第348話 咲き誇れ、ボタニグラ


「おにいちゃん、どうしたの?」


「……動けないだけ」


「おなかいたいの?」


「……疲れてるだけ」


「無駄よウルティス。放っておきなさい」


「はい、おねえさま」



 朝からソファで寝転がっているエストをつつくウルティスは、純粋な気遣いから介抱しようとするも、システィリアの散歩に連れて行かれた。



「システィちゃん……アレ、何があったの?」


「ちょっとエストの欲求を満たしてあげただけよ。日が昇る頃にはなんだか苦しそうな顔をしていたけど、水やりが終わったら倒れちゃったわ」


「……お、弟を殺さないでね?」


「大丈夫よ。アタシの愛くらい、エストは受け止めるもの」



 干からびた肉のようなエストに対し、システィリアは水を得た魚のように元気で、ソファの前で屈むとエストの頬にキスをしていた。



「いって……ら」


「行ってきます。その……うふふ」


「女王様。僕に優しくしてください」


「わ、分かってるわよ! 久しぶりで興が乗っただけ」



 ぷいっと顔を背けるシスティリアの横髪に、花を模した髪留めが輝いていた。

 これは以前、ブロフが趣味で作っていたアクセサリーのひとつで、エストもお気に入りの髪留めである。



「……今日も可愛いね。髪飾り、似合ってる」


「えへへ、ありがと。そうだ、お腹の子にも挨拶する?」


「する。おはようベイビー、ママと一緒にお日様と春風を浴びて来な。あと、ママのお腹を蹴りすぎたら泣いちゃうからね。程々に」


「……もうっ。アンタも外に出なさいよ?」


「はぁい。行ってらっしゃい、システィ」


「行ってきます」



 優しく触れたお腹から命の感覚を味わい、ようやくエストは体を起こした。

 玄関までシスティリアとウルティスを見送ると、街まで散歩に行ってしまった。


 今日はダラダラしていようかと思っていたエストだが、アリアに出された朝食を食べていると、ふと疑問が湧いて出た。



「お姉ちゃん。活性化の件はもういいの?」


「うん、終わったよ〜。元々お姉ちゃんたちは戦闘員で〜、事後処理はメイワールの仕事だからね〜」


「そうなんだ。師匠は?」


「森のお家で〜、お薬作ってる〜。魔道具工房を勝手に使うのは〜、申し訳ないんだって〜」


「使ってくれていいのに」



 柔らかいパンにチーズとハム、野菜を挟み、システィリア特製ソースを掛けたサンドを頬張るエスト。


 ちゃんと夜は寝て、朝に起きた方が気持ちがいいことを再認識すると、食べ終われば着替えを済ませ、ヌーさんたちの居る庭に出た。


 今日は久しぶりの休暇である。


 春の日差しに癒されるヌーさんたちを集め、密かに手入れをしたモフモフの風狩狼ウィンドベネートに背中を預けたエストは、大きなあくびをしてから目を閉じる。


 庭の木々が風でざわめくと、心地よい春の手がエストを撫でた。



「今日は良い日だ。旅を初めてから最ものどかな日。そうは思わない? ヌーさん」


『……ヌゥ〜』


「ワンワンにバウバウも同じでしょ?」


『ワンっ!』


『バウゥ!』


「良い返事。やっぱりみんな春が好きなんだ」



 過ごしやすい気温。優しい日差し。咲き誇る花の香りで心が安らぎ、雪が溶けて新たな1年の始まりを実感する良い季節だ。


 街から抜け出したのであろう野良猫も、あくびをしながらエストの隣に来ると、小さく丸まって尻尾を打つ。

 そんな猫を片手で撫でながら日向ぼっこをしていると、違和感に気付いたのか、エストは目を開けた。



「知らない匂いだ。どこから?」



 風に乗って甘い匂いが鼻をくすぐり、辺りを見回すエスト。茶トラの野良猫も一緒になって首を回し、遂に匂いの発生源を特定した。



「咲いてる……見てヌーさん! やっとボタニグラが咲いた!」



 ヌーさんのお腹を優しく叩いて起こすと、集団はそのままボタニグラの栽培地に赴き、咲いたボタニグラの前で並んだ。


 高さ4メートルはあろう大きな花たちは、鮮やかな赤い花弁を見せつけ、本来なら舌状花のように歯を並べた口も、甘い香りを放つ管状花に置き換わって開いていた。


 水やりの仕方を変えた実験だが、結果は全て開花した。しかし、明確な変化があったのは、水をあげていないボタニグラだった。



「これ……溶解液だ。やっぱり栄養が足りないと魔物化……というか、自分から動いて狩りをするようになるみたいだね」



 水をあげなかった個体だけ、花がゆらゆらと動いては、管状花の部分から蜜のように、あるいは涎のように溶解液を垂らしている。


 本来であれば根を動かして活動するのだが、地下もエストの土壁アルデールが区画分けしているため、茎となる胴体を揺らすことしか出来なかった。



「倒す前に、溶解液は回収しておこうか」



 ボタニグラに攻撃しようとするヌーさんを止めたエストは、亜空間に手を突っ込んでガラス瓶を探すが、ちょうど手持ちが無くなっていた。


 仕方なくその場で焼成しようとしたが、そこでエストは思い出す。



「上手く咲いた方は、火に反応するのかな?」



 暴れることを仮に魔物化とすると、魔物化しなかったのは毎日水をあげた個体と、1日おき、2日おき、3日おきにあげたボタニグラだが、火に対する反応が気になった。


 今は至近距離で栽培しているため、1個体ずつ反応を見るために、杖を出しては環境操作ネドゥシフトで大きく間隔をあけた。


 万が一魔物化した時のために、それぞれの前にヌーさんたちを配置すると、杖先に出した火球メアを近付けていく。


 まずは、既に魔物化した個体からだ。



「おお、暴れてる。ボタニグラは火を求めてるって言われているけど、なんか気に食わないよね」



 植物にとって天敵と言える存在が火だと考えるエストには、仮に魔物になったとして、植物が火を求めるとは思えないのだ。


 何せ、トレントは火を嫌うために、魔術師を優先して狙う傾向にあるのだから。

 他にも植物系の魔物は数多く居るが、どれも火を嫌い、水や純粋な魔力を好む傾向がある。

 

