第190話 大っぴらに


 特別授業も終わりが見えてくると、生徒の顔つきが変わり始めていた。皆一様に知らない世界に足を踏み入れ、新たな知識に正しく向き合ったのだ。


 今日はそこそこ楽しかったと思うエストの元に、少女がひとり歩いてくる。


 システィリアによる光魔術の練習法を教わっていたルミスだった。



「あ、あの……先生。ちょっとだけ、気になったんですけど」


「なに? 言ってみて」


「先生は、その…………賢者……だったりしますか?」


「うん、そうだよ」


「そうですか…………──え?」



 勿体ぶるでもなく、さも日常会話のように明かされた新たな賢者に、ルミスは杖を落としてしまう。

 震える手で取り直して顔を上げるも、そこには何も考えていないのか、システィリアの方を見る講師がひとり。



「……本当に?」


「だから僕は何度も言ってるんだ。自分の実力を正しく認識しろ、ってね」



 エストの口から語られる言葉は、幼少の頃より魔女に口酸っぱく言われてきた言葉。


 力を正しく認識しろ。

 力の使い方を把握しろ。

 力の見せ方を工夫しろ。

 それが出来なければ魔術師として三流を彷徨い、人として“使われる”ぞ。


 どんな才能を持っていても、決して侮ってはいけない。どれだけ努力を重ねても、比較してはいけない。

 ただ己と向き合うことこそが人として、魔術師として成長する道である。



「本当に……賢者様……なんですか?」


「あまりその名前で呼ばないでほしい。僕にとって気持ちの良い言葉じゃないんだ」


「……は、はあ」



 生徒たちの様子を見ながら、両手の間で小さな氷の狼を創るエスト。完全無詠唱で創られたソレが、明らかに才能だけの代物ではないことを物語っている。


 しかしルミスには、そこまで察する力が無い。


 彼が賢者という言葉に肯定しながらも嫌な顔をし、恐ろしく緻密に創られた可愛らしい狼があることしか分からなかった。


 ちぐはぐな答えに困惑しながら、狼を手の上で走らせるエストを見る。


 まるで生きているかのように呼吸し、脚を動かし、つぶらな瞳でエストを見る狼だが、その視線が彼に届くことはない。

 針よりも細い氷の毛に色が入ると、狼は赤や緑、黒にまで毛色を変えるが、しまいには両手で潰されて消滅する。


 彼が何を見ているのか分からないルミスは、ただ静かに愛する人を眺めるエストに恐怖心を覚えた。



「鋭いね。僕のことが怖いと思ったでしょ」


「……はい」


「それでいい。相手の力に正しく恐れる技術は、死を遠ざけてくれる。治癒士には持ってこいの人材だ」


「さっきから……何を仰っているんですか?」


「無知を恐れず未知を恐れろってこと。君は戦う治癒士になりたい……って言ってたような気がする。だから、ちょうど良いと思ってね」



 知らないことを恐れず、

 分からないことを恐れろ。


 光の適性を持つのならば、戦ったことのない魔物よりも、意味の分からない人間を恐れた方が身のためである。



「僕が本当に賢者かどうかは……いずれ知る。回りくどいことをするけど、君たちが成長するために僕から言うことはもうないよ。もう少し、普通の魔術師を演じさせてほしい」


「……どういう意味ですか?」



 疑心暗鬼になったルミスが恐る恐る聞くと、その肩に2つの手が乗せられた。

 ビクリと跳ねて振り返れば、終礼に入る鐘が鳴ったことを知らせに来た、システィリアとユルだった。



「エストは黙ってろって言ってんのよ」


「光の少女。お前は自分の力に気づいていない者の典型例だ。その男がどれだけの秘密を抱え、責務を負い、その冠を頭に載せられたのか、今一度考えろ」


「まぁ、僕はこの力を隠さないからそのうちバレると思うけど。ワイバーンはちょっとやり過ぎだったかな?」



 ローブの中から右手を出したエストが、ひょいひょいと招くと生徒たちが集まってくる。ミリカの号令で2列に並ぶと、慌てて頭を下げたルミスが列に入った。


 講師陣にユルを合わせた3人が前に出ては、エストがユルに手を差し伸べた。



