第74話 一流以外は論外


「中級光魔術、回復ライゼーア。これは魔力を対象の細胞と結合させて、深い傷を治していく魔術。治癒ライアと違って消費魔力が多いから、気をつけて」


「分かったわ! で……見本は?」


「見てて」



 宿の一室にて、怪しげな授業が行われていた。

 初級では使ってから解説する方式だったが、中級からは事前に知識がないと見ても理解できないため、あらかじめ術式については叩き込んである。


 ベッドから立ち上がったエストは、おもむろに腰のナイフを抜くと、自身の腹部に突き刺した。


 鮮血が床に垂れ落ち、その匂いを嗅いでシスティリアはようやく言葉の意味を理解した。



「バッ、バカなの!? アンタ死ぬわよ!?」



 急いで止血しようとする彼女の手を止め、多重魔法陣を出現させる。本来中級魔術は単魔法陣で発動できるのだが、光魔術はそう簡単にできない。


 8つある構成要素をじっくり見せ、今から何をするのか語るエスト。



「基本の6つに加えて『変質』と『適応』の要素を持たせる。多重化することで陣に厚みが出るよ」


「言ってないで早く治しなさい!」


「システィが治して。魔法陣は見せた。構成要素も言った。早くしないと僕死ぬよ?」



 ボタボタと血を流しながら、半笑いで言う。

 魔術に対して狂気に染まったエストの顔を見て、システィリアは若干の恐怖心を抱いた。

 ここまで指を折ったり軽く出血させる程度の怪我はして見せたものの、今回ほど大きな傷はなかったのだ。


 痛みを我慢できるからという理由だけで、自身の腹を刺せるものか。ただ魔術を教えるだけなのに、どれだけ体を張るつもりなのか。


 もし死者を蘇らせる魔術があれば、彼は喜んで死ぬかもしれない。そう思うのに充分なほど、躊躇いが無かった。



「ふぅぅぅ…………回復ライゼーア



 深呼吸のあとに魔術が使われると、ナイフを引き抜くエスト。じんわりと温かい光が引き裂いた肉を繋げていき、1分ほどかけて傷跡も無く完治させた。



「うん、良い感じ。次は構成要素に『高速』を足して。目標は5秒完治ね。もう1回や──」




「イヤに決まってるでしょ、このバカ!!!」




 ナイフを奪ったシスティリアは、涙目で叫んだ。透き通った黄金の瞳から雫がこぼれ落ち、床に溜まった血と混ざっていく。

 ナイフを捨ててエストを抱きしめると、祈るように言葉を紡いだ。



「もういい。もういいから……自分で傷つけるのはやめて。アタシが耐えられないっ!」


「どうして? システィは痛くないでしょ?」


「痛いわよ! アタシの心が痛いの!!」


「……分からない。僕、何か間違えてた?」



 自分のやり方に問題があったのか考えるエストに、彼女はようやく真の恐ろしさに気づいてしまった。


 人に愛されて育ったが、愛し方を知らない。

 魔術という名の檻に閉じ込められているのだ。

 暗く、深く。

 深淵から伸びる手を掴み、才能を明かりに闇を進む。



 可哀想な人。



 システィリアには彼が、可哀想な人に見えた。

 どんなに広い世界を知ったとしても、エストは魔術の元に帰ってきてしまう。そこがエストの居るべき場所であり、在るべき姿であるように。


 魔術に魅入られた瞳は、どこまでも澄んでいる。


 あまりにも綺麗に世界を映すものだから、もはや何も映せていない。その目は情景を反射するだけの器官に過ぎず、全ては魔術に帰結する。



 だが……そんなエストが、たまらなく輝いて見えたのだ。彼の手に持つ明かりが、照らした世界が。

 ずっと見ていたくなるほど、美しかった。


 だからこそ、システィリアは懇願する。



「エストは間違えてる。その考え方は、本当に死んじゃう。アタシ、アンタが死んだらまたひとりぼっちなの。お願いだから……このやり方はやめて」



 面と向かって言われた『間違い』に、エストはぼーっと考える。なぜ今の考え方がダメなのか、本当に死ぬのか分からなかったのだ。


 死にかければ自身で治せるからやったことだが、それが危険だという認識が無い。

 ただ、これ以上は彼女を……システィリアの心を傷つけてしまうため、やり方を変えることにした。



「……心配、してくれるんだね」


「当たり前よ! このバカ!」


「でも、これで早く習得できるんだよね」


「そりゃ必死になって治すでしょうが! アンタの言いたいことは分かるけど、危ない真似はやめなさい!」


「システィが治してくれるんじゃ?」


「事故の場合はね。さっきみたいな怪我の仕方はお断りよ! 死にたいならアタシが死んでからにしなさい!」



 自分の前では傷をつけないでほしい。

 システィリアの願いを聞いて、エストは床を水球アクアで掃除してから言った。



「じゃあ、水魔術の鍛錬に変えよう」


「……はぁ? 光は?」


「ユエル神国で学ぶ。僕らは早々怪我をしないから、負傷者の多い場所で教えるよ」


「どうしても治さないとダメなワケ?」


「うん。治癒に関する魔術って、完治以外は無駄な消費だから。だから、こんな言葉がある」



 にっこりと微笑み、治癒士にとっての現実を突きつける。教会治癒士の誰もが知っており、必死に学ぶ理由。




「一流以外は論外ナンセンス……ってね」




 完治できるか否か。

 それによって治癒士の階級や給金が変わるため、彼らは必死になって光魔術を研究する。

 治癒士見習いであるシスターであっても、基本の初級魔術が使えなくては話にならない。ゆえに、教会では小さな闇が存在するのだ。



「ここの教会は偽物の魔道書だった。だから、本物を知ってる僕が教える。歴史から応用まで、全部叩き込むよ」


「それは……ええ、望むところよ! って、いつ教会に行ったの? 公爵領の教会は丘の方じゃなかったかしら」


「さっきだよ。シスターと喧嘩した」


「バカなの? バカよね。バカだわ」


「流れるようなバカの三段活用だね。まぁ、本当にバカなのは教会だよ」



 正しい光魔術を教えない教会本部に、エストは表情を険しくする。誰よりも魔術を重んじる……魔術に囚われたエストにとって、許せない行為だからだ。


 ふつふつと湧き出る怒りの感情を前にして、システィリアは怯んだように頷き、新たな鍛錬が始まる。



「僕は5年間、ずっと魔術の研究をしてきた」


「そうでしょうね」


「これから君に、5年分の成果を刻みこむ。僕が学んだ7つの属性、その全ての術式を教えるよ。そこで僕が思うに、水魔術は最も幅の広い魔術なんだ。だからまず──」




「基本4属性の上級魔術、全部覚えよう」


「…………は?」

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