第192話 比翼連理


「近くで見たら……怖いな」



 大部屋を覗いたエストが純粋な恐怖を口にする。

 初めて戦う魔物だが、敵意を向けられずともビリビリと肌を刺す威圧感に、杖を握る手に力が入る。

 粗方の作戦を頭に入れたシスティリアが手を重ねると、同意するように頷いた。



「正しく恐れましょ。アタシは回避に徹するけど、氷鎧ヒュガをお願い」


「うん。……勝とう。僕らならできるはずだ」



 コツン、と杖の根元で地面を叩き、普段の倍も消費魔力を増やした氷鎧ヒュガを纏った2人は、息を合わせて突入した。


 ドゥルムスピンの居る大部屋は他と比べてかなり異質であり、至る所に鈍色の蟻塚のような金属塊が落ちている。

 杖を振ったエストが風刃フギルの嵐で巣を斬り裂いた瞬間、重量を感じさせない静かな着地を決めるドゥルムスピン。


 真っ直ぐに2人を見つめた巨大な金属蜘蛛は、半月状の鋏角を煌めかせた。



「システィ、10秒!」


「了解よ」



 完全にお互いを敵と認定すると、目にも止まらぬ速さで接近したシスティリアが右触肢へ剣を振るうが、情報通り火花を散らして弾かれた。


 一切の手応えなく終わった一撃の後、ドゥルムスピンはもう片方の触肢をシスティリアへ振るう。


 刃のような触肢が当たる寸前に飛び退いて回避したが、先程まで居た場所に大きく切り込みが入っているのを見て、彼女のこめかみに汗が伝った。



「……理不尽なまでの硬さね」



 チラりとエストの方を見ると、おぞましい数の魔法陣が展開されては消え、ようやく現れたと思った火槍メディクの魔法陣が書き換えられていく。


 構成要素が幾つも明滅と増減を繰り返し、一度目となるエストの攻撃は僅か3秒で組み上げられた。



「ひとつ」



 詠唱も無く放たれた魔術は、火槍メディクをベースに『回転』『溶解』の構成要素が足された、異常に細長い炎の槍である。


 炎龍の魔力も相まってか、深紅の金属の様に揺らぎを見せずに放たれたソレは、矢など比にならない速度でドゥルムスピンの頭へ飛ぶ。


 高速回転しながら突っ込んだ槍はドゥルムスピンを大きく後退させると、引き裂かれたような爪の跡を地面に残した。



「熱も効かないか。でも衝撃は有効そうだね」


「アレで無傷って、どんな化け物よ?」


「次はコレかな。ふたつ」



 アダマンタイトの外骨格はエストの魔術を防ぎ切り、大きな衝撃のみ与えるだけに抑えた。

 ワイバーンなら軽く10体は貫く貫通力を誇る槍だっただけに、エストは氷の槍を2本、魔法陣から出現させる。


 氷龍の顎を砕いた氷槍ヒュディクを、その氷龍の魔力で格段に硬くした、現状最も貫通力に特化した魔術。



「これでダメならピンチかも」



 そう言って杖を振ると、音速を越えた速さで射出される氷の槍。衝撃波を風球フアで防ぐも、爆発音と共に巻き上がった土煙がドゥルムスピンの姿を隠す。



「かくれんぼかな?」



 横殴りの風域フローテで強引に晴らした瞬間──



「エストッ!」



 凄まじい速度で飛びかかってきたドゥルムスピンが両の触肢を振り下ろした。


 咄嗟に横へ跳んだエストだったが、かすった左手の中指と薬指の先から血が流れ出ていた。



欠損回復ライキューア……これはピンチだね」


「今のが一番強い魔術?」


「うん……でもこの有り様」



 氷龍の鱗をも貫いた氷の槍は、ドゥルムスピンの頭に小さな穴を空けただけだった。

 生存本能でより活発になったドゥルムスピンは、カチカチと鋏角を鳴らしながら大部屋の壁を走り始めた。


 あれだけの硬さを誇りながら全く重くないのか、壁を蹴る音がとても小さい。


 厄介極まりない魔物だと思った瞬間、天井に張り付いたドゥルムスピンがエストに向かって飛びかかる。



「残念、空振りだ。でも……氷結世界ヒュレイド・レート



 転移で回避したエストから冷気が放たれ、刹那に部屋が凍りつく。システィリアは尻尾をぶるりと震わせながら、歯を見せて笑った。



「……凍った地面から抜け出せないんだわっ!」



 地面から脚を剥がそうと暴れるドゥルムスピンが、腹部から糸を滅茶苦茶に出していたのだ。



「やたら軽そうにしてるから思いつきでやってみたけど……跳躍力自体は物凄く弱いんだろうね」



 体勢を崩して脚を引き抜こうとするドゥルムスピンだが、絶えず放たれ続ける冷気に少しずつ全体の脚が凍りついていく。


 思わぬ弱点を発見した2人は、チャンスとばかりに攻めるが──



「あぁもう! 硬くて嫌になる!」


「まあまあ、動けないんだから少し考えよう」



 もがくドゥルムスピンでも、その堅牢さは健在である。エストが魔術を解かない限りは抜け出せないので、2人で案を出し合うことにした。



「どうするの? アタシ、出来ること少ないわよ?」


「とりあえず、あの外骨格を何とかしないと。アダマンタイトは魔力ともよく馴染むから、物理にも魔術にも強い」


「う〜ん……溶かす? でもアンタの杖の時みたいに、ワイバーンの魔石なんか無いわよ」


「熱は厳しいね。凍らせた地面も溶けそうだし」


「溶かす……溶かす…………あっ!」