 どうしても気になったエストは、火球メアを近付けたまま、ボタニグラの動きを観察することにした。



「暴れてる……蔦が出ないのは未成熟だからかな。っとと、直接食べようとするぐらい求めているんだね」



 大きな口で火球メアに噛み付こうとするボタニグラ。では逆を試してみようと氷球ヒュアを出せば、魔術ではなく、エストの方に花をもたげた。



「この違いは何だろう。火と氷の違い? 風は……反応無し。水もか。当然土も。あとは……雷とか? おおっ、これは反応した!」



 様々な属性で試した結果、ボタニグラが食いついたのは火属性と雷属性の魔術だった。

 同時に2つの魔術を使えば、火の方を優先的に狙ったので再び首を傾げることに。


 魔術的貴重性は雷の方が上だが、なぜボタニグラは火を好むのか。

 エストは服によじ登ってきた野良猫を抱えると、杖を仕舞って考え込む。



「属性としての違いか、他の何かか。同じ出力でも火を好むから、もっと根本的な……魔素の動きから感知してるのかな」



 試しに右手を突き出し、手のひらに自身の魔力を集めるエスト。

 魔力の最小単位とも言われる魔素を震わせると、魔力と共に空気の温度が上がっていく。


 魔素が振動し、ぶつかり合うことで生まれる熱。

 魔力を切り離して熱の塊を移動させると、ボタニグラは凄まじい勢いで熱源に齧り付いた。



「熱か。いや……わかんない。雷はどう?」



 物質の第4形態である雷であればどうか。

 熱の時と同じように雷を発生させたが、ボタニグラは食いつかなかった。


 しかし、パチッと魔力が弾けた瞬間、大きな口で齧り付いた。


 魔力が弾けた瞬間。それ即ち──



「熱。つまりは魔素の運動を捉えているんだね。一口に火と言っても、ボタニグラが感知するのは高速で動く魔素だ」



 仮説をトレント紙に記したエストは、ここまでに試した実験過程も細かく書いていき、次に書くべきはボタニグラの魔物化に至った。


 そうしてようやく、水やりで分けた個体に触れ始めた。



「毎日あげた方からね。火球メア



 もしかすると魔物化するかもしれない。むしろ魔物化してくれた方が有難いとすら思って火の玉を近付けるが、なんとボタニグラは反応しなかった。


 念の為に使える属性全てで試すも、魔物化はしなかった。



「あ〜あ。余計にわからない。後から魔物化するってなった時、条件が不明だと栽培も難しいよ」


『ヌゥ』


「ほらヌーさんもわからないって言ってる」


『ヌゥ?』



 首を傾げるヌーさんの頭に猫を乗せたエストは、自身もヌーさんの背中に乗ると、全身でしがみつくように翡翠色の毛に体をうずめた。



「ヌーさん、森の方に歩いて。ワンワンとバウバウは引き続き警戒」



 ゆったり歩くヌーさんは、猫とエストを落とさないように、揺れが少なくなるように歩いている。

 元は麦畑だったこの敷地は、実に7割を森にし、家の周囲3割を普段使う庭としている。


 そのため、森の奥の方は小さな生態系が出来ており、エストが思いつきで引いた川には既に魚が棲み、自然の一部を形成した。


 川のせせらぎを聞きながら木漏れ日を浴び、エストの背中に移動した猫が大きな伸びをする。



「……平和だねぇ」


『……ヌゥ』



 鳥も囀るのどかな森をヌーさんに乗って進んでいると、エストの頭上を旋回する鳥が、わざと木漏れ日を遮るようにイタズラをしてきた。


 頬にチカチカと感じる陽光に目を開けたエストは、鳥に向かって風球フアで追い払おうとするも、鮮やかな飛行で躱された。



「平和を乱す鳥だ。焼き鳥にしてやる」



 刹那、エストが火針メニスの単魔法陣を展開した。

 すると、上空を飛行していた鳥は木の下に降りてきては、必死にエストの前で羽ばたいた。


 艶やかな薄緑の羽根が特徴的なその鳥は、魔法陣を消したエストの肩に乗るとこう鳴いた。



『ピィ!』



「うそ……まさか、ネフ?」


『ピイッ! ピピッ!』



 懐かしい声で鳴いた鳥の正体は、エストの最初の相棒にして、システィリアと犬猿の仲を示した我の強い鳥、ネフである。


 両翼を広げて鳴き声を上げれば、友であり主であるエストはふっと表情を柔らかくした。



「ネフ! どうしてこの森に居るの?」


『ピィッピ!』


「もしかして、僕の魔力を感じて来たの?」


『ピィ!』


「そっか……元気でよかった。さっきは焼き鳥にしてやろうとか言ってごめんね」



 エストが修行に行くと同時にお別れとなったネフだが、当時は片手で握れるような大きさだったのに、今では大きなカラスほどの体格を誇っている。


 肩に掛ける爪も鋭く、エストを傷つけてしまうからと頭の上には乗らないようにしていた。



「懐かしい感覚だ……また3人で旅でもする?」


『ピィッ! ピピィッ!』



 翼を広げて激しく嫌がるネフ。

 どうやら、まだシスティリアと仲が悪いらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る