第409話 天使の笑顔


「う〜む……」


「珍しいわね。そこまでエストが……って前も言ったわね。今度はどうしたの?」


「……システィが可愛いすぎる」



 現在、エストは寝室にてシスティリアを抱き締めている。というのも、起きてからずっとくっついているのだ。


 珍しい甘え方にシスティリアはニマニマしながら甘やかしていると、バーン! とドアが開けられた。


 朝の鍛錬が終わったウルティスだ。

 今日は庭で遊ばずに寝室へ直行したらしい。



「お兄ちゃん! 修行!」


「……もちっと待って」


「ダメ! お姉さまもなんとかして!」


「え〜、どうしようかしら〜」


「うぅぅ……!」



 肌寒いから。そんな理由でシスティリアにくっつくエスト。システィリアは無論、それが適当な理由付けなのは分かっている。


 氷雪地獄……氷獄と呼ばれた場所で2年も過ごした男が、真冬程度の寒さに堪えるわけがないのだから。


 しかし愛する人に抱きつかれて嬉しくない者など居ない。デロデロに甘えるエストを受け止めながら、彼女もまた、甘えている。



 だが、ウルティスには都合が悪い。

 悪いったらありゃしない。

 せっかくの修行が中断されては、いくら大好きな兄貴分といえど良くない感情が芽生えてしまう。


 ……はずだった。



「ウルティス。そこに立って」



 システィリアと指を絡めて手を繋いだまま、エストはベッドの傍に立つように言う。


 指示された場所にウルティスが立つと、次は魔力制御で内臓を守れと言い、準備が整うとウルティスの周りだけ冷気が発生した。



「10分維持。3分休憩したらまた10分維持。20回維持したら休憩時間を1分削る。まずは18時間の維持を目標にする」


「は、はいっ!」



 まさかの寝室内修行だった。

 ……場所にこだわらないと言えば聞こえは良いか。

 わざわざ外に出なくても修行出来るという分には都合がいい。ウルティスは黙って魔力制御に集中する。


 が、ベッドの上は甘い空気で満ちていた。



「少し冷えるね。もっと抱きついてごらん」


「あら……温かいわ。ふふっ、器用ね」


「今日もシスティは綺麗だよ。もう少し温まったら、髪を整えようか。三つ編みにする?」


「おまかせで。エストがしてくれるならなんだって可愛いもの。この前の編み込みもアリアさんたちに好評だったわよ」



 イチャイチャしながら髪のセットをするエスト。

 だが、空間探知では常にウルティスの魔力制御を監視している。ムラが出来れば冷気がチクリと薄い膜を刺し、意識を集中させてくる。


 狂人の域に達したエストの魔術は、無意識にウルティスの修行を手伝っているのだ。


 目に入る情報だとシスティリアと甘々な時間を過ごしているだけだが、魔力で見ると異常の一言に尽きる。


 今日はシスティリアの長い髪を大きな三つ編みで一纏めにすると、右胸の前に流している。

 前髪はトパーズの付いたピンで留めて、気品を感じさせながらも華美になりすぎない、絶妙な“人妻感”を放出させた。


 普段の彼女より幾分と大人しい印象を与えるセットに、システィリアは目を輝かせながらエストにキスをする。



「ふふっ、あなたと呼んだ方がそれっぽいかしら?」


「……ぐふっ!」


「どうしたの? あ・な・た」



 妖艶さとはまた違う色気にあてられ、エストからくぐもった声が漏れる。

 エストの平常心を乱す攻め方を知っているシスティリアは、これ好機と瞳の奥から誘惑し、彼の耳を、目を、脳を蕩けさせた。


 しかしウルティスは修行中である。


 甘ったるい空気に満ちる寝室で、ウルティスの周りだけ極寒の冷気が立ち込めている。

 魔力制御に集中しているウルティスを横目に、尚もじゃれあい、語り合い、相好を崩す2人。



「こら〜! いつになったら降りてくるの〜!」



 そこへ、朝食が出来たことを知らせるアリアが訪れた。どうやらウルティスに課した命は、そちらだったらしい。


 早速修行にハマったウルティスを連れて皆で朝食をとると、やはり落ち着くのか庭で再開するウルティス。


 エストは愛娘を抱っこしながらロッキングチェアに腰掛け、足をくっつけながら隣に座るシスティリアと手を繋ぐ。



「あそこまで来たら持久戦ね。18時間でいいの?」


