第304話 壊れかけの2人
食器を洗える程度に腕が軽くなったエストは、秋祭り当日の早朝も、日課であるシスティリアとの打ち合いをしていた。
「どう? 重心が安定してるでしょ」
「そうね。でも、左右で筋肉のバランスが崩れているわ。左手を軸に持ち替えた時、穂先がかなりブレていたわよ」
「……精進します」
「まだ快復してないんだから控えなさい。アンタのことはアタシが守るもの。それより──いつまでコソコソ覗いているのかしら?」
システィリアが耳をピクっと動かして振り向くと、木の影からはみ出た紺色の尻尾と刀が見えており、見つかったことに驚いたのか、両手までもがバッチリ見えていた。
ノロノロと出て来たのは、2人の友である。
「トキマサ。朝早いんだね」
「おはよう、えすと殿、しすちりあ殿。
2人の前に出て頭を下げたトキマサに、システィリアは胸の前で腕を組み、見下ろすようにして言った。
「アタシは気にしないけど、エストが気にしていたのよ。魔術を使わなかったのも、そのせいよね?」
「まぁね。万が一にも当たったら騒ぎになるし。明日からは堂々と見に来てほしいな」
「かたじけない……その剣技、しかとこの目に焼き付けさせて頂く」
エストの行為に甘えることにしたトキマサは、再び頭を下げると、また明日もこの時間に見に来ると言って去ってしまった。
少し小さくなった背中を見送っていると、不完全燃焼と言いたげなシスティリアがエストの背中に抱きついた。
「ねぇ……アタシ、もっと体を動かしたい」
「もう一本やろうか」
「じゃあアタシが勝ったら満足するまで。エストが勝ったら2回にしましょう」
「ちょっと待って。打ち合いの話だよね?」
「まだ陽は出ていないわ。つまり夜よ」
「……ここ、外なんだけど」
「そんなの、アンタの魔術でいくらでも隠せるじゃない」
自分の魔術をそんなことに使っていいのか。それは果たして、己の思う正しい魔術の使い方なのか。エストは大いに悩んだ。
う〜んと唸り、そのまま日の出まで考えてやろうかと思ったが、それではシスティリアが不満だろう。
かく言うエストも、最近はフブキやキサラギと生活する中で、自分たちに子どもが居たらなんて幸せなのか。どれだけ忙しくて、精神をすり減らすのか、僅かであるが体感したのだ。
もし、自分の身に何かあった時。
子どもが居れば未来に託すことが出来るのでは。
自身とシスティリアの生きた証として、そしてより自由な人生を歩んで欲しいと願える先が、子どもなのではないか。
そう考えることが増えていたのだ。
「システィリア」
「は、はいっ」
「僕が勝っても満足するまでだ。カゲンに来てから早寝早起きだったからね。僕だって君と同じ思いなんだよ」
「エスト…………じゃあ、一本勝負よ」
そうして二振の剣を構えたシスティリアと相対するエストだったが、嬉しくなった彼女は身が軽くなり、普段以上の実力でエストを圧倒したのだった。
そのまま貪られたエストが昼前になって起きると、適度な発散が大事なのだと気付きを得た。
「……ぁぁぁあ」
「生気が無いな。秋祭りは今日だろう?」
「エストさん……その様子だと、もしやシスティリアさんに……」
秋祭りの準備をしている小さな広場にやって来たエストは、草の上に寝転び、干からびた魚のような目で準備の様子を眺めていた。
その傍らには休憩中のブロフとライラが立ち、ぐったりしたエストを心配の目で見つめる。
「……男は狼なんて迷信だよ。本当の狼はシスティの方だった。あの扇情的な目、綺麗な体、逃げられない重み……龍の魔力を持ってして、狼には勝てなかった」
「はわ、はわわわ! どうしましょうブロフさん! エストさんが夜のお話を……!」
「いつものことだ。お嬢を見てみろ。過去に類を見ない生気に満ちた顔をしている。察するに、2人で落ち着く時間も無かったんだろ」
ブロフの視線の先では、男たちに混ざって大きな材木や藁の束を運ぶシスティリアが働いており、その表情は水を得た魚のようだった。
エストの生気を移したような彼女は、運搬が終わるとエストの前に来てしゃがみこんだ。
「ふふっ! お昼寝してるの?」
「あぁ、システィ……今日も綺麗だよ」
会話になっていない返事をしながら、頬を撫でる彼女の手を左手で握ったエストは、眼前の美女に心からの賛辞を贈った。
「ありがとっ。その……朝はごめんなさい。はしゃぎすぎちゃったわ」
「いいんだ……僕はシスティを愛してるから……このぐらい…………へい……き……」
戦場で言葉を託すかのように眠ったエストだったが、指を絡めて握っていたシスティリアの手を離すことはなく、数秒して彼女の笑顔が固まってしまう。
振っても離れず、指を一本ずつ引き剥がそうとしても、凍ったように動かない。
「あ、あらら? んぎ、うぎぎぎ……!」
「掴む力が強いのは杖のおかげか。多少は衰えているだろうが、良い筋肉をしている」
「ちょっと! アンタたちも手伝いなさいよ! エストってば、すんごい力で離さないんだか……らっ!!」
数日ぶりに見たエストの右腕は逞しく、戦士として、鍛冶師として良い腕だと頷くブロフの影で、ライラは仕事に戻っていた。
「仕方ねぇ。エスト、悪く思うな」
ブロフは背負っていた大剣を片手で構えると、エストの腹の上に突き立てた。そして殺気を放って剣先を下ろすと、ずぶりと刃がくい込んでいく。
その瞬間、バチッと水色の稲妻が迸り、剣を通じてブロフの体に鋭い電撃を浴びせた。
「ぐぅっ! ほう……? やるじゃねぇか」
「……アタシ痺れてない」
「は? ……おい、そいつ、起きてないか?」
本能で反撃したならシスティリアも痺れているはず。そう思って指摘すると、エストの澄んだ瞳がぱっちりと見えており、ブロフの顔を見つめていた。
しかし、繋いだ手を離すことはせず、内臓を傷つけられたエストは血の塊を吐き出した。
「エスト、そろそろ手を離してちょうだい」
「……ん? あぁ、繋ぎっぱなしだった?」
「……気付いてなかったの?」
「左手はまだ曖昧だからね。全く……起こし方をちょっとは考えてほしいな。システィがキスしたらすぐ起きるのに」
彼女の手を離し、お腹をさすって
起こし方が絶望的によくないと思い、ブロフを睨みつけた。
しかし、そうさせた理由は自分にあると理解したのか、頭を下げた。
「僕も手伝うよ」
「ええ、行きましょ。小さい荷物とか、アンタの魔術に入れて運んであげなさい」
とぼとぼと歩くエストを見送り、頭を掻いたブロフが首を横に振った。
「……コイツら、心身共に危ういな」
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