第244話 帰ってきた槍剣杖
「エスト……ねぇエスト! 起きなさい!」
「……ん……あと2日」
「寝過ぎよバカ! 早く起きないと、今日の分の料金も取られちゃうわよ?」
朝日も昇り、部屋に澄んだ光が差している。
秋に入ったラゴッドの空気は微かに寒く、一糸まとわぬ姿のシスティリアは、掛け布団に
そんな彼女と同じ格好のエストは、別に一日分くらい余分に払ってもいいと思ったが、他でもないシスティリアの言葉だからと体を起こす。
疲れ切った表情で伸びをすれば、整った筋肉美にシスティリアが見惚れていた。
「おはよ、システィ。今日は一段と可愛いね」
「えふぇっ!? ……お、おはよう。──もうっ、朝からそういうこと言わないで! は、恥ずかしくなっちゃう!」
「照れた顔も好きだよ」
垂れる耳を見て、そっと彼女を抱き寄せたエストは、すべすべの背中を撫でながら頬にキスをした。
朝から尻尾がちぎれんばかりに振ってしまうシスティリア。誰よりも幸せな朝を過ごしていることを実感すれば、エストの肌から温もりを感じた。
「さぁ、みんなの元に帰ろうか」
体を離し、朝の用意を始めようとしたエストに呟いた。
「……このまま2人で暮らしたい……なんて」
それは、ブロフやライラを裏切る言葉だ。
甘い理想を吐いてしまう口は、気づいてから塞いでももう遅い。
仲間想いのエストに咎められると思い、システィリアはぎゅっと目を瞑った。
「……僕も同じ気持ちだよ。でも、やるべきことをやった後なら、もっと幸せな暮らしが送れると思うんだ。システィと一緒なら」
エストは、その言葉を否定しなかった。
むしろ同じだと言い、システィリアの真っ直ぐな愛情に寄り添い、共に進める道へ導いたのだ。
小さく『ごめんなさい』と呟く彼女は、エストに頭をぽんぽんと優しく触れられると、閉じていた瞼を持ち上げた。
柔らかい笑みを浮かべるエストが眩しくて、どこまでも好きになってしまう自分に笑ってしまうシスティリア。
服を着た2人は、乱れていたシーツを伸ばし、窓を開けて空気を入れ替える。
のんびりするはずだったデートの最終日は、エストもほとんど記憶に残らないほど欲に溺れた一日だった。
最後にうんと伸びをして気合いを入れ、朝食を食べた2人は半透明の魔法陣を踏む。
刹那に景色が変わると、そこは海の見える街だった。
手を繋ぎ、見慣れた街をしっかりとした足取りで歩きながら、システィリアは大きく息を吐いた。
「ホント、馬鹿げた魔術よね。便利という概念を超えて、少し怖くなっちゃうわ」
「まぁ、魔力の消費量が圧倒的だからね。今の僕で3割も魔力を使うって、2回使えば目眩で倒れちゃうよ」
転移も楽ではないと言うエストだったが、杖を介せば改善されることは秘密である。
まだ暖かいシトリンの空気は潮風で冷やされ、こちらも秋の入口に立っていることが伝わってくる。家々の隙間から見える内陸の森が、僅かにではあるが葉を黄色く染め始めていた。
そうして2人が立ち寄ったのは、ファルム商会のシトリン支部である。
他の建物とは違う乳白色のレンガが積まれた建物は、シトリンを経由する商人の中継地点であり、この街で最も馬車の通りが多い場所である。
特徴的な外見を持つ2人が従業員の前に立てば、数分もしないうちに豪商ファルムがやって来た。
「これはこれは! エスト様夫妻はデートに行かれたと聞いておりましたが、本日はどのようなご用件でしょう?」
「炎龍の魔石を持ってきた」
「……はい?」
「えっと、約束したよね。炎龍の魔石を持って来るって。ちゃんと2体倒したし、中型の魔石もあるから査定を頼むよ」
たった3日で何を倒したと言うのか。
ファルムの知る限り、炎龍が現れるダンジョンは世界で3つ。一番近い帝国のダンジョンでさえ、シトリンからは馬車で4ヶ月の場所にある。
しかし、ファルムはハッとして気づく。
賢者には固有の空間魔術があることを思い出したのだ。
それを使って行ったのだとしても……どのダンジョンも、炎龍が現れるのはかなりの深層である。
基本的にエストの言葉を信じているファルムだったが、どうしても偽物という可能性を疑ってしまう。
一般の商人がファルムと会話するエストを見ている中、エストは証拠が見たいのだと察し、亜空間から炎龍の魔石を床に出した。
