第329話 龍・龍・龍、龍


「お、お早い帰りですね……?」


「依頼はね。これからダンジョンに行くから。お金は言ってた通り22時くらいでまとめて」


「はい、ではその時に」



 1時間足らずで冒険者ギルドに帰ったエストは、依頼達成の要件だけを済ますと足早にダンジョンへ向かう。


 だが、その道中に物寂しさを覚えてしまう。


 綺麗な街。

 魔石灯の作業員。

 魔道具製作所の物音。


 何度も経験したはずの景色が、音が、膜を一枚隔てたように曇って脳に届く。



「雪雲のせいだよね、システィ。……あ」



 そう口にして隣を見ても、システィリアは居ない。

 思わず左手で顔を覆ったエストは首を横に振り、景色が違うと感じる正体が、ひとりであることだと気付いたのだ。


 共有する仲間が居なければ、同意の声も、異を唱える声も、苦笑いの声も聞こえない。

 雪のように音もなく降り積もる感情に、今までどれだけの人に支えられ、無意識のうちに頼ってきたか。


 その一片を実感する。



「5年前まではひとりでいいと思ってたんだけどな……まったく……君のせいだぞ」



 左手の薬指にはめた指輪を撫で、ダンジョンへの道を歩いて進む。

 すぐに会える。システィリアの隣に戻るために転移を使うのだと胸に誓えば、たちまち自信が湧いてくる。

 思わずにやけてしまう彼女の可愛い笑顔を思い出しながら、氷龍の魔力で氷を創っていく。


 深く被っていたフードを上げ、亜空間より槍剣杖を手にしたエストは、氷で出来た狼の仮面をつけた。


 今の顔を、人に見られたら恥ずかしいから。



「急ごう。急いで仕事して、急いで帰ろう」



 杖を逆手に持ち、全身に炎龍の魔力を回して筋肉に大量の魔力を送り込めば、氷龍の魔力で感情を抑え込む。

 そして天空龍の魔力で肉体の電気信号を管理しながら、エストはおおよそ人とは思えない速度で走り出した。


 ウィンドウルフもかくやな速さに、すれ違った冒険者はぎょっとする。



「……今の、人か?」


「知らねぇや。無名のAランクじゃねぇの?」


「無名で許されるのはBランクまでだろ」



 そんな声と聞こえず、ダンジョンに入ったエストは一切速度を落とさずに2層、3層、4層と最短ルートで駆け上げっていく。


 10層まではBランク以下の冒険者が殆どだ。

 狩場が被らないように、という配慮もあるが、エストには魔石の価値からして費用対効果が低いのだ。


 冬でも汗ばむ火山洞窟型のダンジョンに、たったひとりの男が冷風を巻き起こした。



「構造が変わってるけど、11層到着、と。えっと、今が16時だから……6時間が上限か。う〜ん、早めに切り上げて帰りたいし、5時間で帰ろう。今の僕なら30分で140個は取れるはずだから……1400個を目標に頑張ろう」



