第328話 いけ好かない魔術師


 魔道都市ラゴッドの街並みは、いつ見ても他国とは違う清潔感を放っている。

 そんな街の乾いた空気を吸い込みながら、雪の降る道を歩くエストのシルエットは、さながら雪に紛れる狩人のよう。


 フードを持ち上げて空を見れば、頬に付いた雪の粒が肌に残った。



「落ち着く……この冷たさがちょうどいい」



 街往く人とは違い、息を白くさせないエストが冒険者ギルドに入ると、その一風変わった容姿が視線を集めた。


 せっかくだから依頼でも受けようかとボードの前に立てば、トントンと肩を叩かれる。


 振り返れば、目を輝かせた男の魔術師が2人、エストの一挙手一投足を見逃さんと鼻息を荒くしていた。

 歳はどちらも20代前半といったところか。

 ひとりは髪が青く、もう一方は緑色である。


 体外に溢れる魔力量とその質から、中級魔術がギリギリ使えるかといった実力を見抜いたエストは、冷たく言い放つ。



「……なに?」



 暖かいギルド内にも関わらず、白い息を吐きながら問うエストの声を聞くと、2人は背筋を伸ばした。



「あ、あの! エストさんですよね! 俺たち、憧れてて……い、一緒にダンジョン行きませんか?」



 青髪の男が言うと、エストという名前が瞬時に伝わっていき、賢者であることと共に噂が広まっていく。

 普段味わうことのない注目の浴び方に、システィリアやブロフといった存在がどれだけ視線を分散させていたかを実感する。


 瞬く間に人に囲われたエストは、溜め息を吐いてフードを被った。



「火山洞窟、30層まで来れるならいいよ」


「さ、30!? 無理ですよ!」


「炎剣ガリオでも29だぞ……」


「じゃあ諦めて。それか強くなって。魔術師なら、大前提の魔力操作から練習しなよ」



 上手く練習すれば格段に強くなると言うエストだったが、冷たい言葉のせいか2人は一歩引き、俯いてしまった。


 そんな魔術師たちを横目に、東部の森に出たという、オーガの討伐依頼の貼り紙を受付に渡した。



「Bランクの依頼ですが、構いませんか?」


「うん、期限も近いし。あと、ユル・ウィンドバレーに伝言を頼める?」


「ユ、ユル様にですか? かしこまりました。何とお伝えしましょう?」



 ギルドカードを見てエストが本物だと気付いた受付嬢は、手元の紙に記す体勢をとると──



「ありがとう、今度一緒にドラゴンを倒そう。暇があったら帝都においで」


「……い、いい、以上ですか?」


「うん。22時くらいにまた戻ってくる」


「は、はい……行ってらっしゃいませ……」



 依頼の受理と共に伝言を書き留めた受付嬢は、何食わぬ顔で去っていくエストを見送った。

 その背中が見えなくなると、何度も手元のメモを見て読み返し、書き間違いではない『ドラゴン』という言葉に右手を震わせる。


 隣で別の冒険者の案内をしていた同僚も、苦笑いをしながら彼女の背中を撫でていた。



「流石は賢者ねぇ。15歳とは思えない雰囲気」


「……た」


「ん? なに?」


「かっこ……よかった……」


「うわぁ、女の顔してる。確かに顔は良いけど、彼、既婚者よ?」


「そうなんですか!?」


「一ツ星のシスティリアとね。超ラブラブカップルなの、知らないの? ところ構わずイチャイチャしてる姿がよく新聞に載ってるわよ」


「え…………」


「今や知らない方が少数派でしょ。でも、珍しいわね。ずっとパーティで行動していたのに、今はひとりだった。何かあったのかな」



 パーティが実質解散していることは知られておらず、単独行動も少ないエストに首を傾げた2人は、う〜んと唸りながら次の冒険者の案内をした。



 そして、ギルドを出たエストはと言うと。



「ねぇ、その1本1000リカの串、何の肉?」


「子どもには早い味だ。やめときな」



 屋台で珍しい串焼きが売られているのを見て、依頼に行く足を止めてジッと見ていた。

 真っ白なローブを着た、顔を隠した青年にソレを指さされると、店主はやめておけと言う。



「お金なら大丈夫。で、何の肉?」


「コイツは肉じゃねぇ。トレントの新芽だ」


「……美味しいの?」


「買ってみてからのお楽しみ……ってのは酷いな。簡単に言えば、焼いてもシャキシャキとしていて、ちぃとばかし苦味があるが、野菜の旨味をたっぷりと溜め込んだのがコイツだな」