「楽しかった?」


「存外、悪くなかった。私も後輩の育成を始めてみるのも良いと思えた。ただ、お前の教育はいささか穴が多い。姿勢の改善や受け身のとり方を教えるべきだ」


「そこまで改善点が出せるならユルに講師を任せたいね。僕よりも良い先生になれるよ」


「当たり前だ。我がウィンドバレー家はレッカ帝国が誇る剣術の名門。胸を張って言えるぞ」


「辞めたくなったらジオ経由で君に任せるよう言うね」


「……本当に殺すぞ?」


「殺せなかったくせに?」



 手を取ったユルが完全無詠唱の風刃フギルを発動させるも、刃が現れた瞬間に霧散する。

 何が起こったのかはシスティリアの嗅覚でしか知覚出来なかったが、2人は貼り付けたような笑顔で握手を交わしていた。


 ユルは全力で手を握っていたが、過去にアリアに手を潰されたことがあるエストにとって、痛みを感じることはなかった。



「システィも今日はありがとね」


「こっちこそ、楽しかったわ。でも、ユルの言うように穴が多いわ。依頼が入ってない日はアタシも手伝おうかしら?」



 まさかの提案に男女問わず『おおっ!』と声が上がると、その時は是非とエストは笑顔で答えた。

 初めて見る彼の笑顔に女子から熱のこもった目線が向けられるが、システィリアが一瞬だけ殺気を放つと大人しくなる。


 これにはユルもやれやれといった様子で呆れるも、彼もまた端正な顔立ちをしているため、同じように見られている。



「後で報酬について学園長に話しに行こうか。それじゃあみんな、今日来てくれた2人にお礼を」



 ミリカの号令で全員が頭を下げ、特別授業は終了となった。

 ヘトヘトになった生徒たちにエストが聖域胎動ラシャールローテを使うと、ユルが胸ぐらを掴んで『この程度のことに上級魔術を使うな!』と怒っていたが、今更といった表情の生徒を見て溜め息を吐いていた。


 実技終わりの聖域胎動ラシャールローテを楽しみにしているほど、エストの魔術を好む者は多い。

 そこに疑問を抱けたルミスを高く評価するのは、エストの中では当然のことだった。




 そして、皆が帰寮した後のこと。

 2人仲良く手を繋いで学園長室に訪れると、臨時講師としてシスティリアを採用しろと言うエスト。



「はっはっ、新任講師に『採用しろ』と言われたのは初めてですなぁ。無論、構いません。報酬も出しましょう。ですが……」



 厳しい目でシスティリアを見た学園長は、手入れの行き届いた耳と尻尾を見た。



「我が国は獣人には明るいですが、魔術師ではそうでない者が多い。少ないながらも──」


「大丈夫。何か言われたら僕が黙らせる」


「血の気が多い……いや、守る者の目ですな。うむ、大いに結構。この老いぼれから言うことはありません」



 明日にでも臨時で入れるように手配すると言われ、部屋を出ようとした時、



「そろそろ遠征の日が来ますぞ。どのクラスも魔術の腕を磨き、外界へ知らしめる……エスト先生のクラスは大丈夫ですかな?」



 そういえばそんな話を就任前に聞いたなぁと思いつつ、エストは頷く。



「外界に知らしめる? そんなことをする人が宮廷魔術師になれるとでも? 残念だけど僕のクラスは優秀な子が多い。みんなには自分の道を照らせるよう、ちゃんと教えているよ」



「そうですか。期待していますよ」



 真意をこれでもかと突くエストに、学園長は若干引いた様子で見送った。

 去り際にシスティリアが頭を下げてドアを閉めると、しわのより始めた頬を片手でさする学園長。



「……本当に恐ろしい方だ。既に魔術師の真髄を教えているではないか……陛下はそれすらもお見通しだったのか」



 ぬるくなった渋めの紅茶を啜り、大きく息を吐く。



「グリファーよ、過去にあの方と喧嘩した時は何事だと思うたが……今となれば正しい。もしあの方が宮廷魔術師団に入ってみろ、我々は息をする間に食われ、お前は落ちぶれていたぞ」



 隣国の弟子に思いを馳せる、学園長である。

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