第57話 前に進もう
パーティが終わり、メルとミツキを寮に転移した後。穏やかな空気感で談笑をしていると、不意にエストが呟いた。
「師匠、学園を卒業してもいい?」
「えらく急じゃな。理由はあるのか?」
「僕、旅をしたい。学園で魔術の研究をするより、外の世界で経験を積みたいんだ」
お金を稼ぐために始めたダンジョン攻略は花を咲かせ、学園外での知人や、専門的な知識の供給源となっている。
最たる例はガリオであり、彼の繋がりで得た冒険者同士の関わりは、エストの宝物のひとつだ。
学園ではどうしても実戦的な魔術は制限がかけられ、閉鎖的な空間では交友関係も上限がある。
そういった観点からみても、冒険者として旅をすることがベストだと思ったのだ。
「う〜ん、じゃが試験を受けねばなぁ」
卒業には、合計3回の試験を合格する必要がある。
そのどれもが高度な魔術への理解が求められるため、魔術学園卒業というのは、宮廷魔術師団に入る上で大きなアドバンテージとなる。
自分一人では判断が難しいと言うと、ほんのり頬を赤く染めた学園長が提案した。
「明日にでも受けるか? 普通なら3年生以上が対象だが、希望者ならいつでも可能だ」
「やる。3回分一気にできるんだよね?」
「いや、本来は1日1回という制限がある。だが君の知識量を見越して、1回に凝縮しよう」
現状の知識量でも充分だと太鼓判を押され、急ではあるが、進級及び卒業試験を受けるとこになった。
「お〜、3ヶ月で卒業だ〜。意外と長かった?」
「じゃな。当初の予想じゃと、一月も経たずに出ると思っておったからの」
「メルちゃんに手を掴まれたのかな〜?」
「ううん。魔道書を読んでた」
「……エスト君。まさかあの図書館の物を全部?」
「今まで読んだことないやつは、ね」
帝国にある図書館で最も大きい学園のものを読破したとなれば、その知識量は宮廷魔術師を超える。
旧理論の改築や新理論の発見など、多岐にわたる魔道書が揃っているだけに、人によれば生涯をかけても読み終わらない量である。
しかし、大半は学園に来る前に読んだことがあったため、エストが読んだことのない魔道書というのは、100冊前後であった。
それらを3ヶ月で読み終えるのも異常だが、その数十から数百倍はある魔道書を読んできた方が異常である。
「もうここで卒業式でもするか?」
「気が早いぞ、ネルメア。試験内容を変えれば、そこそこ歯ごたえのある問題になるじゃろうて」
「いや……彼レベルならもう、新理論の提唱ぐらいしか思いつかないぞ」
どうじゃ? と目だけで聞く魔女の顔は、自信に満ちていた。
「僕は別にいいけど、それで。まだ書き終わってない術式とか残ってるし」
「らしいぞ」
「……1年以内に卒業するのは、君の姉以来だ」
既に卒業した気になっているが、それは約束されたようなもの。エストの視線がアリアの方を向くと、皇女との話を中断してエストを抱きしめた。
「お姉ちゃんはね〜、2週間で卒業しちった☆」
「凄いね。流石お姉ちゃん」
「でっしょ〜? お姉ちゃん、秀才〜」
アリアの胸から顔を引き剥がすと、どこかしんみりとした空気が流れる。エストの本格的な独り立ちを前に、魔女が寂しそうにしていたのだ。
もう行ってしまうのか、と。
「師匠、大丈夫だよ。僕の家はここだから」
「エスト……」
「僕はまだまだ知らないことが多すぎる。一度外に出て、しっかりと学びたい。ダメ……かな」
魔女は首を横に振り、エストの手をとった。
「もうわらわがアレをやれ、コレをやれというのは終わった。ここからは自分で考えて動くのじゃ。それが人としての成長であり、魔術師としての成長じゃ」
まだまだ甘えん坊なエストは、卒業してからは家でゴロゴロすると思っていただけに、その予想を裏切ってくれたことが嬉しかった。
ずっと一緒に居たい気持ちは変わらないが、それが叶わぬ願いであることは誰よりも知っている。
「疲れた時は、帰ってこい。お主には帰るべき場所があり、お主の帰りを待つ者が居る。そのことを胸に刻め。よいな?」
「はい」
「うむ。ではわらわからは何も言うまい。ネルメアよ、明日は頼むぞ」
「頼まれた」
そうしてパーティが終わると、エストは寮の前に転移してもらった。卒業が確約された以上、荷造りをするためである。
といっても、殆ど物がない部屋なので、1時間もあれば来た時と同じ景色になっていた。
