第303話 錠を開ける


「あ、エイダだ。元気してた?」



 秋祭りを前日に控えたエストは、オギ婆に呪いの状態を確認してもらおうと里を歩いていたところ、弓と血まみれのナイフを持ったエイダと遭遇した。


 背中の鞄には3枚のタヌキの皮が吊り下げられており、彼女の功績を表している。



「おうよ! 猟師ンとこに世話になって、今じゃ陸と海の猟師になっちまったぜ!」


「そりゃ凄い。もしかして昨日のお肉は……」


「多分俺が捕ったやつだな! 美味かっただろ?」


「うん。臭みも全然無くて、システィも驚いてたよ。子どもたちにも人気で、すぐ無くなっちゃった」



 昨晩の肉の取り合いは、こっそりシスティリアにつまみ食いさせてもらったことを隠したエストが宥めたものだ。

 自分の分はいいからとフブキとキサラギにあげたエストは、夜食にオークを食べている。


 そんなことを思い出していると、子どもという言葉に引っかかったエイダが、青色の髪を掻き上げながら聞いた。



「……子ども? 産まれたのか?」


「サツキの子どもだよ。僕らじゃない。もしシスティのお腹に子どもが居たら、僕の呪いどころじゃないよ」


「ハッハッハ! それもそうだ! ……そうなのか? まぁいいや。じゃあ俺はなめしの作業があるんでな!」


「は〜い。気をつけてね」


「おう! そっちも頑張れよ!」



 相変わらず男らしいエイダに元気をもらったエストは、遠くで煙が上がっている家を見ると、そのままオギ婆の家に足を運んだ。


 入室の合図をもらい、古い材木とお香の匂いの中、静謐が根を張る家の中を歩くと、前回と同じ居間にオギ婆が居た。



「おはよう。呪いについて、どんな感じ?」


「おはよう。実はな…………解けるやもしれん」


「え……? マジ?」



 思わず、内なるアリアが口から出てしまうエスト。

 オギ婆が言った不解の呪いが、もしかしたら解けるかもしれないのだ。


 種火の如く小さな希望を前に、エストはオギ婆の前に座った。



「まず、それは蝕死の呪いではなかった」


「そうなの? 進行しないのもそれが理由?」


「の、ひとつだろうな。坊がかけられた呪いの式を見せてくれただろう? それで確信に至った」



 解呪することは出来ずとも、呪いのを知れば自力で解けるかもしれないと踏んだエストは、複雑奇怪な術式を綺麗に写したのだ。


 念の為に数枚の紙に描いてオギ婆に渡したところ、かなり早い段階で蝕死の呪いではないことが分かった。



「それで、何の呪いだったの?」


永錮えいこ不動の呪い。それ即ち、掛けた相手は坊の停滞を望み、成長を阻害する呪い。簡単に言えば、子どもにかける呪いじゃ」


「子どもに……かける?」


「発祥は分からん。『子どものままで居て欲しい』『そのままで居て欲しい』『いつまでも変わらないで欲しい』……そんな執念の如き人の心が生んだ呪いじゃ」



 変化を望まない者が生んだ、停滞を望む呪い。

 それは五賢族がひとり、深海のイズが望んだ魔族の在り方のようで、エストの魔術がこれ以上強くなることを恐れた証。


 凪いだ海を求めた魔族が、激流に飲まれた末の呪いである。



「停滞……ね。オギ婆は時間魔術って知ってる?」


「知らん。西方の術か」


「うん。それでね、時の精霊が時間の性質について教えてくれたんだ」



 エストは紙と万年筆を取り出すと、まだ完全には動かせない左腕で紙を抑え、クェルが教えた時間の性質を書き記した。



「『時間は一方通行。前に進み、止まることはできても、戻ることはできない』多分だけど、後悔は必ずするものだから、前だけ見てろって言いたいんだと思う」


「……だが」


「そう。止まることができるんだ。これって、呪いを解く鍵になったりしないかな?」



