第273話 巨岩を止める
季節は巡り、初夏に入った。
魔女の森でひたすらに雷魔術の研究をするエストは、いつものように術式の組み換えで遊んでいた。
雷魔術が攻撃系としては最速かつ高威力であることを知り、より扱いに気をつけながら上級に位置する術式を習得したのだ。
ここしばらくはシスティリアと別行動が多く、週に四度は研究を中止しては彼女を抱き締めに行っていたが、ようやくそれも終わる。
リビングで魔道書を読むシスティリアに、後ろから抱きついたエスト。くすぐらないよう気をつけながら耳を撫でると、顔に頬擦りをされた。
「冷たくて気持ち良い……研究は終わったの?」
「一旦ね。ブロフとライラがダンジョンに行ってるって聞いたし、そろそろ僕も働かないと」
「ふふっ、そうね。でもその前に……んっ」
唇が触れ合うだけのキスをしてから立ち上がると、力強くエストを抱き締めるシスティリア。
「……誰かに見られちゃうよ?」
「今日は皆出掛けてるわ。平気よ」
ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐり、うなじから立つ異性として認識させるフェロモンを吸い込めば、背中に回した手で髪を撫でた。
指の間を滑るように抜ける、絹のように美しい青髪。胸板で感じる彼女の柔らかい胸や、首から伝う肌の体温が心地好い。
整えられた毛並みの尻尾が左右に振られ、次第に落ち着いてくると、リラックスしていることが伝わった。
「良い匂いね……ぽわぽわする」
「そうかな? あ、さっき魔力の抽出したや」
首筋に近づけた鼻を鳴らし、尻尾が揺れる。
そういえば魔力の導電性を調べたなと思えば、生暖かい舌でちろりと首を舐められた。
くすぐったさに身を震わせ、更に強くシスティリアを抱き締めれば、嬉しそうな笑い声が聞こえる。
「それで、依頼を見に行くのかしら?」
「う、うん。雷魔術がどれくらい戦えるのかも知りたいし、しばらくシスティと出掛けられなかったから」
「そうよ。そうよね? 待ちくたびれたわ! アンタってば研究ばっかりで、ちっとも外に出ないんだもの」
「朝の打ち合いだけだったもんね」
「あれは外に出たって言わないわよっ!」
すっかり雷魔術に没頭していたエストだったが、手札として使えるぐらいには理論とイメージの型が掴めた。
過ごしやすい春を丸々研究に費やし、その間一度もデートをしなかったがために、システィリアの鬱憤が溜まっている。
申し訳ない気持ちがありつつも、久しぶりの外出に胸を躍らせた2人は、暑くても賑わう帝都へやって来た。
ギルドに入って早速、貼り出された依頼を吟味するシスティリア。
「ゴーレムの魔石納品? 魔石の依頼も出すようになったのかしら?」
「それ、依頼主が魔道具店だよ」
「そういうことね。でも、どうして残ってるのかしら。ブロフたちが受けると思うのだけれど」
「今の2人がまともに依頼を受けると思う?」
「……殺戮の限りを尽くして、忘れてるでしょうね。最近のブロフ、楽しそうだもの」
「それに、ゴーレムの魔石は持って帰ってくるのも面倒だ。依頼で納品するより、自分たちで納めた方が実入りがいい」
依頼報酬はひとつ10万リカにしかならない。
とてもではないが苦労に見合った報酬とは言えず、そもそもBランク以上の冒険者が少ない帝都では、納品される日は遠いだろう。
だが、システィリアはその貼り紙を剥がすと、受付で受注を済ませていた。
「さて、幾つ納品しましょうか」
「……そういうところ、好きだよ」
「アタシも自分の優しさが好き。だって力があるのに無視をするなんて、アタシの力が可哀想だもの」
「力が可哀想……か。面白い考え方だ。僕も真似する」
「もうしてるわよ。とりあえず行きましょ」
システィリアに手を引かれ、西部のダンジョンにやって来たエスト。洞窟型のダンジョンは避暑地としても人気なのか、入口付近は多数の冒険者で賑わっている。