 何かを閃いたのか、耳と尻尾をピンと立てたシスティリア。慌ててエストに預けていた背嚢を漁るが、目的の物が無かったのか、耳が垂れてしまう。



「どうしたの?」


「ボタニグラの溶解液が使えると思ったのよ。アレって、大量の水で薄めたらお風呂掃除に使う洗浄剤になるじゃない? だから──」


「ああ、それなら持ってるよ。ほら」



 そう言って虚空に手を突っ込んだエストは、ガラス瓶に詰められた黄色い粘液を取り出した。

 それは紛れもなくボタニグラから分泌される溶解液であり、原液そのものである。



「……ホント、アンタは何でも集めるわね」


「魔道具の材料になると思ったんだ」


「だとしても強すぎるわよ! 洗浄剤にするのだって、バケツ1杯に粘液1滴なのよ!?」


「……そうなんだ。とりあえず掛けてみよう」



 実は、ボタニグラの粘液は単体で高額の取引がされるほど貴重な物である。それは種子から取れる油に匹敵する程で、溶解液を採取しに行った冒険者が溶解液に殺された報告は絶えない。


 しかしシスティリアも知識として溶解液が使えることを知っていただけであり、その価値は知らなかった。



 栓を抜いたエストが未だもがき続けるドゥルムスピンに近づくと、躊躇いもせず頭に向かってぶっかけた。



 シュワシュワと泡を発生させながら反応を示すボタニグラの溶解液は、遠目で見ても分かるほどにドゥルムスピンの外骨格を溶かしていく。



「まさか下位の魔物にしてやられるとは、君も思っていなかっただろう」


「外で戦ったらドゥルムスピンが勝つわよ」


「……それはそうだ」



 両魔物が対面したとして、鋭い触肢でズタズタにされたボタニグラの大敗で終わることだ。

 しかし、溶解液という一点だけで見れば、それはドゥルムスピンを凌駕する圧倒的な力を持っている。



 じわじわと溶けていく様子を観察していたところ、脳を溶かしたのか、力なく倒れ込んだドゥルムスピンはついぞ動くことはなかった。



 ここで2人の間に疑問が残る。



「ねぇエスト……どうして魔石にならないの?」


「……さぁ?」


「まだ生きてたりは……しないのよね?」


「うん。だってほら、亜空間に入れられるもん」



 それはつまり、ドゥルムスピンが死体になったということ。


 即ち、ということ。



 2人の視線は、事切れたドゥルムスピンから動かない。


 今もなお音を立てながら溶けていく姿を、黙って見つめている。



「野生のドゥルムスピン……倒しちゃった」


「もしかして僕たち……凄い?」


「…………ギルドの歴史に名を残すわよ」


「……わぁお」



 呆然と眺めていると、溶解液はその仕事を全うしたのか泡と煙を出さなくなった。


 この死体をギルドに見せれば討伐報酬を受け取れるとのことで亜空間に入れたエストは、氷極並に冷えきっていた大部屋の氷を溶かした。


 寒がっていたシスティリアがエストに抱きついて暖を取り、呆気なく得てしまった勝利に頬をふくらませる。



「達成感が無いわねっ!」


「まぁ、本来の目的はデートなんだからさ」


「そうね、ちょっと遅くなったけどお弁当を……──って、違うわよッ!!」



 エストの肩をバシーン! と叩いたシスティリアは、完全に失念していた本来の目的を思い出す。



「お金よお金! アタシたちは家具を買う資金の調達に来たの!」


「……あ〜」


「あ〜、じゃないわよ! エルダーオークだけじゃ綺麗なテーブルしか買えないわ!」


「ドゥルムスピンがお金になるんじゃ?」


「………確かに。じゃあデートの続きねっ!」


「切り替え早いなぁ」



 念の為、これ以上道が続いていないかの確認をした後、地面に転がっていた幾つかの金属塊を漁ったエスト。


 鼻歌を唄いながら敷物を用意をするシスティリアを横目に、とある事実に気づく。



「これ……脱皮殻だ」



 薄い金属の膜が幾重に重なり、蟻塚のような形として放置されていた。

 地面に広げてみると、仰向けになったドゥルムスピンの姿がうっすらと見えるのだ。


 そしてその脱皮殻の中に、エルダーオークの物よりも一回り大きい茶色の魔石を発見した。


 これが本来の主魔物だと分かってしまい、気が抜けてしまう。


 ここがダンジョンの最奥であること伝え、入念に手を洗ったエストは、システィリアお手製のワイバーンサンドを頂く。



「いただきます…………うん、最高」


「ふふっ、頬っぺにソース付いてるわよ?」



 システィリアが指で拭ったソースをペロリと舐めると、嬉しそうに笑った。

 不完全燃焼ではあるが、システィリアの可愛らしい笑顔が見られたからそれでいいやと、幸せなひと時を堪能するエスト。



 ドゥルムスピンを倒したことで完全に気が緩んでいた2人は、大部屋に近づいてくる足音に気づかなかった。



 緊張が走るダンジョンの中、これでもかと緩みきった空気に入り込んだは、驚愕の声を漏らす。



「おいおい……また会ったなぁ、エスト!」


「へ? ──ガリオさん?」




 安全圏と化した大部屋に入ってきたのは、ニルマース以来となる、ガリオのパーティだった。

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