第243話 日常の温かさ


 泥のように眠るシスティリアは、エストの手によって火傷も跡を残すことなく綺麗な肌を取り戻し、穏やかな寝息を立てていた。



「んっ……ん…………ん?」



 いつもなら部屋の内側……彼女にとって右側に居るはずの存在が居らず、寝返りをうった途端にシスティリアは目が覚めた。


 微かに寒い空気の中、そこにあったのは愛する人の残り香だった。

 ボサボサの頭を振り、耳の毛を手で整えながら起き上がる。少し狭い部屋の中を見渡すと、机の上に置かれた、氷の箱で押さえた1枚の紙が目に付いた。


 紙を滑らせて手に取ると、それはエストの置き手紙だった。



「ん〜、『ギルドでガリオさんと遊んできます。寝顔が可愛くて朝から幸せでした。勝ってきます』……もうっ、エストったら」



 紙が飛ばないように留めていた箱の中には、少し薄皮が残った果実の盛り合わせと、エストの魔力が垂らされたスープが入っていた。


 すんすんと鼻を鳴らし、真っ先にスープの入ったお椀を手に取ると、小さく立ち上る湯気を見ながらいただきますと呟いた。


 息を吹いて軽く覚まし、唇を湿らすように口内へ流すと、時間をかけて溶け出された魚介の旨みが口いっぱいに広がった。



「……あったかい。──え?」



 氷の箱に入っていたのに温かいとは何事か。

 意味不明な事実に脳が理解することを拒む直前、スープに垂らされたエストの魔力に、炎龍の魔力が混ざっていると気がついた。



「よく思いつくわね。ふふん、流石エスト」



 嬉しそうに喜ぶシスティリア。

 スープを飲み干し、優しい甘さと鋭い酸味が特徴的な果実を楽しむと、ギルドへ行く準備を始めた。


 宿を出て空を見れば、昼を過ぎたくらいだろうか。

 弾むような気持ちで冒険者ギルドに来ると、チラッと中を覗いてみた。



「だぁぁぁ!! なんだコイツ! 強すぎるだろ!」


「足りないねぇ。あと1枚同じ数字があれば勝てたのにねぇ……ざぁんねんっ」


「ちくしょう! ミィ、エストの口を閉じさせろ!」


「えっ……そ、そんなこと出来ないニャ!」


「なに顔赤くしてんだ! そういう意味じゃねぇよ!」



 実に楽しそうな声が外まで聞こえている。

 ギルドの一角でポーカーをして遊ぶエストとガリオの前には、空になったワインボトルが山積みになっていた。

 匂いからして中身はブドウジュースなのだろう。

 負けたガリオはグラス1杯のジュースを飲み干した。



「ヴッ、ぷ……あぶねぇ。出るところだったぜ」


「そろそろ僕も飲みたいなぁ。54回もやって2回しか飲めていないよ。あ〜、喉カラカラ〜」



 わざとらしく乾いたグラスを揺らすエストに、片手で顔を覆ったガリオが助けを求めた。



「ミィ、頼む……勝ってくれ」


「ニャ? そんなに紫色のゲロが見たいかニャ?」


「俺の仲間はどこに行った……?」



 項垂れるガリオの前にカードを配るミィは、純然たる好奇心で2人がどうなるかを見届けようとした。

 カードを取ったエストが顔を上げると、パッと明るい笑みを浮かべ、自身の隣に氷の椅子を造り上げた。


 流れるような動作で座ったのは、システィリアである。



「ありがと。あんまりいじめたら可哀想よ?」


「おはようシスティ。でもこれはガリオさんが持ちかけた延長戦なんだ」


「あら。じゃあ徹底的に潰しなさい」


「オイオイオイ! 敵しか居ねぇのか!?」



 エストにぴったりとくっつき、彼の右腕を軽く抱きながら肩に頭を乗せたシスティリア。

 目を細め、頬を肩に擦り付けるその表情は誰が見ても幸せだと感じ取れた。


 澄み切った愛情を持って接する様は、とてもじゃないがAランクに位置する、いわゆる強い冒険者には見えない。


 なぜなら、そのランクの冒険者は戦い、人を救うことに全てを捧げているため、恋愛や結婚からは距離を置いてしまうからだ。



「……仕方ねぇ。俺の負けだ」


「え〜、もっと敗北を知りたかったのに」


「お前は何を言ってんだ……ったく」



 幸せそうな2人を前に、ガリオはあまり踏み込まないようにした。これ以上勝負を続けても、吐くまで飲まされることは分かりきっていたのだ。


 ちぇっ、とつまらなさそうにカードを回収したミィは、周囲でどちらが勝つか賭けをしていた冒険者に近寄り、ジュースの代金をかき集める。

 エストは卓上に残っていたボトルを取ると、グラスに注いでシスティリアに渡した。

 こくこくと喉を鳴らして飲み干すと、おかわりを頼む。

 次はグラスの半分にも満たない量を注ぎ、エストは1滴の魔力を垂らした。



「ん〜! 冷たくて美味しい」


「は? もうぬるくなってるはずだろ」


「ガリオさん。僕の得意な魔術を忘れたの?」


「……便利だな、お前」



 当然のように魔力の液体化が出来るエストだが、体内を巡る魔力の集中、抽出という、言い換えるならば血液を自由に外に出す技術は、高度な魔力操作力が必要になる。


 おまけに、エストの魔力は炎龍と氷龍の分も混ざっている。単純に3倍の難易度になった魔力操作は、もはや芸術の域に達しようとしている。


 1滴だけ垂らすという行為がどれほど難しいことか。この場に居る者でそれが分かるのは、システィリアとマリーナだけだった。



「それじゃあ、僕らはもう一度ダンジョンに行こうかな」



 エストもグラス1杯のブドウジュースを飲むと、システィリアと共に席を立った。



「またドラゴンと戦うつもりか?」