そんな人の海に近づけば、孤高のシスティリアという声と共に道が生まれる。
フードを被ったエストにも注目が行く中、颯爽と入口の階段を降りたのだった。
「確か、20層目だったかしら?」
「うん。主魔物以外は倒さず行く?」
「いいえ。アンタが先行しなさい。アタシは目の前に魔物が出たら、斬っちゃうもの」
「……ありがとう」
杖を亜空間に仕舞い、フードを持ち上げたエストは、幾つか作った雷魔術の型をイメージすると、2層へ向けて駆け出した。
システィリアが後ろを着いて走り、その鋭い嗅覚でゴブリンの出現を感知するが、同じタイミングでエストが紫色の単魔法陣を出現させた。
「紫色……」
そう呟いたのも束の間、2つ先の分かれ道から剣を持ったゴブリンが現れた。
が、次の瞬間──
「
魔法陣の中心から覗く黄金の槍先が、人の目では到底追えない速度で射出した。
ゴブリンの胸はあまりの温度で溶け落ち、粒子になって散るまでビクビクと痺れていた。
「と、とんでもない威力ね……」
「肉があるから、雷が通るんだ。でも、僕の予想だとゴーレムには効かないはず」
「そうなの? どうしてかしら?」
「岩が雷を通さないから。それに、ゴーレムが体を動かすのに使っている神経が、普通の生物とは違うんだ。こう、直接魔力の枝が伸びてる」
エストは既に、自分の
ネルメアにもその点の質問を送れば、スケルトンや土魔術とは相性が悪かったと返事を貰っている。
「アルマを屋敷に置いてきたのが悔やまれる」
「あの虹色のゴーレムね。でも、何かの手違いでアンタの魔術が解けたら、それこそ大惨事になるわよ」
ゴブリンの魔石を拾い、そんな話をしながら走っていれば、1時間も経たずして10層の主部屋に着いてしまった。
今更オークに苦戦しない2人は、ものの数秒でオークの首を落として11層目へ足を踏み入れた。
懐かしさを覚える洞窟を進み、昼頃に20層の主部屋に辿り着くと、ようやく依頼が達成出来ると扉を開けた。
見知った大部屋の中心には、大きな岩の塊が鎮座している。
エストが近づくとソレは動き出し、巨腕を振りかぶった。
「実験開始だ。
「危ないわよ〜」
「大丈夫。見てて」
自信ありげにゴーレムの前に立ちはだかるエスト。
その右目には真っ赤な龍の瞳が顕現し、左目には氷龍の瞳が現れていた。
両方の龍の魔力を使うという発想は、肉体の負荷的に耐えられないとシスティリアは思っていた。
しかし、エストはその思考を裏切ったのだ。
両腕を前に出し、迫る岩の塊を受け止めた。
体からミシミシと音を立てながら大きな質量を受け止め、床にエストの足がめり込んだ。
割れた石が足首を切り、血が垂れる。
「嘘……でしょ?」
「おっもいなぁ、これぇ!!」
汗を滴らせたエストが叫び、遂にゴーレムが押し込みをやめた。よく見れば、エストの手の形にゴーレムの拳が凹んでいる。
この瞬間だけはシスティリアを、そしてブロフをも超える力を発揮したエストだが、やはり肉体への負荷が大きかったのか、その場で膝をつく。
「はぁ、はぁ……
左手を突き出して雷の単魔法陣を出せば、ゴーレムの脳天に雷が落ちた。
人に当たれば一瞬で丸焦げになりそうな威力だったが、エストの予想通り、ゴーレムには無傷だった。
「……システィ、あと頼んでいい?」
「もう、しょうがないわね。遊びすぎよ」
「はぁい」
戦闘をシスティリアに丸投げすると、瞬く間にゴーレムの心臓部が切り開かれ、胸の中心にあった魔石のような核を貫き、魔力の粒子となった。
岩を斬る剣技に、エストの口から乾いた笑いがこぼれ出た。
「なんか、もう……僕、魔術だけでいいや」
「アンタは魔術師、アタシは剣士。役割は変わってないはずよ」
「……そうですね」
朝の打ち合いは手を抜いてるのかなぁ。
そう感じざる得ない、システィリアの剣技であった。
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