第92話 魔術師としてのプライド
いつものように新しい魔力操作を練習していたエストの耳に、仕立て屋を呼ぶ日が少し遅れる情報が入った。
少しばかり落胆する様子を見せたエストだったが、それまで鍛錬に集中できると割り切った。
ジオを先生と呼び初めて1ヶ月。
ログハウスの近くでは台座に乗せられた魔女像、アリア像、システィリア像の三体を設置すると、その像に隠された魔術にジオが興味深そうに聞いてきた。
「あの像、毎日ポーズが変わっているがどういう仕組みだ? 絶妙に怖いんだが」
「循環魔法陣で像自体を変えてる」
「循環魔法陣?」
「僕が作った。あの台座の中に時計があって、決まった時間になるとポーズを変えた
「……なるほどな。遅延詠唱陣の応用か」
すぐに魔法陣の着想元を当てたジオに、エストは縦に頷いた。
遅延詠唱陣の更に根源である、循環魔力を増やすというテクニックが本当の源流なのだが間違いではない。
魔道書を片手にパッと手のひらに同じ魔法陣を出現させると、肝心な切り替え先の魔法陣を思いつかないジオ。
「それひとつじゃ意味無いよ。循環魔法陣を起点に他の魔法陣を横にくっつけないと」
「お前……意外と難しいことをしてるな」
「そう? 好きな魔法陣を足すだけだよ?」
「あのなぁ、普通の魔術師は魔術に魔術を足そうとしねぇんだよ。それにただ合わせるだけじゃ出来ねぇだろうが」
適当な魔法陣を出すジオだが、それは手の上にある物とは繋がらなかった。
それを見たエストは、さも知っていて当然かのように言う。
「だから『因果』と『結果』の要素を繋げる」
「……うわ、マジだ。凄ぇ」
「でしょ〜?」
「撤回する。凄くない。調子に乗るな」
実に賢い連結方法に思わず本音を漏らすが、ジオは先生としての面目を保つために態度を変えた。だがそんなことはお見通しなエストは胸を張った。
こと像に関する褒め言葉は誰よりも敏感に捉えられるのだ。もはや一種の特殊技能と化している。
「ある意味の変態だな」
「システィにもよく言われた」
「熱意があって良いじゃないか。気色悪いが」
「一言余計だよ」
せっかく上手にできたのに。
そう言うエストだったが、像の美学は自分だけ分かればいいと思い、練習が終わり次第自由行動を始める。
一口に自由行動といっても、新しい魔術を作るか山で遊ぶかのどちらかだ。
最近のエストが読む魔道書は獣人語で書かれているため、辞書が必須である。
しかし、システィリアが獣人であることも含め、どうせなら新しく言語を習得してから読みたい気持ちが湧いてしまい、獣人語の入門書を読み漁っているのだ。
獣人語の基本の文字は冒険者ランクにも使われる記号なので、AやBなどの文字が見えた時は、少しワクワクしながら読んでいる。
一日で数ページしか読み進められないが、何度も読み返して反復練習し、少しずつ読み書きを覚えていく。
「……疲れた。ちょっと外出てくる」
頭の中が単語でいっぱいになったエストは、リフレッシュのために外へ出た。
三体の像に魔力を注ぎ、山に向かって足を進める。
今回は沢には寄らずに真っ直ぐ進み、まとまらない思考でひたすら歩く。
天気の変わりやすい中腹からは雪が降り始め、
「かなり寒くなってきた。もっと鍛えよう」
震える体に喝を入れ、気合いを頼りに一歩を踏み出す。だが、少し進んだ辺りで猛烈な不安がエストを襲う。
まるで何かに『来るな』と言われているような、威圧的な風が山頂から吹き降ろす。
粉雪が舞い、視界が白く染まった次の瞬間。
氷の塊のような白い鱗で覆われた、ワイバーンよりも大きな魔物がそこに居た。
雪煙から覗く
エストが理解するのに時間は要らなかった。
頭に詰め込んでいた獣人語の言葉を全て振り払うと、目の前に居る大きなドラゴン……
相手は氷を扱う魔物。
それも圧倒的に格上の存在だ。
氷龍が吐いた息で雪が舞う。
感知すらできないほどの強い魔力で辺りが満たされると、エストの呼吸が浅くなる。
畏怖。種族としての畏怖が芽生えた。
自然と膝をつきたくなるような、絶対強者への敬意。しかし、ここで膝をついたら負けである。
立て。立て。目線を外すな!