 ローブを脱ぎ、仮面を外し、杖すらも仕舞ったエストは、入念にストレッチをしながらダンジョンの構造を把握する。


 最速で最長のルートを走ってリザードマンを狩るため、杖を改造した時とは桁違いの体力と集中力が求められる。


 以前までのエストなら不可能だろう。

 しかし、今のエストは3種のドラゴンの魔力を宿しているため、使いこなせれば達成も見えている。



「……天空龍の魔力が鍵かな。いや、今まで通り氷魔術で……? ううん、違う。よく考えてから動こう」



 それから数分、最も効率良くリザードマンを倒せるイメージが固められるまで思考を重ねたエストは、遂に動き出す。



 入り組んだ赤い岩石洞窟の中、全速力で駆け出してリザードマンの位置を探ると、視界の端に一筋の光が迸る。


 僅か2秒の出来事である。


 ダンジョンに出現した瞬間のリザードマン3体が、光に触れると全身を硬直させ、魔石と化した。

 そして魔石が地面に落ちようという時、落下地点に半透明の魔法陣が現れ、吸い込まれるように消滅した。



「良い。氷の糸を張り巡らせたのは名案かも」



 再び視界の端を駆け抜ける光は、目視が出来ないほど細い氷の糸を伝っている。

 同じエストの魔力を媒介して通電した雷波リヴェタは、こと洞窟型ダンジョンでは無類の強さを誇る、全域に攻撃が出来る魔術へと変わっていた。


 属性ではなく魔術を元にした相互作用の使い方に、エストは自画自賛しながら階層を駆け上がる。



 続く12層目も蜘蛛の巣のように糸を張り、圧倒的な速度の雷魔術でリザードマンを殲滅する。

 伊達にモグラをやっていないエストは、その洗練された魔術と技術を遺憾なく発揮させ、過去最速のペースで30層の主部屋前に辿り着いた。


 いつかの時と違い、中から人の気配はしない。


 ポケットの魔道懐中時計を見て決意を固めると、臆することなく扉を開けた。




 見慣れた主部屋の中央には、炎龍と呼ぶには些か火力が弱い魔物が鎮座している。

 エストの瞳に氷の結晶が浮かび上がると同時に、主魔物であるドラゴンが首を持ち上げ、炎を吐き出した。


 が、次の瞬間には炎は魔力の粒となって床に散らばる。



「炎龍は魔力すら溶かし、氷龍は魔力も凍らせる。でも君は魔力を溶かせない。だから氷龍ボクの方が勝つ…………なんてね」



 右手を前に出し、完全無詠唱の絶対零度ヒュメリジがドラゴンを襲う。それは、ドラゴンに反応する時間すら与えずに、巨体を氷のオブジェへと変貌させた。


 仕上げには氷の槌が振り下ろされ、凍った頭部が粉砕される。



「ま、ダンジョンだとこんなもんだよね。本物と戦ったら、こうなるのは僕の方だろうけど」



 魔石と呼ぶにはあまりにも大きな、岩のようなドラゴンの魔石へと姿を変えると、密かな楽しみである宝箱を開けた。



「……弓だ」



 中に入っていたのは、とてもじゃないが人の力では引けそうにない、金属製の弓だった。

 既に弦が張られており、せっかくだからと持ち上げてみれば、見た目通りの重さ……なんてことはなく、木製の弓より少し重い程度である。


 不思議な金属だと思いながら弦を引いてみれば、これまた意外と引けてしまい、試しに氷の矢を番えてみた。



「んっ……弓は苦手なんだけど……っ!」



 右手を離した瞬間、弓幹ゆがらに微々たる魔力が吸い込まれると、恐ろしい精度で矢が真っ直ぐに飛んだ。

 壁に垂直に刺さった矢を見て、エストは口をぽかんと開けてしまう。



「わぁお…………ほほほっ。これ、魔道具だったんだ。面白いおもちゃが出てきたな」



 弓使いが見たら剣を振りかざしてきそうな代物に、エストは良いお土産が手に入ったと、亜空間に仕舞いこんだ。


 そして、29層から11層へと帰ろうと思ったが、ある違和感に気付いてしまった。



「……ある、階段。31層がある」



 違和感の正体。

 それは更に上へと続く階段だった。


 頭の中では分かっていた。

 引き返した方がいいと。

 システィリアやブロフといった仲間が居ない以上、無理に戦うことは無駄なリスクを背負うことになる。


