第127話 2人の統治者
「ワシはナバルディ・ダード。本来この国を統治する全獣人族の頭だったが、ワケあって地下牢にぶち込まれた哀れな者だ」
獅子獣人の男は目を伏せながら言う。まるで全ての威厳を失い、今はただの人であるように。
だが、エストは彼が只者ではないことを直感で理解できるほどに、立ち振る舞いや話し方には気品を感じた。
本来の統治者。その言葉はエストにとって非常に納得のいくもので、反面、投獄された理由を知りたくなった。
「何か罪でも犯したの?」
「ハッ、罪か。強いて言うならば“生きていること”が罪だったのだろう」
「ふ〜ん。これでも食べて元気だして」
中々に理不尽な理由で捕まったものだと哀れんだエストは、ナバルディの前にワイバーンの塩漬け肉を出す。
作っている時は大きかった肉も、干して小さくなったことで手のひらにすっぽり収まる。ワイバーンという膨大な旨みが凝縮されたこの肉は、まさに干し肉の帝王。
鼻の効く獣人がその匂いを嗅ぎ分けるには容易だった。
「いいのか? それより何処から出した?」
「まあまあ。美味しいものを食べる時くらい、他のことは忘れなよ。大丈夫、味は保証するから」
「う、うむ……感謝する」
塩の効いた干し肉を引きちぎるように齧るナバルディは、獅子という絶対強者の顔つきから、まるで孫を溺愛する祖父のように頬を弛緩させた。
キリッとしていた目は目尻を下げ、小さく『美味い……美味い』と連呼する。
「エストか……良いな、気に入った! ワシはこれまで
「そんなに変かなぁ?」
「変であるよ。まず貴様は、ワシがドゥレディアを治める者と言おうと、獣人であろうとその目を変えなかった」
「わざわざここに来る人が獣人嫌いなわけがないでしょ?」
「そうだとも。それ自体も変なのだ。普通、人族は獣人を嫌う傾向にある。人は皆同じであることを望むからな。だが貴様は違う。この目だと見えるのだ……一切の曇りがない心が」
獣人の中でも白狼族が魔力を匂いで判別できるように、獅子の獣人は目で見るだけで敵意を判別できる。
その力を最大限に使うことで、対立や争いの絶えない獣人族を束ねていたのだ。
人族の中ではかなり珍しいエストの思考に感心していると、コツコツと足音が聞こえてきた。
地下牢に訪れたのは、冠を被った男だった。
おもむろにナバルディを見た後に身を反転させ、見下すような目でエストを見つめる。
「……貴様はなぜドゥレディアに来た」
「お土産を買いに。君に邪魔されたけどね」
「黙れ! 余計なことを言えば死刑にする」
一言余計な攻撃は無意味だと知ると、エストは気が抜けたように何も言わなくなった。
しかし、それからも冠男からの質問が続く。
生まれはどこだとか、どのようにしてドゥレディアに来たとか、簡単な質問だった。
余計なことを言わないように答えていると、最後に意味深なことを聞いてきた。
真剣な表情で聞いてくるがために、しっかりと目を合わせるエスト。
「万象のナトを知っているか?」
「……知らない」
「では聞き方を変えよう。魔族を──」
話している途中に、冠男の胸から剣が生えた。
一撃で心臓を貫かれたのか、鉄格子にもたれてズルズルと落ちていく。ゆっくりと赤い池が広がった。
完全に冠男が動かなくなったのを見ていると、ナバルディが怪訝な顔で窺う。
「エストがやったのか?」
「ううん。とりあえず調べよっか。ナバルディも力を貸して」
目の前で人が死んだというのに、一切の動揺を見せないエストは剣の出処を探るべく、廊下に転移した。
その様子に酷く驚いたナバルディだったが、直後に自身も廊下に転移しており、目をぱちぱちとさせるだけだった。
エストは肩を叩いて目を覚まさせると、足元の冠男にしゃがみこむ。
息をするように剣を引き抜き、それが鍛造されたものか魔術によるものかを見極める。
「この剣、
「……な、何を言っている?」
