第402話 商人の行方


「ね、寝坊した……」



 朝、目が覚めたエストは懐中時計を見て頭を抱えた。

 隣には全裸で眠るシスティリアが居り、愛おしそうにエストの左腕を抱き締めている。


 右手を伸ばしてシスティリアの頭を撫でると、頬をつつく。閉じていた瞼から黄金の瞳が現れ、エストの顔を見ると柔らかい笑みが向けられた。



「おはよ。今日は商会に行くのよね」


「おはよう。もう9時だよ。これから忙しくなるだろうに……ちょっと気が引ける」


「じゃあ、一緒に行きましょ? エフィも連れて。良い経験になるわよ」


「うん、そうしよっか」



 それから、1時間ほど日課の鍛錬と朝風呂を済ませた2人は、エフィリアを抱きかかえてレガンディの街へ行く。

 今日は2人とも白雪蚕のローブを羽織っており、街の中でも強い存在感を放っていた。



「……華やかな甘い香りがする」


「ふふん! 早速あの香水を使ってみたの。どう? 色っぽ〜いアタシにメロメロ〜?」



 隣を歩くエストの前に立ち、前かがみになって上目遣いで聞く姿は、エストの頬を緩めるのに充分な力を持っていた。



「メロメロだね。今日のシスティは一段と素敵だよ」


「あぅ……え、ええ! そんなアタシの夫であるアンタも素敵なのよ? うふふっ!」



 顔を赤くして隣に戻ったシスティリアは、エストの腕を掴んで下を向く。その表情がこれまでになく緩んでいることに、エストは気付いていた。


 エフィリアを抱き直して、システィリアの頭を撫でるとぴったりと横にくっ付く。

 ローブから出している尻尾が、音を立てそうなくらい激しく振られている。



「着いたよ、ファルム商会。いつ見ても立派な建物だね。領主邸の次に立派なんじゃないかな」



 磨かれた白い石材で建てられた商会は、その街によって必ず“領主邸の次に”立派な建築物になっている。

 威圧するでもなく、かといって入りやすくもなく。

 必要な人が入館した際に、気持ちよく使えるサービスと満足出来る商談をするためだ。


 これから商人になる者の憧れとして。

 現在の商人の到達点として。


 それは、ある種の『賢者』と似ているのでないだろうか。



「それだけあの人が大きい存在なんでしょうね。まぁ? エストとアタシの方が? 凄いんですけど?」


「あはは……まぁ、分野が違うからね。きっと、商人の中で賢者みたいな立場に居るんだと思う」



 張り合おうとするシスティリアと商会の前に立つ。

 彼女はおもむろにエフィリアと目を合わせると、ビシッと商会を指輪さした。



「エフィもこれくらい立派になる?」


「魔術史に名前を残したいなら僕に言うんだよ? エフィ。世界をひっくり返して、エフィリア魔女王を爆誕させてあげるからね」


「ぐぬ……アタシならエフィリア剣女王ね!」



 張り合う対象がエスト自身に移ったのを確認して、ようやく入館した。大理石の床を踏み、悠々とカウンターの前に進む2人に、受付嬢は一瞬だけ表情を硬直させた。


 無理もない。今代の賢者と一ツ星のシスティリア夫婦が来たのだから。それも、娘を連れて。


 ただ事ではないと判断した受付嬢は、綺麗な笑みを見せながらカウンター下にある本部連絡用の魔道具に魔力を流す。



「いらっしゃいませ。本日は如何なされましたか?」


「その魔道具、ファルムに繋がってる? だったらレガンディ領アカーム市の南西街道で事故が起きてから、ボタニグラの種が動いたかどうか聞いてほしいんだ」



 システィリアは流石に分からなかったようだが、魔力探知を常時使うことで練習しているエストには、受付嬢が長距離連絡用の魔道具を使ったことが分かったのだ。


 再び顔を硬直させた受付嬢だが、それも一瞬。


 次の瞬間には笑顔で左手を向けた。



「かしこまりました。あちらの応接室にご案内いたします」



 商会受付嬢はプロである。相手が誰であろうと、何をしているのかバレていようと、笑顔は崩さず、丁寧に対応する。


 奥から出てきた若い女性が扉を開けると、2人を連れて廊下を歩き、最奥にある最高級の応接室に通した。


 2人が見えなくなってから、受付嬢は──



(あ、あれが賢者夫婦……存在感が異常すぎる! しかも、どうして魔道具の使用が分かったの? 賢者だから? 賢者だから分かったの!? もう意味分かんない怖いよぉ……)