「1本ちょうだい」



 銅貨10枚を差し出すと、仕方なさそうに受け取った店主は新芽の串焼きを手渡した。


 肉の串焼きとは違い、新芽は塩だけで味付けされているのが特徴で、素材の味を楽しめる一品にエストは齧りつく。


 シャキっと良い音を立てた新芽は、繊維質で噛み切りやすく、野菜の旨味を凝縮したような味わいと共に、舌の奥を粟立たせる苦味が走った。


 麦酒のような苦味に顔をしかめたエストに、店主は『どうだ?』と訊く。



「美味しい。鍋に入れたら合いそう」


「お! 分かるクチじゃねぇか! しっかりと水にさらせば苦味も抑えられるからな。ウチは鮮度重視の焼きだが、家で食うなら鍋が一番だ」


「生の新芽はどこで買えるの?」


「知らん。ウチは冒険者から直接仕入れてるからな」


「そっか……ありがとう。ついでに肉も買わせてよ」


「毎度あり!」



 そうして、ラゴッドの東にある森を歩くエストの手には、8本ものオークの串焼きが握られている。

 肉汁とワイン、炒めた玉ねぎを合わせたソースが絡んだ肉は、レストランの一品で出てきてもおかしくない質の高さを誇る。


 そんな肉を齧りながら、魔力探知で見つけたオーガの方へ向かうエストは、実に冒険者らしくなかった。



「たまにはひとりもいいね。まぁ、それ以上にシスティと居る方が落ち着くけど」



 左手に肉を、右手には食べ終わった串を持ち、深い森を歩いていると人の魔力を感知した。

 どうやらオーガに追われているようで、3人の冒険者が西へ──エストの居る方へ全速力で走っている。


 向かう手間が省けたと思うエストだったが、3人のうちひとりの動きが突然止まると、急激に魔力の反応が弱くなった。


 それでも2人が西へ走れば、遂にエストの視界に入った。



「に、逃げろ! オーガだ!!!」



 そう叫ぶ男たちの背後には、5メートルはある巨人の魔物が、赤黒い肌を人間の血で染め、額には1本の赤い角を生やし、こちらに向けて大きく前身を繰り返していた。


 木の幹のような腕を持ち、その左手の鋭い爪には10代後半であろう男が突き刺さっている。



「待ちなよ。仲間の遺体は持って帰って」


「はぁ!? お前、死ぬぞ!!」


「慌てないで。よく見てて」



 右手に持った串に、16個もの多重魔法陣を瞬時にかけたエスト。串の表面は薄い氷で覆われ、先端とオーガの額を一直線に結ぶ魔力の糸が伸びると、投擲の構えをとった。



「飛んでけ」



 中指と親指で串をつまみ、人差し指で底部を押し出すようにして投げられた串は──




 雷鳴と共に、オーガの額に風穴を開けた。




「おお、かっこいい。これならシスティも4回は惚れ直すね。我ながら完璧だぁ……ふへへへ」



 ニヤニヤと笑いながら、瞬時に絶命したオーガに近寄ったエストは、討伐証明部位である角を削ぎ取った。

 あと少し投げる角度が違えば角は完全に砕け散っており、死体をそのまま渡さねば認められなくなるため、内心で冷や汗をかいている。


 しかし、今は綺麗に一撃で仕留められたことを喜び、左手に刺さっている男を引き抜くと、2人に渡す。



「な、何なんだ……あんた」


「冒険者なのか?」


「まぁね。ただの魔術師だよ。僕があと5分早く来ていたら、その人も死なずに済んだよね……ごめん」


「……いいんだ。不用意に深部に行った俺たちが悪い」


「うん。野生の魔物を舐めた君たちが悪い」



 あまりに冷たい物言いに、声を荒らげそうになる男だったが、もうひとりの仲間に肩を掴まれると引き下がった。



「まぁでも、運が良い。これをあげるよ」



 エストは左手に持っていた3本の串焼きを渡すと、パチンと指を鳴らした。


 すると、腹を突き刺されて死んだはずの男が、口から血を吐いて暴れ出した。

 慌てて降ろして水を飲ませれば、2人の視線はエストの方へ向く。



「お金は取らないよ。治癒士に怒られちゃうからね」



 そう言った瞬間、凄まじい勢いでオーガの死体が燃え上がり、森に延焼する前に灰となった。

 2人は幸か不幸か、エストの瞳に燃える青い炎を見てしまい、まるで魔物のような恐ろしさにおののいた。



 白いローブの背中が見えなくなるまで見つめていると、刹那に完治した男が起き上がる。



「……ッ! オーガは!?」


「……白い魔術師が倒した」


「その人が、これを」



 3人で串焼きを分け合うと、その美味しさと温かさ、そしていけ好かない魔術師に助けられた悔しさに、涙を流すのだった。

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