第349話 拗ねたフリと心配性
「ネフにヌーさんに見知らぬ猫……いつの間にか大所帯になってたけど、実験の続きだ」
庭に戻ってきたエストは、順番に水やりの頻度を落としたボタニグラに熱源を近付けて魔物化するか調べていく。
そして、毎日水をあげていた個体に続き、2日に一度の個体も、そして3日に一度の個体ですら魔物化しなかった。
「魔物化しない方がおかしいって思っていたけど、もしかしたら逆なのかな。本来は花だけど、特定条件下で魔物化する。そう考えた方がいいのかも。ヌーさんはどう?」
『……ヌゥ?』
「そうだよねその方がいいよね。ネフは?」
『……ピィ?』
「ネフは反対なんだ。確かに多角的な視点は大事だけど、ひとつずつ詰めた方がいいよね」
本人らが思ってもいないことを口にするエストに、ネフとヌーさんはエストから僅かに距離を置いた。悩む素振りこそ見せているが、その手は止まる気配を知らない。
実験結果と考察を記す手が止まった時、ようやくエストは人の言葉を聞くようになるのだ。
「──ウルティス、次はお店の人に……あら」
「おにいちゃん!」
散歩から帰ってきたシスティリアとウルティスは、庭で一心不乱に考察を書き記すエストを見つけた。
ヌーさんがジリジリと後退りする姿から、彼女はエストの『いつもの』が始まったのかと察する。
しかし、それを知らないウルティスはぱたぱたと尻尾を振りながら走って行くと、手と目以外が彫刻のように動かないエストに、首を傾げていた。
「おにいちゃん、しゅーちゅーしてる」
「そうね。真剣な表情もかっこいいわね」
「うん……おはなしは、あとにする」
ウルティスは初めて見たエストの集中状態に、邪魔をしてはいけないとシスティリアの方へ帰って行く。そんなウルティスに倣ってヌーさんも離れようとするが、頭上のネフが額をつついて阻止した。
「あの鳥……ふ〜ん? 帰ってきてたのね」
「おねえさま?」
「なんでもないわ。さぁ、ご飯にしましょ」
「は〜い! ごっはん〜、ごっはん〜!」
玄関のドア前に立ったシスティリアは、庭をちらりと覗いてネフを睨む。その視線に殺意を込めた瞬間、ネフの三方を分厚い氷の壁が展開された。
それは、完全に無意識で使ったエストの魔術だった。
本人すら使ったことを知らないほど、呼吸と同等に行使される、守る魔術。
「もうっ! アタシだけを守りなさいよねっ」
頬を膨らませ、システィリアは帰ってしまった。
そのことを知ってか知らずか、ネフがエストの肩に足を着くと、耳を軽く啄んで集中を切らしてみせた。
書く手を止めたエストがネフの頭を撫でようとするが、ネフは手を回避するように飛び立ち、目の前でグルグルと旋回する。
『ピィッ!』
「……どうしたの?」
何かを伝えるようにひとつ鳴くと、森の方へ帰ってしまった。助けを求めるような目線でヌーさんを見つめたエストだったが、ヌーさんは大きなあくびをしてその場に伏せた。
実験に付き合わせ過ぎたかなと思ったエストは、ヌーさんたちに大量の肉をあげると家に戻る。
すると、玄関にシスティリアたちの靴があった。
今日の昼食はアリアが作るようで、ソファに座ってシスティリアが魔道書の魔法陣を出現させて練習しており、台所の方ではウルティスが野菜の皮を剥いていた。
「おかえり。システィとウルティスはいつ帰ってきてたの?」
「ただいま。ついさっきよ。何か必死に書いてたけど、もう終わっちゃったの?」
「あぁ……そういうことか。うん、一息つけようと思ってね。声をかけ……てくれてた?」
「ウルティスがね。アタシは拗ねちゃったわ」
「ごめんよシスティ」
魔術の邪魔をしないように優しく後ろから抱き締めたエスト。
狼の耳でピクっと反応させたシスティリアは、ソファの隣を優しく叩き、エストを座らせた。
すると、魔道書を置いたシスティリアが、構って欲しかったと言わんばかりにもたれかかる。
何も言わず。されど伝わってくる想いに肩を抱いて、擦り付けてくる頭と耳を受け止めた。
「花。どうだったのかしら?」
「水をあげてない個体だけ魔物化したよ」
「あら、そうなの。じゃあ他の花は?」
「かなり上手く咲いたね。そのせいで、魔物化したら大惨事確定。しばらく様子を見て、種を作るか観察しないと」
「ふ〜ん……種、ねぇ」
エストの全身を舐めまわすように見つめたシスティリアは、アリアたちから見えないことを確認すると、エストの服に手を入れた。
鍛えられた背筋に指を這わし、そのまま顔をゆっくりと首筋に近付ければ、全身を密着させながら囁く。
「アタシが兎なら……今2人目も狙えたのに」
「ねぇシスティ。妊娠中……なんだよね?」
「何言ってるのよ。見て分かるでしょ?」
システィリアの言う通りである。
何をどう見間違えたらそんな質問をするのか、エストの手を優しくお腹に当てた彼女はくすりと微笑んだ。
「その……生殖本能、強すぎないかな?」
「そんなことないわ。エストが他の女を見ないように、誘惑し続けてるだけだもの」
「今更システィ以外を好きになれないよ、僕」
「じゃあどうしたの? ……あ、昨夜のことを怒ってるの?」
