第403話 情報商談


「ミルアードさんはこちらで眠っております」



 丁寧な対応の神官に案内された部屋には、茶髪の青年──ミルアードがベッドで眠っている。

 顔色は青白く、唇の色も悪い。

 呼吸も安定しているとは言い難い状態だ。



「システィ、お願い」



 システィリアにエフィリアを預け、エストは懐から水晶の杖を取り出すと、逡巡した様子を見せた。


 そんな父の姿に、抱っこされていたエフィリアがエストの髪に手を突っ込む。



「もうっ、エフィが心配してるわよ?」


「……勝手に治していいのか悩んじゃった」


「構いません。わたくしが喜捨しておきます」



 商人らしく金に物を言わせる気のファルムに驚きながら、エストは娘の頭を撫でて微笑んだ。

 小さく柔らかい耳に触れると、我が子の愛らしい笑みに悩みが吹っ飛んでいく。



聖域胎動ラシャールローテ



 魔法陣を出現させずに、呪文を口にしたエスト。

 しかし、魔力を嗅げるシスティリアは気付いていた。上級魔術の口頭詠唱という、実はとんでもなく難しい技で魔術を行使していたことを。


 ──ドクン。


 どこからともなく鼓動のような、胎動の響きが聞こえると、ミルアードを優しい黄金の光が包み、その目を開けさせた。



「あれ……わたしは」


「起きたかい? ミルアード。まだ横になっていていいんだよ?」



 優しく語りかけるような口調のファルムに頷き、ミルアードは横になったまま首を右へ向ける。

 そこには、純白のローブに身を包んだ白い髪の少年と、同じローブを着た有名冒険者、そしてその娘であろう子どもがミルアードを見ていた。



「あなたは……まさか、氷の賢者……様?」


「うん、そうだよ。今だけファルムの用心棒だと思っていい」


「はは……あの英雄を用心棒、ですか」



 その言葉の矛先はファルムに向けられているが、我が子を想うような優しい笑みで返されてしまった。だが、感じていたのだ。恐らく目の前の賢者がこの体を癒したのだろうと。


 しかし、そこからはファルムの番である。


 エストの方をチラリと見たファルムは、目線を交わした後に頷き、エストたちは氷の椅子に座り始めた。

 エストは腕に娘を抱き、肩にはシスティリアの頬が乗っている。



「ミルアード、思い出したくないだろうが、あの日、何があったのだ?」


「あの日……馬車が、襲われました」



 つまり、事故ではなかったということ。

 十中八九そうだと予想していたために、皆の反応は薄い。特に、エストは無反応とすら思える程に微動だにしない。


 ……決して、肩と腕の癒しを堪能しているから、ではない。



「誰が襲ってきたか、憶えているかい?」


「はい……あれは『アンシード』の手の者です。わたしを馬車から引きずり下ろし、目の前で馬を殺して焼かれました」


「酷いことを……」


「ヤツらが、乗ってきた馬を繋いで、去ろうとしたところで……思い出したかのように、わたしの背中と右腕、右足を」



 かなり用意周到な強盗であり、ファルムもそこまでミルアードの予定がバレているとは思わなかったのだろう。


 珍しく顔をしかめたファルムは、娘にぺちぺち叩かれているエストを見ては頬を緩めた。



「エスト様、『アンシード』というのは、ボタニグラの種や、植物系の魔物の種を狙った組織……盗賊団のようなものです。我が商会にはございませんが、他の商会にはこの『アンシード』と取り引きをしている者も多く居るのです」