「うん。依頼……というわけじゃないけど、魔石がほしくて。8000万リカの借金が重い」



 ポーカーをしている際に、ファルム商会への借金についても話していたため、ガリオが驚く姿は見られなかった。


 またどこかで会おう。そんな挨拶を交わし、2人はギルドを出て行った。



「ふふっ、ギャンブル好きで借金持ち……エストの地位が危ういわね」


「大丈夫だよ。倍にして返すから」


「それで本当に倍にするんだから、アタシは信頼してるのよ」




 ダンジョン前にやって来た2人は、運動前のストレッチをしていた。


 時刻は午後3時20分。今からダンジョンに潜るには、かなり遅い時間だ。だが、今回の目的はリザードマンの魔石ではなく、炎龍の魔石である。


 速度重視で攻略すれば夕飯時には帰ることが出来ると、あの戦闘を経て感じたのだ。



「最短で行こう」


「遅れたら置いてっちゃうわよ?」


「ははっ、望むところだ」



 互いに頷いてダンジョンに入ると、深呼吸の後に走り出す。

 風を切って進む2人を、すれ違った冒険者が化け物を見る目で見送った。


 道中の魔物は全て無視。上階へ行くための主魔物だけ倒すことをアイコンタクトで示すと、ものの数分で最初の主部屋に着いてしまった。


 システィリアが剣を抜いて立ち止まると、全力疾走するエストが主部屋の扉を蹴って開き、それに合わせて彼女が突撃する。



 おぞましい速度で突き進むシスティリアは、最初の主魔物であるオーガを細切れにすると、拳よりも小さな魔石と宝箱が現れた。


 剣先に魔石を乗せ、宝箱に入っていた小さな魔石をエストに投げれば、エストが出した亜空間に吸い込まれた。


 そうして、部屋に侵入してから10秒足らずで次の階層へ足を進めた2人は、2時間ちょっとで30層の主部屋に入った。

 人類史上最速のダンジョン攻略だが、そんなことはどうでもいい。最後は2人で扉を押し開ければ、再び炎龍と対面する。






 ……それは、酷い戦いであった。

 否、蹂躙と称するに相応しい。


 本来ならば龍が人を蹂躙するはずが、たった2人の人間により、氷漬けにされた後に首を落とされてしまったのだ。


 生まれて間もない炎龍は、何をされたかも分からないうちに消えた。

 ただ2人がハイタッチする音と共に、大きな魔石へと姿を変えたのだ。



「宝箱は〜っと……黄色い魔石?」



 炎龍の魔石を仕舞い、特に期待もしていない宝箱を開けると、エストが初めて見る色の魔石が入っていた。



「光属性の魔石かしら?」


「う〜ん、光はこう、白っぽいんだよね。ここまで濃い黄色となると…………雷属性かな」


「上位属性の魔石なんて、かなり貴重ね。それも売っちゃうの?」


「いや、研究材料にする。雷魔術も習得したいし、理解を深める種になるからね」



 そう言ってシスティリアの手を繋いだエストは、足元に半透明な魔法陣を出すと、宿の前まで一気に転移した。



 かいた汗が冷たい空気にさらされ、彼女の体がぶるりと震える。それを見たエストは、女将に許可を得てから裏手の庭に浴室を作った。


 思い切って屋敷やシトリンに帰るのも手だったが、肉体的な疲労が大きい今、長距離の転移は事故が起きやすい。



「ふぃ〜……癒される〜」


「ふふふっ、たっぷり癒されてちょうだい」



 体を洗い合い、湯船で全身を温めてから台に寝そべったエストは、普段のお返しにとマッサージを受けていた。



「流石にガチガチに凝り固まってるわね。寝不足もあるし、今日は早く寝るのよ?」


「はぁい……あぁあぁあぁ……背中が伸びる」


「綺麗な背筋に、見た目以上に筋肉質の体……エロいわね」



 筋肉をほぐすシスティリアが指先で筋肉をなぞっていく。

 他の冒険者には無い、細身の体に詰まった鋼のような体。見た目とのギャップも然り、魔術師なのに体力バカという特長は、彼女のエストが好きな理由のひとつである。


 肌を伝う脈動の熱は冷たく、熱く。

 淀み無く刻む音から、普段からどれだけ意識的に魔力を制御しているのか、システィリアだけは分かっていた。



 2人で湯船に移り、彼女はエストに抱きかかえられるように湯に使っていると、脱力したまま呟く。



「……大好き。誰よりも、い~っぱい好き」


「……うん。僕もシスティが大好きだよ」



 全身で感じる熱をこれ以上なく愛おしく思い、体を反転させてエストと向き合うと、そっと抱きしめた。

 ぽんぽんと背中に当てられた手は大きい。


 2人でのんびりするこの時間がずっと続きますように。

 そう祈らずにはいられない、システィリアだった。



「システィ? お〜い……寝ちゃったか」



 やけに脱力していると思えば、エストに抱きついたまま眠っていた。

 普段はお世話されることが多いエストだが、たまのお世話も好きである。


 風呂から上がると、柔らかいシスティリアの肌に気を遣い、丁寧に拭いてから服を着せる。う〜んと唸る愛おしい人を背負えば、浴室を消して女将に伝えた。


 部屋に戻り、彼女が寝返りをうっても落ちないよう壁側に寝かせると、エストも横になった。


 降り注ぐ満月の光が夕焼けに負け、窓からは橙の光が差し込んでいる。



「……明日はのんびりしようね」



 そう呟いて頬にキスをすると、瞼を閉じた。

 幸せそうな笑みを浮かべる、システィリアの隣で。

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