 だがしかし……好奇心が“行け”と言う。


 ドラゴンを倒せる実力があれば、余程のことが無ければ怪我すらしない。なんなら最上層まで行けるんじゃないか、とも思えてしまう。



「慢心の権化じゃないか。ダメダメ。家にはシスティも、お腹に子どもも居るんだぞ。行くわけには………!」



 気になる。気になってしまう。

 どうしてもその先が、31層が知りたい。

 前人未踏の領域に足を踏み入れたい気持ちが、エストの足を前へ前へと、一歩ずつ、階段に近付けている。



「チラッとね。ちょっと覗くだけ。良い匂いのパン屋さんの前を通ったら行きたくなるから。うん。それと一緒」



 などと言いながら、我慢しきれない欲望を前に、エストは階段をのぼって行った。


 そして、チラりと。


 階段の先から顔を出せば、そこは規模が十数倍になった巨大な洞窟が広がっており、自分が小人になったのかと疑う大きさをしていた。



「なんじゃこりゃ……異界式でもないのに」



 一体どこにそんな場所があるのかと疑った次の瞬間、エストの前に4体のドラゴンが空から降ってきた。


 それぞれが口の前から炎の液体を垂らしたのを見て、生存本能が警鐘を鳴らし、即座に杖を握ると全力で絶対零度ヒュメリジを放つ。



 赤黒い景色が刹那に氷の世界へと変貌すると、ようやくエストは全身を階段から出した。



「なるほど。これはアレだね。人類が来るには早すぎた場所ってことか。空こそないものの、上の方でドラゴンが飛び回ってる……気持ち悪っ」



 いくらエストでも、31層からは魔境と化したダンジョンを見て、階段前の4つの魔石を回収すると、そそくさと主部屋に戻ってきた。



「うん……帰ろう。これだけあれば一生遊んで暮らせる。リザードマンなんて狩らなくていいよ」



 半端では無いリスクを乗り越えた先に、計5つのドラゴンの魔石が手に入った。これをギルドやファルム商会に売れば、冒険者を引退しても余裕で暮らせる金額になるだろう。



「まぁ、3つは研究材料かな。残りは帝国と王国にあげ……いや、関わった国にそれぞれひとつずつ渡してもいい。あんまりお金の流れを乱したら、変な争いも生まれそうだし」



 意外とドラゴンの魔石は扱いに困る、と結論を出したエストは、その後20時半までリザードマンを狩ると、早めに切り上げて換金に出した。


 そうして、金貨ではち切れそうになった皮袋を受け取ると、21時には家の前に転移をし、扉を開ければ──




「おかえりなさいっ! 待ってたわよ!」




 玄関で待機していたシスティリアが飛びつき、力強くエストを抱き締めると何度もキスをした。



「た、ただいま……どうしたの?」


「アタシの愛情をぶつけようと思って」


「そっか。じゃあ僕の方からも」



 それから10分ほど玄関でキスを続ける2人に、いつまで経っても玄関に上がって来ないので様子を見に来たアリアが悲鳴を上げた。



「うぅぅぅ……弟が淫らな女に堕とされた!」


「失礼ね! 誰が淫らな女よ!」


「ねぇ、お風呂入ってきていい?」


「だってシスティちゃん、ずっとエストの話ばっかりするんだもん! そんなに心配なら着いて行けばいいのに! いざエストが帰ってきたら、ちゅーばっかりして……このスケベ狼!」


「ええそうよ、スケベ狼よ! それの何が悪いって言うのよ?」


「……別に悪くはないけどぉ」


「ねぇ、お風呂入ってきていい?」


「はいアタシの勝ち! 勝利のちゅーでも見せつけてやろうかしら?」


「やだやだやだぁ! ご主人助けてよぉ!」


「……とりあえずエストを風呂に入れてやれ。醜い争いに巻き込まれて可哀想じゃ」




 魔女の一声により、ようやく2人はエストの方を見た。するとそこには、騒がしさに疲れ果てたエストが、どんよりとした瞳で脱衣所の扉を見つめていた。



「ご、ごめんなさい。一緒に入りましょ?」



 力なく頷いたエストは、棄てられた子犬のような状態でシスティリアと風呂に入るのだった。

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