「な、なんじゃこりゃあ!? ……まま、まさか、本当に炎龍の……ドラゴンの魔石を!?」
「重たいから、持ち運ぶなら言ってね」
隣で胸を張るシスティリアを見て、エストも『えっへん』と言わんばかりに体を反らした。
すぐに職員が大きな荷車を運んでくると、エストは自身の背丈ほどある魔石を両腕で持ち上げ、落ちて割れないように向きを調整して載せてやった。
運搬が終わる頃には正気に戻ったのか、ファルムは完済の通知書を羊皮紙とトレント紙の両方にサインすると、エストに手渡した。
「失礼致しました。残りの魔石なのですが、中型の方はギルドより少し安く買い取りになりますが、よろしいですかな?」
「うん、いいよ。でももう1個炎龍の魔石が……」
「そちらはオークションにかけさせて頂きます。炎龍の魔石など世界にひとつしか流通しませんゆえ、最低でも3000万リカから始まることをお約束しましょう」
国が象徴として買うのか、或いは研究用として使うのかは分からないが、炎龍の魔石には最低でもそれだけの価値があると見たファルム。
特に売り値にこだわりがないエストは、ひとつ提案した。
「その魔石で得たお金なんだけど……物でもいいかな?」
「物、ですか。しかし対等の物となると──」
「家を建ててほしいんだ。大き過ぎず、小さ過ぎない、3人から4人で暮らせる家が」
「エスト……」
将来を見据えたお願いに、システィリアはぎゅっと袖を掴んだ。
しかし、ファルムはと言えば、それでも家の方が安すぎると不満げである。
「少し広めの土地もつけましょう。幸い王国、帝国、神国ならワタクシも安心して各領主とお話し出来ますので、お好みの国はありますかな?」
「じゃあ帝国で。だけど、今すぐじゃないんだ。管理もできないし、魔族に破壊されるかもしれない」
「では土地の購入を先にしておきましょう。悟られぬよう、ファルム商会の名で土地を有しておきますので、必要になられた際に譲渡するという契約で」
「わかった。どの領にするかはファルムに任せるよ。僕とシスティが幸せに暮らせると思う場所を、君が選んでくれると嬉しい」
「……お任せを。必ずや、御二方の幸せな未来を、その土台をワタクシがお作りしましょう」
そう言ってファルムは頭を深く下げると、近くの職員を呼びつけた。エストに少し待つように言えば、扉の奥から2人がかりで杖が運ばれてきた。
「僕の杖! うわぁん、会いたかったぁ!」
重そうに運ばれたソレを片手で受け取ったエストは、もう手放しはしないと言い、持ち手部分に頬擦りをした。
そんなエストを見て、呆れた顔のシスティリアが呟く。
「……杖が無くても変わんないわよ」
「違うの! 杖は、こう……魔術師! って感じで、キレが増すの! アイデンティティ? アトリビュート? っていうのかな。まぁ、これがあると実感が湧くんだ」
「……そういえば、エルミリアさんも似たようなことを言ってたわね。黒いローブにとんがり帽子がアイデンティティとか」
魔術に気持ちは大事である。
杖を持つことで自身が魔術師である自覚が生まれ、より強固な魔術を放てる者が多いことは、すでに沢山の研究結果が発表されている。
「それじゃ、買い取ってもらったら帰ろうか」
「そうね! ファルム、これからもエスト共々よろしく頼むわ」
「こちらこそ、御二方の益々のご活躍をお祈り申し上げます」
そうして、2度目の商談とリザードマンの魔石の買い取りを済ませたエストは、皮袋に詰まった240万リカをシスティリアに渡した。
お金の管理はエストがやると雑になるので、しっかり者の彼女に任せたのだ。
たった3日間で凄まじい額を稼いだ2人は、昨日と比べると数段階グレードが上の宿に帰ってきた。
「あら? 2人は出払ってるみたいね」
「そもそも僕らの部屋だよ?」
「そういえばそうだったわ。ずっと居るから忘れてた」
昼下がりのシトリンの街は、静かな印象があるエスト。それも、漁の依頼が終わって昼間は寝ている冒険者が多いからであり、当然と言えば当然のことだった。
今日こそはのんびりと、システィリアに跨られることなく魔道書を読もうとした時。
「おーい! ケルザームが揚がったぞー!!」
聞き馴染みのある船長の声が、街中を駆け抜けていった。
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