「……許せないね」


「ええ。ヤツらは殺人も厭わない卑劣な集団です」


「許せない。ボタニグラオイルが高騰したら、おいそれとシスティに使えなくなる。この髪の艶を保てなくなったらどうするつもりなのか、12時間ほど問いただしたい」


「……よく言うわね」



 いけしゃあしゃあとは正にこのこと。

 エストは、どんなにオイルの値段が上がろうとシスティリアのためなら購入は惜しまない。おまけに、独自で魔物化させない栽培方法も発見しつつあるのだ。



「僕はファルム商会を信頼している。その信頼している商会からなら、ボタニグラオイルは安心して買える。なのに……盗っ人風情が強奪?」



 今も愛用しているボタニグラオイルは、ファルム商会から出ている品である。値段は目が飛び出そうな金額だが、元より貴族向け商品なのでエストは割り切っている。


 しかし、今回の事件により種が不足して加工が出来ないとなると、更なる価格高騰はおろか、品切れになる可能性も出てきたのだ。


 ちょうど切らしたタイミングで買えないとなれば……誰よりもシスティリアを愛するエストは、なぜ『事前に買っておかなかったのか』と自分を責めるだろう。


 だが事前に複数購入するということは、他の貴族や求める人の手元に届かない状況を生んでしまうかもしれない。


 ボタニグラオイルの保湿性や艶、髪色の発色などは素晴らしいものだ。その良さを届けたい気持ちは、エストにもある。


 そのため、買い占めることも予備を買うことも出来ず、『手元に一本』を信念に使っているのだ。



「ファルム、そのナントカシードのアジトはわかる?」


「まさか乗り込む気なのですか!?」


「教えてくれたらドラゴンの魔石、割安で売る。他にもウチでやってる研究のひとつをこっそり教えてあげる」



 それは、凄まじく上質な餌であった。

 馬の前に一本2万リカの最高級ニンジンをぶら下げているようなものか。


 歴史上、最も純度が高くて大きい、ドラゴンの魔石。

 それにオマケ感覚で付いてくる『賢者の研究内容』という世界がひっくり返りそうな匂いがする情報。


 商人は常にリスクとリターンを考えるものだが、これではあまりにもリターンが大き過ぎる。

 顎に手を当てて考え始めるファルムを見て、システィリアがボソッと呟く。



「アジトにはアタシも行くわよ?」


「もちろん……と言いたいところだけど、今回は別に組みたい人が居る」


「メルとおじいちゃん?」


「なんでわかるの?」



 さらりと組みたい人を当てられたエストは、驚いた表情を隠しもせずにシスティリアを見た。

 そんな様子が面白かったのか、クスッと笑った彼女は自分の鼻に指をさした。



「だって昨日、嗅いだことある匂いと、ほのかに加齢臭を感じたもの。予想するに、宮廷魔術師団の上層でしょう」


「……大正解。副団長のオールス・パープル」


「え、あの『地獄王』オールス? とんでもない魔術師と知り合ったものね」


「……じごくおう?」


「通り名みたいなものよ。かつて魔物の大群と戦った時に、超広範囲の地面を割って戻したとかいう、有名な魔術師よ」


「ふ〜ん……魔道書が2冊しか出てないから、同名の別人かと思ってた」


「その2冊はどんな内容なの?」


「『土の魔力で鉄を生み出す術式』と『成形した土と魔力量による耐久度の変化』の2つ。後者はまぁ、いわゆる羊皮紙のムダと言われた内容だったけど、前者は世界を震撼させただろうね」



 オールス・パープルはその鉄を生み出す術式が認められたことで名誉子爵位を授爵し、パープルの姓を得たのだ。それが今から40年前のこと。


 今では、土魔術師でオールスの名を知らない者は居ないほど高名な人物だが、エストは覚えていなかった。


 それはとんでもない偶然なのだが、エストがオールスの魔道書と出会う前に、自分で『土属性魔力から鉄を生成する術式』を見つけてしまったからだ。


 ゆえに初めてオールスの魔道書を読んだ時も、自分の術式との差を比べて、相違する部分からより純度が高い鉄を、そして消費魔力を抑える独自の術式に昇華させた。


 改めて事の凄さを知ったエストは、ちゃんと魔道書になっていることにオールスの天才性を理解したものだ。



「よくタイトルなんて覚えてるわね」


「オールスは字が綺麗だったから」


「ああ、そういう……ふふっ」



 システィリアも経験がある。

 魔道書のタイトルは著者の手書きを写したものが殆どであるため、字が汚い者が書いた魔道書は、タイトルすら読めないことを。


 その点オールスの字は、お手本のように綺麗だった。だからエストは、気持ちよく魔道書を読んでいた記憶がある。



「分かりました」



 と、話しているうちにファルムが決断した。

 長考の末に出した、ファルムの答えは──




わたくしが掴んでいる『アンシード』の情報全てと、ファルム商会名誉役員にエスト様の名前を刻ませていただきます」


「名誉役員?」


「ええ。こちらは我が商会で商品を購入される際、どんなものでも2割引させていただきます。奥様との夢を叶える際に、是非役立てて欲しいのです」



 システィリアとの夢。それは、小さな飲食店を経営すること。

 ファルムはそこまで考えて、エストが生涯の得であると感じ、より長く商会との良い関係を築ける手札を切ったのだ。


 エストは隣を見て頷き、正面のファルムにも頷く。



「わかった。あと、できればシスティも使えるようにしてくれると嬉しい」


「ええ、もちろんです。御二方の名前を刻んでひとつの札にいたしましょう」



 そこまでしてくれるならエストも大きく頷くしかない。全力で『アンシード』を叩き、ボタニグラの種をあるべき流れに返すだけだ。




「それじゃあ、凶暴なリス退治の始まりだね」

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