「ううん、怒ってない。むしろ……嬉しかった。でも、今は君の心配の方が勝っちゃうんだ。システィもそうだし、お腹の子も」
「全くアンタは……そんなにアタシが弱ってるように見えるのね」
心配してくれる気持ちは嬉しいが、エストはシスティリアを愛するあまり、過剰に心配してしまうきらいがある。
彼の膝の上に乗ったシスティリアは、両手をとると胸の真ん中に押し当て、少しひんやりとした体温を布越しに感じ取った。
「エスト。人はね、死ぬ時は死ぬの」
「……うん」
「アタシたちは死から逃げる人生を選んでいないわ。反対に、死を押しのけて今を生きているの」
「うん」
「何度も死にかけたし、死ぬと思った戦いが楽勝だったこともあった。だから別に、今になって死を恐れる必要は無いわ。その時はただ、アタシたちが弱かっただけだもの」
「そう……だね」
「肩肘張らなくていいのよ。アタシたちが殺してきたように、アタシたちに命が宿った。これまでの戦いと同じよ」
守るために殺してきた2人に、守るべき命が宿った。今までは使命感として戦ってきただけに、明確に、共通の対象が生まれたことを、システィリアは嬉しく思っているのだ。
これまで以上にエストと感覚を共有しながら、これまでと変わらないことが出来る。
そう思っていたのに、エストはここぞとばかりに心配性を発揮し、今までの勇敢な魔術師はどこへ行ったのか。
逃げ惑うネズミのようだと、システィリアは感じてしまった。
時にその原因がお腹の子にあると、そう気付いて頭を抱えた日もあったほど。
「これはお願いよ。逃げないで。真っ直ぐに戦ってちょうだい。アタシだけ戦わせるのはやめなさい」
真剣な眼差しでエストの目を見つめるシスティリア。
そんな彼女を見て、昔から変わらず真正面から戦う姿を美しいと感じたエストは、全身に鳥肌が立った。
どんな時も前を歩き、手を引っ張ったのはシスティリアだった。それは大人になっても変わらず、エストの中にある『システィリア』という言葉を表す人のまま。
対してエスト自身は、変わることを選んだ身だ。
彼女の隣に居ることで、そして手を引かれることで変われると信じた結果、『エスト』という言葉が表す人は、少しずつ変わっていった。
だが、システィリアは変わらなかった。
いつまでもエストの中の『システィリア』は彼女ただひとりであり、外見こそ美しさに磨きがかかれど、内面は気高い狼そのままである。
エストは深く頷くと、真っ直ぐに瞳を見つめ返す。
「約束する。僕は君と一緒に戦い続けるよ」
そう言うと、フッと頬を緩ませたシスティリア。
欲しかった言葉はそれだと実感したのか、エストの胸にぐりぐりと頭を擦り付けた。
「システィは変わらないね。昔から格好良い」
「アンタが変わりすぎなのよ。他人に興味が無かったエストはどこに行ったのかしら?」
「……君がどこかに投げ飛ばしちゃった」
「ええ。だってつまんなかったもの。だから、アンタと再会した時……嬉しかったわ。一言喋るだけで惚れ直してたもの」
「僕はひと目見るだけで惚れ直してたけどね」
「それを言ったらアタシもよ? 体も大きくなって、顔もかっこよくなって……もう、好き好き〜って言いたかったもの」
「ぼ、僕だって──」
食い下がるエストの言葉は、唇と共に塞がれた。
「黙らっしゃい。いい加減認めなさいよ。アタシの方がアンタのことを好きなの。愛してるの」
「……い〜や僕の方が好き。愛してる。絶対」
「全く……頑固なところは昔から変わらないわね」
そう言って再びエストの唇を奪ったシスティリアは、だらりと下がった彼の手をお腹に当てると、優しく撫でさせた。
すると、エストはお腹の子に向かって言う。
「意思は強く、思考は柔らかく。意識は高く、目標は低く。自己を見つめ、不満足を見つめ続ける」
「……なぁに? その言葉。アンタみたいね」
「師匠が教えてくれた、成長のコツ。単魔法陣の構成要素を覚える前に、この6つを覚えるんだ」
魔術の根底にある単魔法陣と同じように、魔術師は、根底にこの6つの要素を満たしていないと成長は難しいという。
「ちょっと、そんなこと教えたらこの子が魔術師になっちゃうじゃない」
「じゃあ剣士の教えを伝えるの?」
「え……そんなの、沢山食べて沢山寝て、沢山鍛える……ぐらいしか無いわよ」
「覚えやすくていいね」
「なによ、剣士がバカって言いたいワケ?」
「いいや? 単純でいいな〜って」
ぷくっと頬を膨らませたシスティリアだったが、その尻尾は激しく左右に振られている。
エストはシスティリアの右手をとり、自身の右手もお腹に当ててあげると、彼女の目を見て言った。
「両方覚えたらいい。その上で、好きな道を歩かせよう。僕らはそれぞれの教えで、障害物を排除したからさ」
「……そうね。この子にはのびのびと生きて、幸せになってもらいましょ」
誕生する我が子の幸せを願いつつ、2人は2人の幸せを噛み締めると、ぽこんとお腹を蹴った感覚が手のひらを伝う。
夏を迎えればブロフとライラが遊びに来る。
その時、2人がこの子にどんな反応をするのか、楽しみで仕方がないエストたちであった。
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