第256話 自称故郷の善悪人
シトリンを出発してから約3ヶ月。
ライラが冬の旅にも慣れてきた頃、リューゼニス王国最東端の街、ロックリア伯爵領が見えてきた。
雪の積もる街はエストにとって懐かしい……わけでもなく、久しぶりに訪れた街、程度の印象だった。
「ほ、本当に王国を横断したんですね……!」
「懐かしいわね。修行していた頃はよくお世話になったわ」
「……おい、エスト。変な虫でも食ったか?」
「別に。ここの領主とは会いたくないだけ」
苦虫を噛み潰したような顔をするエスト。
ロックリアと聞けば思い出すのは、姉を名乗るエイス・ロックリアの顔である。
数少ない、エストが明確に『嫌い』と思う人物。
その根城たる街に入ることに、若干の抵抗があったのだ。
ゆったりとした足取りで門をくぐれば、アリアと共に歩いた景色が広がっていた。
あの頃と比べて随分背も伸びた。
街の屋台を見下ろしたことで実感する時の流れに、少々の悲しさを覚えてしまう。
「え〜と、今日はここに泊まるんですか?」
「うん。僕は馬車を停めて来るから、みんなは先に行ってて。ギルドで落ち合おう」
そうしてひとりになったエストは、フードを深く被った。
凍てつくような寒さだが、氷獄に比べれば暖かい。まだまともに空気が吸える街の中、エストは商会を探す。
大通りに繋がる幾つかの商会のうち、ファルム商会に馬車を預けると、職員にあることをお願いした。
「ねぇ、もし僕の馬車に何かあったら、ファルムにこう伝えてくれる?」
「お言葉ですが、ファルム商会の防犯意識を侮らないで頂きたい」
「わかってる。だから“もし”なんだよ。いい? ファルムに言えばわかる。『賢者の馬車をロックリアが襲った』と」
「……まさか、貴方は」
「頼んだよ。僕は君たちを信じてる」
そう伝えて商会を後にしたエスト。
フードに隠れて顔は見えないが、職員は静かに察した。
エストがロックリアと良い関係を築けていないこと。そして、商会を盾に使おうとしていること。
ファルムの意思があるか分からない以上、馬車の警備を増やすことは難しい。しかし、もし本当に賢者の馬車であれば、“もしも”の場合、凄まじいリスクを背負ってしまう。
商会の未来のために、職員は連絡用魔道具でファルムを呼ぶ。
『ファルムです。緊急ですか?』
「こちらロックリア支部。緊急であるかは不明。先程、賢者らしき者が馬車を停めたため、会長にお繋ぎしました」
『……ほう。それは……怪しいですねぇ。その者と話をしましたか?』
「はい。馬車に何かあれば“賢者の馬車をロックリアが襲った”と伝えろ、と」
『ふむ……なるほど。貴方にひとつ、質問します。簡単な問題です』
「は、はぁ。お答えします」
『シトリンから3ヶ月足らずでロックリアに到着。貴方には出来ますか?』
「不可能です。早馬に交代で牽かせても5ヶ月は要します」
『ではその者は、本当に賢者様でありますね。白いローブに同色の髪。少し生意気に感じる口調と、左手の薬指に指輪をしていたはずです。馬車の警備を増やしなさい』
不可能という言葉を容易に破壊する認識があるファルムにとって、ロックリア支部に訪れた男が賢者エストだと知るには充分だった。
それに、馬車を買った際にロックリアを目指す話は聞いていた。
急ぎの用だからと軽く、頑丈な馬車を見せたところ、即断即決で購入したのだ。
その早さなら、もうロックリアに着いていてもおかしくない。
それから、幾つかの外見の特徴を聞くと殆ど一致していたため、ロックリア支部は警備を固め、襲撃に備えた。
そして、商会を出たエストはというと。
懐かしい八百屋の前に来て、果物の詰め合わせとして売られている籠を見て唸っていた。
どれもエストとシスティリアの好物ばかりで、中々決められないでいるのだ。
「……こっち……いや、奥のもいい。アレはシスティが苦手だけど僕が好きなやつだし……う〜ん」
かれこれ悩み初めて10分が経っている。
店主も困惑した様子で、真っ白なローブの男に不信感を抱き始めていた。
だが、どこか似たような雰囲気を出す者を、過去に見たような気がすると、首を傾げた。
「いや、僕は大人だ。これとあっちの籠、両方ください」
顔を上げたエストと店主の目が合うと、その白い髪と凛々しい表情。澄んだ空のような瞳を見て、昔の記憶が蘇った。
「……ッ! もしかして、アリアちゃんの弟さんか?」
「……覚えててくれたんだ」
「やっぱりそうか! 大きくなったなぁ!」
謎は解けたと言わんばかりに喜んだ店主は、この街一番の有名人であるアリアが、数回だけ連れてきた弟のことを思い出したのだ。
あの時はちょうど籠くらいの目線であり、それが今や店主と同等の身長だ。
顔つきも体つきも男らしくがっしりとしているが、目の奥の幼さは変わらず、アリアに似た雰囲気を放っている。
今でもアリアが、しきりにエストの話を街でするのだ。
それはどれも姉バカと呼べるほどに溺愛している様子だったが、そのおかげで忘れずにいられた。
