第288話 皇女殿下の思し召し


 レッカ帝国を治める皇帝、バーガン・エル・レッカは頭を抱えていた。


 愛娘である次女のルージュレットが、たまたま執務室に来ていた時に、帝都ギルドマスターからの通信を聞いてしまったからだ。


 絶海の孤島へ解呪方法を探しに行きたいという3代目賢者の話を聞いた途端、彼女は両手を叩いて立ち上がった。



「陛下。皇族を代表してわたくしが船を用意しましょう。この件はわたくしに任せてください」


「……何故そこまで3代目を気にかける?」


「英雄だから……とは言いません。友人だからです。わたくしは困っている友人に手を差し伸べないほど困窮しておりません。栄誉あるレッカの人間。例え力に屈し、飢えに苦しみ、泥をもうと、友人の手を取ります」



 伸びた背筋で胸を張るルージュレットは、高貴さだけは皇族随一の光を放ち、皇帝の疲れた目を眩ませてしまう。



「……此度の件はルージュレットに一任する。全く……お前だけだぞ。賢者と積極的に関わる者など」


「うふふ。父上はエストさんを賢者として見ているから、そう思われるのですよ。彼は人間です。人を愛し、人に愛される。私たちが手を差し伸べれば、彼もまた、私たちに手を差し伸べてくれますよ」


「少なくとも、余は不干渉を貫く。次代を想い、民を想い、その手を離さぬようにな」


「…………はいっ!」


「行くといい。お前は実に破天荒な皇族だ。賢者を友とする風を吹かせるならば、民が熱き炎を炊き上げるだろう」



 そうして執務室を出たルージュレットは、すぐに近衛兵にエストらを召喚するように命じると、メイドに応接間の掃除を言い渡し、化粧のために私室へ戻った。



「薄めで構いません。お願いしますよ?」


「……かしこまりました。緊急なのですね」


「ええ。ですが、いらっしゃるのはわたくしの友人です。……あぁ、そうでした。セルス! カゲンへ船を出す用意を。航海士の手配をお願いします」


「はっ。最短で3日ほど要します」


「構いません。必要であればわたくしの名を。手間がかかるようでしたら、ファルム商会を通してください」



 手の空いていた執事に船の手配を頼むと、ルージュレットは好奇心に胸を踊らせた。


 それは、エストに会えるから……ではない。

 エストという存在が困るほどの呪い……つまりは闇魔術への興味であり、心の在り方は皇族のソレではなかった。


 化粧をせずとも赤い頬に、側仕えのメイドが薄く紅をさした。


 ルビーの如き深紅の瞳に宿る想いは2つ。

 エストの無事と、闇魔術の真相解明。

 友を思う気持ちの裏には、エストに匹敵する魔術への興味が湧いていた。




 そして時間が経ち、応接間に集まった4人の前に姿を現すと、ブロフとライラが跪く。



「楽にしてください。……エストさん、ご結婚おめでとうございます」


「ありがとうルージュ。早速だけど、僕らを呼んだ理由を聞いてもいい?」



 ルージュレットの側仕えが紅茶を並べると、しっかりと全員に行き渡ったことを確認してから、ルージュレットは頷いた。



「もちろんです。夕刻に帝都の冒険者ギルド、ギルドマスターよりお話を聞きまして、わたくしが全面協力を申し出たのです」


「それ、皇帝は何か言ってた?」


「……うふふ。言い方がよろしくないですが、実は陛下への進言を、わたくしが掠め取ったのです。しかし、陛下より今回の件を一任して頂けたので、思う存分エストさんの力になりたいと存じます」


「わぁ……ありがとう。無理はしないでね?」


「ご安心ください。“皇族を代表して”わたくしが前に立ちました。ですがわたくしは……友人であるエストさんを助けることに、理由など要りません。憂いを捨てて頼ってください」



 帝城で会うルージュは、今までにエストが見た彼女の中でも一際高貴な姿をしており、言葉の節々から彼女の気高さが窺える。


 あくまで友人として。

 されど皇族としての力を惜しまず協力するという彼女に、エストは嬉しそうに微笑んだ。



「ありがとう。帝国に何かあったら、次は僕が出来る範囲で力になるよ」


「こちらは外交でございませんのに……」


「友だちだから、困ってたら助けるんでしょ? じゃあお互い様じゃん。僕は気にしてないよ」


「アンタが気にしなくてどうすんのよっ!」



 最も気を付けるべき者が発する言葉ではなく、思わずシスティリアが突っ込んでしまった。

 僅かに緊張していた空気が和らぎ、外交らしい空気感が去ったことで幾分か話しやすくなる。


 そうして、船の手配や海岸までの送迎、闇魔術についての調査を協力するということで話が進んだ。


 未だにカゲンが無人島と言われる理由が分からないが、それも行けば分かるだろうと、エストは楽観的に捉えていた。



「──さて。それじゃあ僕らは帰ろうかな」



 事務的な話が終わり、テーブルの上に散らばったトランプを整えながらエストが言う。



「うふふ、今日は急にお呼び出ししてすみませんでした。まさかカード遊びがこんなに楽しいとは」


「今度シェリスも誘ってみんなでやろう」


「ええ。その時は是非!」



 最後は本当にただの友人として別れると、エストたちはギルドへの送迎馬車に乗った。

 何とも手厚い扱いに心の底から感謝していると、ギルドに近づくにつれ、重たい空気が入り込んでくる。


 馬車が停り、エストが降りてギルドの様子を見れば、そこには虚ろな目をしたアリアが、ぼーっとフォークを握り潰していた。


 他にも幾つかの食器がぐにゃぐにゃに曲がっており、エストはハッとする。



「あっ……お姉ちゃんに伝えるのを忘れてた」


「あ〜あ……だからあの様子なのね」


「エスト、お前の姉だぞ」


「謝った方が……」



 そうは言うものの、誰も中に入りたがらない。

 こんなことなら伝言なり通達なり、出来ることをすれば良かったと後悔するエスト。

 しかし、無情にもアリアはポケーっとしたまま動く気配が無い。


 それがむしろ、壊れた人形のような不気味さを醸し出している。



「い、一緒に行くわよ」


「……ダメだ。かえってお姉ちゃんがショックを受ける。3人は宿で待ってて」


「任せてよ。10年以上も一緒に暮らしてきたお姉ちゃんだよ? 僕だって──」









「うぇぇぇん! エストにフラれたぁぁ!!!」




 宿の一室に、アリアの泣き声が轟いた。



「盛大な前フリだったわね」


「ちょっと……面倒くさくなって適当に返事したら壊れちゃった」



「うわぁぁん! 面倒な女だってぇぇ!!!」



「……ね?」


「……ええ」



 この後、2時間ほどアリアを慰めることになり、持ち場を離れる時はきちんと連絡しようと心に決めるエストであった。

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