 エストは、時空魔術──それがひとつの属性だと認識していた時間と空間の概念を、それぞれ別の属性魔術であると認識することで、より高精度な魔術の域に足を踏み入れた。


 それぞれが単体として持つ役割が大きく、時空としてひとまとめにするには、あまりにも想像にかかる負担が大きいものだった。


 だが、今のエストは違う。


 時空と空間の概念を少しずつ理解し、調理に使う包丁を選ぶように、魔術の選択肢として選べるまでになった。



 今なら……出来るかもしれないのだ。



「時間と闇の属性融合魔術……とかね」



 エストは右手に時間属性の単魔法陣を。左手に闇属性の単魔法陣を出すと、まだ何の構成要素も無いそれらに、身体機能を停滞させるイメージを練り込んでいく。


 肉体の干渉は光魔術の分野だが、感覚に限った話では闇属性が上に立つ。


 体を動かすイメージを遮断するように。そして、頭から体へのイメージの受け渡しを限りなく遅くすることを意識すれば、歪な魔法陣が出来上がっていく。



「なんじゃそれは……まさか──呪術」


「僕は他人の感情を読み取るのが苦手だ。今でもシスティの感情を知りたい時は、尻尾を見たり、直接聞いたりしてる。だから、僕の呪術は感情から生まれる術じゃないんだ」



 2つの魔法陣が全く同じ構成要素を持った時。

 それは重ね合わせることでひとつにでき、術式を乗っ取り、破壊することが可能となる。


 今回のエストは、その摂理のもとで、ひとつの魔法陣として融合させた。



「鍵を作るには錠が要る。答えを求めるには式が要る。人を呪うには、呪う対象が要る。当たり前の話だけど、難しいことだった」



 空色をしていた魔法陣が黒く濁る様子は、まるで透明な水に墨を溶かしたよう。



「まずはひとつ。術式を解かせてもらうよ」



 3つ残った呪いのうち、表面の一層とエストの魔法陣がぶつかった瞬間、するりと魔法陣が溶け合うように重なった。


 すると、差し込んだ鍵で錠を開けるように『カチッ』と音が鳴る。

 左腕に刻まれていた黒い紋様がひとつ消え、腕の重みが一気に消滅していった。



「……なんと。解きおった」


「……すんごい魔力使った。あ〜、疲れた」



 さすがは魔族が掛けた呪いなだけあって、魔法陣の消費魔力が尋常ではなかった。

 体内の魔力を7割も使ったエストは、魔力欠乏症のひとつである虚脱感に包まれた。



「オギ婆、あと2つ。僕の予想だと、多分2つとも違う呪いだと思う」


「ほう? つまりは3つの呪いを同時にかけられたわけか」


「いや、数千はあったと思う。僕とオギ婆が弱い呪いを解いたから、本命の3つだけが残ったんじゃないかな」


「……そうじゃな。いやはや、面白いモンを見せてもらったわい」


「僕もう帰る。次はオギ婆の番だよ」



 どこか解呪が楽しくなってきたエストは、遊び感覚でどちらが早く解呪出来るか、オギ婆と競うような気持ちになっていた。


 そんなエストの気持ちを汲み取ったのか、オギ婆はニヤリと笑うと──



「残る2つもワシが解いたる」


「じゃあ勝負だね。呪いの専門家と魔術の専門家の、解呪勝負。勝ったらどうする?」


「美味いメシをたらふく食わせる」


「乗った。それじゃあまたね」


「狼の娘に言っておけ。美味いメシを作るようにな」


「ははっ、僕が全部食べちゃうよ」



 そうして昼前に帰ってくると、左腕を少しずつ使えるようになった姿を見て、システィリアのみならず、サツキたちも目を丸くさせるエストだった。


 本来の6割から7割程度の働きを取り戻した腕は、食べ終わった食器を片付けられる程度には動かせた。

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