第347話 耳で感じる幸せ
「そう……ですか。ファイスさんたちが……」
簡易救護所で仕事終わりのルミスに、エストは自ら死亡報告に赴いた。
臨時とはいえ、パーティメンバーの死に動揺すると思っていたエストは、暗い顔をするだけで耐える彼女に、内心で驚いていた。
「君は強いね」
「……これで5度目ですから」
「そっか。僕はまだ動揺してる。身近に感じた人が死ぬことなんて……殆ど無かったから」
「それこそが強さですよ、先生。守れるだけの強さがあるから、身近な人が死なないのです。誇ってください」
とっくに覚悟はしていたと言わんばかりの表情でエストを見上げ、僅かに震えていた左手をとったルミス。
両手で包み込んで、悲しみ悔しいと思えど、引きずる必要は無いと言う。
「……僕、慰められてる?」
「いいえ、叱っています。冒険者は死ぬもの。それを忘れたのは先生ですから」
「……そうだね。手を合わせてくるよ」
「わたしも行きます」
アリアから死者のリストを受け取ると、2人で街の外にある墓地までやって来た。
ドラゴンによって回収することが不可能な遺体は埋められないが、墓をたてることは出来る。
エストの
新たに増えた17本のうち、ファイスとウィルの名前が刻まれた墓の前で、2人は手を組んで祈りを捧げた。
手向けの花を供え、アンデッドドラゴンを倒したよと言えば、多少は報われるだろうか。
それとも後悔しているだろうか。
ドラゴンを相手に、ここまで犠牲者が少ないことを喜ぶのか。
エストは何も分からないまま、ルミスと別れてギルドの2階酒場に来た。
もう営業を再開しているらしく、バーカウンター席に座ると、小さなカクテルグラスに鮮やかな青色の酒が出された。
「あんた、賢者様だろ? これはサービスだ」
「……お酒の気分じゃないかな」
「おっと冷やかしだったか。まぁ飲んでみろ」
ジュースでも頼もうかと思っていたエストだったが、マスターに暗に『帰れ』と言われたら、グラスに口を付けた。
青い酒はスっと鼻に抜ける清涼感があり、アルコールの風味よりも、爽やかな果物の香りが舌の上で踊る。
そして、不思議と液体の温度よりも冷たく感じたのだ。
「冷たいね」
「氷の賢者を表す1杯だ」
「……美味しい」
「そりゃ良かった。じっくり楽しんでくれ」
カクテルを味わいながら、エストは思う。
自身の人生において、ファイスたちの存在は限りなく小さな星と言えるだろう。しかし、ファイスたちにとってエストは大きく、満月のような存在だったはずだ。
彼らはドラゴンを前にした時、何を思ったか。
死の恐怖を感じたのだろうか。
あるいは、扇動した冒険者のように勝てると思ったのだろうか。
死人に口なし。
もう声を聞くことは出来ない。
これから先、自分にとって大切な人が亡くなる時に直面すると、エストは何を思うのか。
……システィリアは一度、味わっている。
水龍との戦いで体を真っ二つにされたエストは、禁忌となった魔術で時間を停め、生きていると信じられながらも火葬されたのだ。
それからの彼女は……荒野のようだった。
「アタシより先に死なないで、か……」
二度と経験したくないのだろう。
初めてその言葉を口にしたのはずっと前だが、今ではシスティリアの精神を守るために、そう言い付けたのだと理解出来る。
カクテルを飲んで落ち着いたエストは、深く息を吐いて気持ちを整理した。
「マスター、美味しいジュースを」
「酒は?」
「シス……妻が飲めるようになるまでは辞めてるんだ。今回だけは特別」
「そうか。割高にしてやる」
「うん。甘んじて受け入れるよ」
妊娠中のシスティリアが飲めないのに、自分だけ飲もうと思わないエストは、割高にされても仕方ないと割り切っていた。
そうして3杯ほどジュースを飲んだエストは、2万リカも支払うことになった。
いくら割高にしても高過ぎると思ったが、冷やかしになりかけた罰だと思い、銀貨を2枚差し出す。
気が楽になったし帰ろうと思っていると、ギルドにやって来たアリアがエストに手を振った。
「こんなとこに居たんだ〜。帰っちゃったかと思って焦ったよ〜。お姉ちゃん、馬車で帰らされるかと思った〜」