「……おかえり。アリアちゃんには会ったのか?」
「ただいま。これから会いに行くんだ」
家族のように接してくれる店主にお金を渡すと、立ち去ろうとしたエストを呼び止めた。
「ちょっと待て。銀貨は要らないぞ?」
「それは覚えててくれたお礼。お姉ちゃんが来たら、話のネタにしてほしい」
「……分かった。気をつけて行ってこいよ」
「うん! ありがとう、おじさん」
昔はピクリとも表情が動かなかったのに。
今では笑って話すことが出来るくらいに成長し、我が子のような心でエストを見送った店主は銀貨を握った。
そして、覚えていてくれて嬉しい気持ちと籠2つ分も果物を買って足取りが軽くなったエストは、これまた懐かしい冒険者ギルドへやって来た。
相変わらず騒がしい声が外まで聞こえるなと思い、扉を開けると、エストの表情は一瞬にして冷たくなる。
「ハッハッハ! あのガキが居ねぇと無様に吠え面をかくんだなぁ? 獣人ってのは」
「……はぁ。エストの知り合いって、どうしてこう、善い人と悪い人が両極端なのかしら」
「あぁ、俺は善人だとも! この穢れた獣人を追い払ってやる!」
テーブル席に座る3人……もといシスティリアに絡んでいたのは、エストの記憶にこびり付いた油汚れのような男──レヴドである。
冒険者登録の際にアリアを狙いエストを脅し、ニルマースでは宿屋に横柄な態度をとり、品格の無さを露呈した無様な男だ。
「とっとと出て行け。お前みてぇな動物は、ご主人様にケツでも振ってな!」
「ふふっ、確かにそうね! それもアリね」
「……お嬢?」
「エストはアタシがお尻を振ったら、それはもう喜ぶでしょうね。アンタと違ってアタシは愛されてるもの。誰からも必要とされないアンタと違って、ね」
彼女の毒舌を浴びて青筋を浮かべたレヴドは、声にもならない声を発しながら、システィリアの髪を掴んで持ち上げた。
「感謝しろ、お前も必要とされなくなる顔面にしてやるよ」
「そう。醜いアンタと違って、彼はアタシを内面から愛してくれているわ。好きにしたらいいじゃない」
「このっ──!」
避けられない拳がぶつかる、その時だった。
コツ、コツ、と等間隔の歩幅で近寄る足音が響いた。
それはギルドが入ると、温かかった室温を氷の中に閉じ込められたが如く下げ、床には凍った跡が付いていた。
パキパキと音を立てて崩れる足裏の薄氷。
吐いた息は冷気を帯び、全身から滲む濃密な、蜂蜜のような殺気は極限まで抑えてなお、溢れ出す。
それがレヴドの背後に立つと、振るおうとした拳が止まる。
髪を握る手が震え、鼓動が早くなる。
生物としての恐怖。
生存本能が逃げろと叫ぶが、レヴドの足は凍りついて動けない。
「手を離せ」
騒がしかったギルドが静寂に包まれる。
レヴドの背後から白い影がすっと動くと、髪を掴む右腕に、その鍛え上げられた白い腕が触れた。
掴まれたレヴドの腕は、その手より大きい。
しかし、ギュウっと絞るような音と共に段々細く、赤く……締め付けられていく。
「あぎゃああああああああっ!!!!」
「……お前が触れていい髪じゃない」
骨が折れた感覚と共に手を離せば、レヴドはその場に蹲った。真っ赤に腫れ上がった右腕を抱き、睨みつけたそれは──
蒼い龍の目をした、賢者エストだった。
「ごめんね、遅くなっちゃった。みんな、何もされてない?」
「オレは平気だぞ」
「わ、私も……ずっとシスティリアさんが絡まれてて……」
「日常茶飯事よ。殴られたら殺せばいいもの」
「あぁ、じゃあ少し早かったかな。流石に股間照明じゃ晴らせない問題だからね」
あと少し遅ければレヴドは消えていただろうが、それはシスティリアが殴られることを意味する。
それはエストが許さないので、このタイミングで着いたことは運が良かった。
「アンタ……目が」
「目? ……おお! カッコよくなってる!」
システィリア用に購入した手鏡で顔を見てみると、確かに瞳が縦になり、うっすらと水色に発光していた。
「それ、どう見てもドラゴンじゃない。大丈夫なの?」
「平気だよ。それよりも、コレが邪魔だね」
そう言ってレヴドを蹴り飛ばすエスト。
ドアを破壊し、そのまま道までぶっ飛ぶ勢いに、システィリアたちだけでなく、蹴った本人も驚いていた。
「マズイね……システィ、手を握って」
心を落ち着かけるために手を握ってもらうと、数度の深呼吸を試みるエスト。
次第に冷気を吐かなくなれば、目も元に戻っており、身体能力も通常通りに戻っていた。
「ふぅ。龍の魔力の影響かな。気をつけるよ」
「……ありがとね、エスト」
「僕は当たり前のことをしただけ。システィが無事で良かった」
システィリアを抱き締めたエストは、何度も何度も彼女の髪を撫で、安心感を与えるのだった。
怖い思いをさせたと、謝るエスト。
システィリアは、そんなエストの心遣いに笑みをこぼす。
「さぁ、お昼ご飯にしましょ」
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