心の奥底にある魔術師としてのプライドが、震えるエストの体を地に着けなかった。
勝てなくてもいいから、負けてはいけない。
氷の魔術師として、ドラゴンに不戦敗という結果を招くことだけは許されない。
山頂に近づいたことは後悔している。
だが、過去最高に反省もしている。
どうして今の自分が山を越えられないのか。たったひとつの理由に立ち向かうことは、今後を変える一手であると確信したのだ。
歯を食いしばり、ドラゴンの瞳を睨む。
すると、瞬膜で瞬きをしたドラゴンがその大きな頭を持ち上げ、口を開けた。
鋭い牙を見せながら吐いた息がエストにかかり、髪や服に霜がつく。
その冷たさは常軌を逸し、人の物差しでは測れない極低温である。
纏っていた
このままでは、ただで死ぬだけ。
魔族戦のように、瀕死にさせてから力尽きるのではない。ただ息を浴びただけで死ぬのだ。
それは断じて。
断じて許せないエストは、純白の魔法陣を展開する。
使う魔術は
氷の頂点に立つ魔物相手に、今のエストが使える最強の魔術で対抗するしかない。それでも敵う気がしないのだから、ドラゴンの強さを実感する。
何十、何百と魔法陣が重ね合う。
マニフに使った時とは違い、全力だ。
細く小さく、鋭く作られた氷の針は、僅かに指向性を持たせたせいか元の大きさとそこまで変わらなかった。
一瞬だがエストは首を傾げた。
しかし、その密度を見て納得する。
本来は大きく散らばる力を一点に集めることで、何も通さなそうな硬い鱗を貫くつもりだ。
「まだ死にたくないんだ。見逃してほしい」
祈るような言葉を吐くと、氷龍は再度頭を下げ、雪の上に顎を置いた。
縦に差した瞳が真っ直ぐにエストを射抜く。
エストは初めて見るドラゴンの瞳だが、どこか好奇心のような心が宿っている気がして、魔術の発動を躊躇った。
その眼には『撃ってみろ』と。力比べをしたそうな意志を感じ取ったエストは、最後に約束をしようと手の平を差し出した。
「満足したら僕を見逃してほしい」
エストの要望に瞼を閉じて返事をした氷龍。
人間の言葉を理解する高度な知能は、魔族にも匹敵する。ただ、あまりにも力量差があるせいで、会話にならないのがドラゴンという魔物。
温厚な個体であることに感謝をしたエストは、展開した魔法陣を起動した。
鱗を1枚剥げたら御の字。
弾かれたらきっと、その先は死が待っている。
どうか、どうか貫けますように。
「
超高密度の魔術が氷龍の顎に向かって飛ぶ。
先端が顎に触れた瞬間──
冷気が大爆発を起こした。
表面の雪どころか周囲の木々が吹き飛ぶ程の威力だったが、咄嗟に
何が起きたか把握しようと立ち上がると、目の前に氷龍が居た。
「え?」
大きく厳つい下顎は砕け、大量の血をドバドバと垂れ流しながらエストを睨んでいる。
困惑の声を出すが、気づいた時には氷で傷口が塞がれており、地面を赤黒く染めた跡が残った。
高い位置から見下ろす氷龍の瞳は、笑っているように見えた。しかし、次の瞬間にエストの足が凍りつき、その大きな顎が近づいてくる。
「あ…………終わった」
ガチン!
まるで金属がぶつかるような音が響くと、家が三軒は乗りそうな翼を振り、雪煙を上げた氷龍は飛び去った。
「見逃して……もらえた」
謎の達成感を覚えたエストは、ガッツポーズを作ろうとしてようやく違和感に気がついた。
なんと、先程の金属音は
「山……怖い。もう帰ろう」
光の魔法陣を出しながら、とぼとぼと帰るエストであった。
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