第289話 エストの理想


「それじゃあウチ、もう行くね〜。エスト、ちゃんと腕が治るって信じてるから」


「またね、お姉ちゃん。師匠によろしく」



 帝都の北門でアリアを見送り、程よく涼しい風が吹く。ふわりと髪を撫でるような空気は乾いており、システィリアの長い髪が靡いた。


 エストが振り返れば、いつもの3人が。

 既にカゲンへ行く準備が出来ているのか、皆自信を持った顔つきをしていた。


 その背後から、何やら荘厳な馬車が近づいて来た。


 幌馬車ではなく、しっかりと全面に壁が隔てられた箱馬車であり、全面に帝国の紋章が刻まれてあるので、すぐに皇族の物だと分かる。


 4人の後ろに停り、馬車から降りてきたのは、先日エストたちを帝城に呼んだ騎士だった。



「これから港までお送りします」


「えっと、騎士が連れて行って大丈夫?」


「私はルージュレット様の近衛騎士です。私が同行することで、しっかりとルージュレット様の采配であると示さねばなりません」



 付け加えて、皇族や近衛騎士でなければその馬車を動かす権利が無く、無断で出そうものなら重罪人として裁かれる。


 これは皇族が動いていることの証拠であり、逆に言えば、現状のエストたちを帝国が占有していることを周知させたのだ。


 エストたちには直接の影響が無いものの、帝国の外交としては重要な役割を担う。

 たった1台の馬車に大きな意味が込められていることは、4人が知る由もなかった。



 箱馬車に乗り込むと、中は空間魔術で拡張された広い部屋になっており、10人程度が横になってもまだ余裕がある。


 システィリアたちが中のソファでくつろぐのを横目に、エストは床をぺたぺたと触っていた。



「エスト? 何してるの?」


「……この魔術、先生が掛けたやつだなって」


「そんなことも分かっちゃうのね」


「先生と師匠の空間拡張って、個性が出るからね。先生はしっかりと幅と高さを測った空間だけど、師匠は感覚的に『これくらい』で広げる」


「で、この馬車に掛けられた魔術は、ピチッと測られてたのね」


「うん。1時間に2つの小魔石で維持できる大きさだね」



 懐からゴブリンの魔石を取り出したエストは、部屋の隅に付けられた魔石設置用の器具を指さした。

 そちらを見れば、2つの窪みにゴブリンが落とす大きさの魔石が嵌め込まれており、この空間を維持する精度の高さはジオのものだと言う。


 そんな話を横で聞いていた近衛騎士長は、静かに戦慄する。



「……っ、賢者様が凄まじい魔術師とは聞いておりましたが……なんと」


「ね〜、凄いよね。僕は感覚で使っちゃうから、こんな綺麗な魔術は使えないよ。先生は本当に凄い」


「いえ、私が申し上げたのは貴方のことです」


「え、僕? もしかして期待外れ?」



 てっきりジオへの感嘆だと思っていたエストは、あの言い方で自分に向けられた言葉なら……と自身に指をさした。


 騎士長は膝をついてエストと目線を合わせると、首をゆっくりと横に振る。



「皇族の馬車には、初代賢者リューゼニス様と、魔女エルミリア様の御二方に空間拡張の魔術を組み込んでいただきました。しかし、どの馬車にどちらの魔術が使われたのか、それは馬車に刻まれた番号でしか識別出来ません」