「丸一日は今のウルティスだと無理に等しい。魔術師として生きる覚悟があるなら、話は別だけど」


「あの子はオールラウンダーよ。でも、器用貧乏の壁はもう超えてるわ」


「それは重畳。でもまだまだ。せめてワイバーンは倒せないとウルティスはナメられる。入学までに機会を作らないとね」


「……浮いちゃうわよ?」


「あの天使の笑顔を前に、浮くも何もない」



 エストはきっぱりと言い放つ。

 ──ウルティスの笑顔は可愛い、と。

 それはもう疑いようのない事実である。


 王都の冒険者ギルドでは、今もウルティスはアイドル的人気を誇っており、その可憐さとエストを合わせた2人の圧倒的な容姿の暴力を前に、民衆から熱い支持を得ている。


 ……もっとも、本人らは預かり知らないが。



「ふふっ……可愛らしいものね。アタシもあの笑顔を見たら、怒る気持ちも1パーセントくらい収めちゃうわ」


「ブチ切れシスティだ。ブチティだ」


「その略し方にムカつくわねっ!」



 ギチギチと音を立てて握られる左手。

 しかし双方並々ならぬ努力を重ねた武人である。

 握られたエストは涼しい顔をしており、「ふんっ!」と力を込めたシスティリアは、エストの手を変形させた。


 だが即座に形が戻ると、親指で手の甲を撫でる。



「ごめんごめん。お肌すべすべだね」


「ふふんっ。水の適性持ちたるもの、お肌の潤いを保つくらい造作もないわっ」


「……いいなぁ。僕は空間把握能力だからね」


「適性属性の先天性能力って、ちょっとズルいわよ」


「そう? 火属性は寒さに強いし、水は喉も肌も乾きにくい。風は危機感知能力に優れるし、土は方角がわかる。光は怪我の治りが早いし、闇は夜目が効く。ズルいと言うには弱すぎると思う」



 そんな先天性能力と言われるものだが、その程度はとても低い。事実、経験を積んだ冒険者の方が危機感知能力は優れ、特訓すれば暗闇に目も慣らすことが出来る。


 水は長旅では輝く能力だが、それでも他属性より水分補給回数を僅かに減らせる程度である。


 結局、体質と呼べるほどの能力なのだ。



「むぅ……でも冒険者なら全部欲しい力よ?」


「人数で揃えるしかないね。ただ、人を集めてる暇があったら鍛錬すべきだと思うけど」


「手厳しいわね」



 極論であり、結論である。

 火と水意外は頑張ればどうにでもなるのだ。

 そんな先天性能力を無しにしても、極寒に備えて修行する狼がただひとり。


 慣れるまでは棒立ちが芝生の上に座っている。ある程度慣れたら簡単な運動をしながら制御。

 呼吸ぐらい体に馴染めば、ようやく激しい運動……つまりは鍛錬と並行して修行する。


 あの元気な娘が静かに練習する姿を見ながら、エストはすやすやと眠る愛娘の頭を指で撫でた。

 まだ柔らかい耳がクニっと動くと、自然と笑みがこぼれる。


 そんなエストを見て、システィリアも同じ表情になった。

 無理かもしれないと思えた愛の結晶。

 エストに抱っこされている時以外は、よく泣く元気な子どもである。



「にしても、本当にエストに抱かれてると泣かないわね。アタシでもたまにギャン泣きされるわよ?」


「本能からパパっ子なのかもしれない」


「甘やかしてくれる人を見つけるのが上手なのかしら」


「失礼な。まるで僕は甘やかすみたいじゃん」


「甘やかすでしょう?」


「甘やかすよ」



 自覚していた。娘をデロデロに甘やかすと。



「まあ、自覚してるなら大丈夫だと思うわ。でもね〜、アンタね〜、あんまり人の間違いをビシッと正すタイプじゃないものね〜」


「そこはシスティの出番……と言いたいけど」


「アタシがやるわよ。覚悟はもう決めてるわ」



 親として、ちゃんと教育する覚悟である。

 生まれてこの方叱ることも無ければ、叱られた記憶も少ないエスト。


 己がまだまだ至らないと思いながら、尊敬するシスティリアを見た後、ウルティスの努力を見守った。






 ウルティスの修行開始から2週間が経った。

 今ではすっかり、遊びながら魔力制御が出来るようになったウルティスに、エストは『真の修行』を言い渡す。



「ウルティス。半年ぐらい、氷獄で鍛えよう」


「……ほへ?」

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