寮のベッドは、家の物より少し硬い。
アリアの腕枕も無ければ、魔女という抱き枕も無い。
心の奥では旅立ちを拒否する自分が居る。
まだまだ家に居たい。
ずっと2人に甘えていたい。
わざわざ外に出たくない。
それでも、己の未熟さを払拭するには足りなかった。今のエストは、負けた自分に、甘えた自分に怒っている。
しかし、寂しいものは寂しい。
何かあった時のお守りにもなると信じて、魔道懐中時計を握りしめたまま眠った。
今だけは、心の支えが欲しかったのだ。
翌朝。
本格的に夏休みが始まり、寮に残る生徒や、実家に帰省する生徒で別れている頃。
エストは学園長室に訪れ、最初で最後の試験を受けようとしていた。
「試験内容は1つ。3回分を凝縮した」
「うん。新理論を提唱するんだよね」
「そうだ。君がそこに書いた答えは、私が羊皮紙に写して魔道書にする。無論、しっかりと理論に基づいた術式ならばな」
「……本当? 羊皮紙に?」
魔道書の原本は、羊皮紙に記される。
保存性が高い獣皮の紙は価値が高く、とてもじゃないが学園生が買える値段ではない。
しかし今回、ちゃんとした魔術の新理論を書くならばと思い、学園長は新説提唱の準備をしていた。
それが、エストのためにも。
学園のためにもなると信じて。
エストの前に、1枚の大きな紙が置かれた。
酷く緊張感がないが、その内容は研究者でも書けない最高難易度。
学園長の合図で書き始めると、エストの握るペンは止まることを知らない。
大量の魔道書を読んできただけに、新たな術式、及び魔法陣を提唱する時の書き方を熟知している。
今回エストが提唱するのは、『掴める魔術』だ。
それは対抗戦で使った相手の魔術を掴む魔術ではなく、皇女の心を掴んだ、ぷにぷにの
こちらは単魔法陣で使える上に、どの適性であっても温度を変えることで、夏場は涼しく、冬は温かくして過ごすことができるというもの。
魔道具ではなく、敢えて魔術理論として出すことで、便利な魔術の研究に役立つことを願っている。
人を助ける魔術こそ、魔術の使い方。
魔女に教えられたことを守り、ここまでやってきた。
「──できた」
「早いな。まだ1時間も経ってないぞ」
「魔法陣も書いた。読む?」
完成した
スラスラと読み進めた後、もう一度最初から読む。
文字に間違いが無いか、更に2度読んで確かめた後、ニヤッと笑った学園長が小さく頷いた。
「完璧だ。これが君の、最初の新理論だな」
「……ふぅ。完成したら、ルージュにも見せてあげて。ずっと自分でもやりたいって言ってたから」
「わかった。それにしても、この魔術が初級相当とはな。君のことだから、上級相当を出すと思っていた」
それはエストも考えなかったわけではない。
ただ、広範囲に渡る攻撃的な魔術が多い上級よりも、遊び心がある初級の方が好きだからである。
誰でも真似しやすく、誰でも効果を実感する。
そのために、まず単魔法陣の構成要素から書いたのだ。この魔道書を読めば、基礎のひとつができるくらいに。
そしてもうひとつ、上級を避けた理由がある。
それは──
「多重魔法陣とか、描くのめんどくさい」
「あっはっは! そうか、面倒か!」
魔術師が必死になって描き、模索する姿を知っているだけに、エストの一言で酷く滑稽に思えてしまう。
そもそも新理論に関して、初級か上級かなんてどうでもいいのだ。
ポイントなのは、その理論に間違いがなく、しっかりと再現性があるかどうか。その点さえ抑えておけば、十分に新説提唱となる。
「はぁ……卒業おめでとう。大きく羽ばたけ」
「ありがとう。メルたちには、また帰ってくるって伝えてほしい。きっと、寂しいと思うから」
「君から伝えないのか?」
「今みんなに会ったら、その紙を破きたくなる」
その言葉に小さく笑みを浮かべた学園長は、学園の方から周知することを認めた。
最後に卒業生としてのバッヂを受け取ると、エストは振り返ることなく部屋を出た。
これで学園生としての生活も終わる。
思っていたよりも楽しかった日々を思い出し、寮にある背嚢を背負い、杖を持ったエストは学園の門前に立った。
「ありがとう。また来るよ」
学園に向かって小さく頭を下げ、3ヶ月という短い学生生活に幕を下ろした。
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