「この人を殺したのは魔術師ってこと。剣が現れた時に魔法陣は見えなかったし、かなり上手いよ」
「……淡白だな。ワシの側仕えに似ている」
冷静に剣を分析する姿に、かつて仕えていた黒猫獣人の男を思い出す。
闇魔術に精通し、気配を消して仕事をこなす姿勢は、悪戯心と忠誠心に溢れていた。
休日は自由気ままな一日を過ごし、稀に起きる命が関わった事件には誰よりも冷静に判断していた。
従者として過ごす時間も、友人として過ごす時間も、ナバルディにとって何よりも大切なものだった。
そんな側仕えも、5年前に魔物によって殺された。
「そういえばこの人、知り合い?」
「知らぬ。ワシは宮殿で働く全ての者を知っておるが、このような顔と声をした者は見たことがない」
「ふ〜ん……ちなみに聞くけど、ナバルディが牢に入れられてからどれくらい?」
「7週間だ。今日で50日目だな」
なぜか胸を張って言うナバルディだったが、エストは顎に手を当てて考え始めた。
滑ったのが寂しそうなナバルディ。
普段のエストならノリに合わせて自身の拘束時間も言うだろうが、今回ばかりはそうはいかなかった。
「…………そういうことか」
「どういうことだ?」
「この男がナバルディに成り代わっていた理由だよ。宮殿の地下にある魔法陣がそろそろ切れそうだったんだ。あの大きさと術式なら、もって50日間」
「待て、地下の魔法陣とはなんだ?」
「そのままの意味だよ。宮殿の下に大きな魔法陣がある。魔術の効果は3つ。偽装、催眠、反撃。周囲に影響があるのは偽装と催眠の2つだけど、べルメッカ全体に発揮するほど範囲が広い」
淡々と明かされる異常事態に、ナバルディは頭を抱えた。
「この男は、闇魔術で自身をナバルディだと民衆に思い込ませていた。でも……意味が分からない」
「ワシを頭から落としたかったのだろう?」
「それも意味が分からないけど、もっと意味が分からないことがあるんだ」
「なんだ? 言ってみろ」
「──あの魔法陣、誰が組んだのかな?」
国の事情など
だが、裏に隠された魔法陣については興味がある。
先ほど唐突に殺された冠男の髪は茶色。適性が髪色に出る以上、彼が魔法陣を組んだと言うなら黒い髪であるはずだ。
ジオのように隠しているわけでもないのだ。
冠男が死んだ今、魔法陣は効力を失い、消滅する。
「ッ! エストよ!」
突然ナバルディが叫び、エストを突き飛ばした。
その瞬間、黄金の光の線が2人の間を突き抜けていく。進行方向の壁に当たった光は、硬い石材を溶解させて穴を開けた。
すんでのところで助かったエストだが、右手の指が2本ほど無くなっていた。
「
いつもなら中級光魔術で治る怪我だったが、なぜか魔力が反発してしまい、上級で上から指を治したエスト。
珍しいこともあるもんだと光の飛んできた先を見ると、そこには冠男と全く同じ容姿の男が立っていた。
しかし、ただ一点だけ違うところがある。
頭につけた冠の色が、禍々しいまでの黒色だったのだ。
『生きていたのか、家畜ども』
透き通るような悪意のこもった声に、2人は本能的な恐怖に身を震わせた。ナバルディにとっては初めての体験だったが、エストは近い感覚を経験している。
男が冠に手をかけると、黒い
そして、その忌々しい姿が顕になった。
頭頂から生えた捻れた角。
紫紺の髪に光を飲み込むような黒い瞳。
ニヤリと笑う気味の悪い口元には、鋭く伸びた牙が覗いていた。
『オマエは知っているぞ。マニフの近くにあった魔力だ』
その名前を聞いた瞬間、エストは杖を構えて全力の
『おお、それだ。私の知らない魔術だ』
「……どうしてこんなところに居るのかなぁ」
『オマエの魔力は実に
杖を握る右手から、ギリギリと音が鳴る。
歯を食いしばりながら睨むエストは、怒りを隠さず真っ白な多重魔法陣を展開した。
「二度とその名前を口にするな。魔族」
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