 馬車が造られたのは100年以上前のことであり、もう誰も、製造時の話を覚えている者がいないのだ。



「魔術式を読む……それが出来るだけでも超一流。その上で使用者の判断が出来るなど、それはエスト様が凄まじい技量を持つこと他なりません」


「そっか。じゃあ僕は、その『超一流』を増やしたいな。魔術の個性は術式によく現れるからね。みんなが見ただけで驚くような、新しくて面白い魔術が見たいんだ」



 純粋で、穢れを知らない子どものような瞳で。

 1000年の魔術の歴史を追った者とは思えない、誰よりも透き通った気持ちで語る理想は、高位の魔術の普及だった。


 魔術学園が喉から手が出るほど欲しい人材だろう。その歴史を刻まんと、より良い魔術師を生み出さんと、彼の知識を欲するはずだ。


 しかし、既に王立魔術学園は知っている。



 エストがおぞましいペースで魔術の神髄を教えるがために、着いてこられる者が僅かだということを。



 彼の理想を叶えるためには、そもそもの今居る魔術師の常識から塗り替えないと、魔法文字の理解や術式の速読が出来ないのだ。


 王国が味わった栄光と艱難の授業は、ユル・ウィンドバレーをもってして『常軌を逸している』と言わせるほど。


 エストの話を聞いて胸を踊らせる騎士長も、そんな裏があるとは知らなかった。




 帝都を発ってから7日が経ち、遂に海が見えてきた。

 ヌーさんたちと違い、街道を走る馬車はゆったり進んでいると思っていた4人だが、普通の馬では2週間は要する距離であると知り、皇族の足となる馬を見る目が変わった。


 海のそばには小さな村があるが、港は小さい。


 1隻の小型魔道船が浮いているだけであり、馬車から降りたエストは、馬に水をあげてから村に入った。



 真っ直ぐに港へ向かう騎士長について行くと、操舵室から青い髪を短く整えた、背丈がエストよりも高い女性が出てきた。


 桟橋のような小さな港に飛び移ると、騎士長が彼女に手を差し出した。



「それでは船へ。私はここまでですが、この先はファルム商会より雇用したエイダに代わります」


「よっ! 俺がエイダだ、よろしくな!」


「…………あ、うん、よろしく」



 男口調のエイダに思わず固まったエストだが、差し出された手を握った瞬間、シトリンで出会った船長のオルグを思い出した。



「あんたがシスティリアだな。数年前に見た時はちっこいガキだったが……立派な剣士になったな!」


「数年前? どこかの街で会ったかしら?」


「あ〜、ガルネトだったかな。そこのエストと一緒に、避難命令が出てる街に入って行ったろ? 俺はあの時、ちょうど街から出た馬車に乗ってたんだよ」



 5年前のことである。エストらが初めて五賢族と戦ったあの日に、たまたますれ違っていたらしい。

 その時、エストの髪色と隣に居る獣人という珍しさから、一瞬しか見ていないが、エイダの脳に深く刻まれたのだ。


 当時はシスティリアも二流はおろか、三流の剣士だった。それが今や、星付きの冒険者である。


 立派になった彼女と握手をすると、エイダは嬉しそうに笑った。



「じゃあ俺の船に乗れ! 転覆は6回しかしてねぇからな! 安心してくれ!」



 白い歯を見せて船に乗り込むと、エストは躊躇した。

 システィリアもエストの裾をぎゅっと掴んでおり、そのシスティリアの裾をブロフが、そしてライラと続いていた。



「……ん? ほら、手を貸してやるよ」



 そしてエイダがエストの手を掴んで引っ張ると、予想以上に引っ張る力が強く、まるで繋げたタオルを振ったように4人が船に乗り込んでしまった。


 騎士長が手を振ると、無常にも船は発進する。



「良い旅を。無事に完治することを祈っております」


「……ル、ルージュに! ルージュに『死ぬかも』って伝えて!」


「はっはっは! きっと大丈夫ですよ!」



 満面の笑みで見送る騎士長は、エイダの実の兄だった。幾度の転覆経験は全て魔物によるもの。今回はクラーケンを……そして水龍をも屠ったエストが居るなら大丈夫だと、心から信じていた。



 水平線の彼方に消えるまで見送った騎士長は、エストたちが帰ってくるまでの間、別の兵士を村に駐在させた。



「故郷を守ってくれたお方だ。あの伝言は伝えねばな」



 そうして、一週間後。

 ルージュの耳に、エストの情けない『死ぬかも』という言葉が入るのだった。

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