塩焼きを買った。


 エストの手のひらより少し大きい地火魚は、肉厚の身をぎっしりと溜め込み、クセのない脂と塩が、舌に旨みの波を広げていく。


 商品を受ける時に貰ったひと切れの柑橘を搾ると、さっぱりとした味わいに変貌した。

 あまりの美味しさに、自然と口角が上がるのを感じる。



「お前に着いてきたのは正解だった」


「よかったよ。この楽しみを共有できて」



 2人は顔を合わせ、もう1本ずつ買ってから次の屋台へと歩みを進めた。

 

 熱々の地火魚を頬張っていると、街がにわかに騒がしくなる。何かと思って振り返れば、赤と金が眩しい豪奢な馬車が走って来た。



「あの紋章はレッカ帝国だな」


「へ〜。ひほふほかほっへるほはは貴族とか乗ってるのかな


「もっと上だ。皇族だろ」



 珍しい場面に遭遇したなと思っていると、目の前を通って行く馬車が慌てて速度を落とした。


 2人の少し先で馬車が完全に停止すると、御者らしき執事がステップを用意し、煌びやかなドアが開けられた。


 より一層周囲を騒がしくしながら、馬車から降りてきたのは綺麗な紅い髪を下ろした少女……否、淑女であった。




「やっぱり! その髪はエストさんですね!」




 その淑女はエストを見つけると、小さく手を振りながら近づいてくる。



「……おいエスト、知り合いか?」


「こっちはちゃんと知り合いだよ」



 魚を食べる手を止めたエストは、目の前に立つ皇女然とした淑女と目を合わせた。




「久しぶりだね、ルージュ。元気?」



 目の前に居るのは、ルージュレット・エル・レッカ。そう、魔術対抗戦で魔術師として仲良くなった、第2皇女その人である。

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