 この日、初めて受付嬢はカウンターで俯いた。

 その様子を見た他のスタッフは、他に人が居ないことを確認すると、そっと彼女の肩に手を置いたのだとか。





「こちらでお待ちください。すぐにファルム商会長が対応しますので。オムツ替えなどが必要な場合は、ドアのそばに居る者に遠慮なくおっしゃってくださいね」



 それだけ言って女性が去ると、エストはシスティリアと目を合わせた。

 ひとつ頷くと、エストが先に口を開いた。



「クッキー食べ放題だ!」


「違うわよ! ファルムがここに居ることが変なんでしょ!?」


「あれ……そっか。確かに変かも」


「昨日あれだけケーキを食べて、次はクッキー……このままじゃエストがぽよぽよになっちゃうわ」



 食いしん坊精神を全開にしたエストに、システィリアが数ヶ月後の夫を嘆いた。しかし、日頃の運動量や魔力制御で糖分を大量消費する以上、ぽよぽよにはならないのだが。


 ソファに座り、システィリアがエストの横腹をつまもうとするが、するりと腹筋の方へと手が動いていた。


 その時、ノックの後にガチャリとドアが開く。

 即座に手を引っ込めて姿勢をただすシスティリアは、澄んだ清流のようなすまし顔だ。



「ようこそいらっしゃいました、エスト様、システィリア様、それにエフィリア様も。ささ、楽にしてください」



 久しぶりに会うファルムは相変わらずである。

 エフィリアに関しては産まれた時にファルムにも報告をしていたため、キロ単位で布が届いたりした。

 それでもオムツやら何やらで消費するために、育児の大変さの片鱗を2人は味わっている。



「早速本題に入ろうか。どう? 種の方は」


「まさかエスト様がご存知とは不肖ファルム、思いもしませんでした。種の動きに関してですが……実は掴んでおります」



 お金よりも価値がある情報だ。豪商と呼ばれるファルムだけあって、エストたちよりも数歩先の情報を持っていた。



「まぁ! でもすぐに解決ってワケじゃないのよね?」


「システィリア様のおっしゃる通りです。しかし、厄介なことになっておりまして……散っているのですよ」


「散っている? 種がバラバラに動いたのか」


「まさに。レガンディのみならず、付近の都市や街で少量ずつ売られているようでして、何とかわたくしどもの方でているのです」



 買い戻し。つまりは、一度ファルムの手に渡ったが、何らかの理由で手放したということ。

 そこに疑問を持ったエストに、ファルムは『言い忘れておりました』と言い、続けて──



「今回の種に関してですが、フォツカ村の商人ミルアードが、我が商会に入会する道中で起きたことなのです。個人として最後の取り引きも兼ねて、莫大な金額のボタニグラの種を運んでおられたのですが……」


「種は爆発、馬車もろとも木端微塵と」


「はい……ですが、ひとつだけ間違いがございます」


「間違い?」



 2人が首を傾げると、ファルムは真剣な眼差しでエストの目を見て言う。



「その商人ミルアードですが、亡くなっておりません」


「……まぁ、そっか。そんな気はしてたけど」


「じゃあ、犯人の可能性も高いってこと?」


「いいえシスティリア様、それは無いかと。事故を装う必要性は考え至りませんが、我が商会は他の商会よりも割り増しでボタニグラの種を買い取っております。そのため、利益目当てで見ると、わざわざこのような事をするのは合理的ではないのです」



 エストは亜空間からトレント紙と万年筆を取り出すと、今出ている情報をまとめた。


 第三者による事故を装った事件なのは確かだが、システィリアは疑問を口にした。



「そのミルアードとかいう商人は、今どこに居るのかしら?」


「治癒院にございます。右腕と右足を損傷し、背中にも大怪我をしていたため、まだしばらくは目を覚まさないだろうと」


「……欠損回復ライキューア治癒ライアを使ったか。その治癒士、バカだね。ミルアードが死ぬよ?」


「そっか、貧血状態での治癒ライアは逆に死を招くことがある……って昔エストに教えてもらったわ」



 一刻を争う状況……ではないが、それでもミルアードの命が懸かっているのは事実だ。

 エストが何をしたいのか理解したファルムは、すぐに馬車を手配するように命じた。判断からの実行の早さは、超一流のソレである。



わたくしも同行させてください」


「もちろん。ボタニグラの種は僕にとっても馴染み深い物だからね。僕の方こそ、解決まで付き合わせてよ」



 エストとファルムが握手を交わす隣で、愛娘を受け取ったシスティリアが呟く。



「……アタシと料理にしか使ってないのに」


「いい? これは今後のシスティの美しさを保つ分かれ道なんだ。種を横取りする悪い奴に、システィのを奪おうとした罪を償わせてやる」


「はぁ……親バカで妻バカすぎるわよ、全く」



 そう言ったシスティリアの口元は、隠しきれない笑みが浮かんでいた。


 ソファに打ち付ける尻尾の音からも、自分で言い放った言葉にどれだけ喜びを感じているのかが、エストにも伝わった。

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