「そ、そんなことしないよ。一緒に帰ろう?」
「……どうして言葉に詰まったの〜?」
「そりゃあ今から帰ろうとしてたもん」
「も〜っ! エストのバカ〜!」
あと数秒もすれば転移で帰るところだったため、アリアは非常に運が良い。
すっかり気持ちも落ち着いて、普段通りのエストになったと気付いたアリアは、早速帰ろうと手を繋いだ。
いつまで経っても甘えてくる姉だが、その分甘やかしてくれるため、エストも受け入れている。
ギルドから2人の姿が消えれば、家の前に転移していた。
「ただいま〜。お仕事終わったよ」
玄関でそう言いながら靴を脱ぐと、手を洗い終わったタイミングでシスティリアがやって来た。
「おかえりなさい。悲しいことでもあった?」
「……わかるの?」
おかえりのハグを堪能していたエストは、完全に不意をつかれた表情でシスティリアを見つめた。
一体どこで悲しんだことが分かったのか、エストは分からない。
心臓の音でも変だったのかな? と考えながらリビングまで手を引かれていると、濡れた黄金の瞳で見つめながら、システィリアが微笑んだ。
「愛しているもの……は、当たり前よね。正解はお酒の匂いよ。スっとした匂いのお酒……かしら。バーでも行ってた?」
答えは嗅覚が導き出したという。
昔から彼女の嗅覚が鋭いことは分かっていたエストも、ここまで正確に判断出来るとは思っていなかった。
料理の知識を増やし、その繋がりで酒の匂いを導いたのだが、その精度に思わず両手を取っていた。
「すごいよ、全部当たり。一緒に居たみたい」
「ふふふっ、でしょ〜? 悪阻が治まってから、前よりも鼻が利く気がするのよね」
「はあ……もっと好きになった」
どこまでも追い付けない高みに至り、憧憬と尊敬の対象としてエストの頂点に君臨するシスティリア。
人柄だけでなく、才能的な面からも深く愛しているエストは、優しく彼女を抱き締めながら頭を撫でた。
力を抜いてエストに体重を預ければ、後頭部を撫でていた左手がシスティリアの耳に伸び、信頼の証とも言われるスキンシップを楽しんでいると、後ろに居たアリアが唸り出す。
エストの鎖骨辺りに顔を擦りつけて堪能すれば、ようやくドアの前から離れた2人。
「も〜。そういうのはお姉ちゃんが入ってからにしてくれる〜?」
「あら、ごめんなさい。血の臭いで分からなかったわ」
「先に入ってると思ってた」
「……理不尽ッ! ウルティスちゃ〜ん!」
アリアは数少ない味方のウルティスに飛びつくが、ソファで魔道書を読んでいたウルティスはそっと体を逸らし、頭からテーブルに衝突した。
それでも頑丈なアリアはウルティスの方を振り返ると、信じられないものを見る目でアリアを見つめ返された。
なぜなら今のアリアには、前頭部に向けて龍の角が生えており、尾骶骨の先からは禍々しい鱗を纏う、強靭な尻尾が生えていたのだ。
完全に認識阻害を解いたアリアの本当の姿を見たウルティスは、飛び跳ねてエストの後ろに隠れた。
「ようやく気付いたようじゃの、ウルティスよ。この家にまともな人間はひとりもおらぬぞ」
食卓で足をブラブラさせながらエストの魔道具コレクションを弄っていた魔女が、脱兎の如く逃げたウルティスに言う。
「……どう、して?」
「どうしてじゃろうなぁ。ここには生まれも育ちも変な者しかおらぬが、皆家族となって生きておる。辛うじて人族として生まれたエストじゃが、今は──」
エストは龍の魔力を回して瞳の形を変えると、ウルティスに向き直ってしゃがみ込んだ。
「ドラゴンから力を貰ったんだ」
「……かっこいい」
「ふ〜ん? ウルティスはセンスが良いわね」
「ほんとう? おねえさま」
「ええ。だってエストはカッコイイもの。こっちに来なさい。前にエストが凄い速さで走ってきた話をしてあげる」
「うん!」
そう言って話という名目でエストからウルティスを引き剥がすと、エストは魔女の前に座り、アリアは夕飯の支度を始めた。
「して、ダンジョンはどうじゃった?」
「……普通?」
「ご主人、それ全部ウソ。エストがまともに探索出来たのは1層までだよ〜」
「そうじゃったか。活性化はどうじゃった?」
「第3波がイビルゴブリンの波だったの〜。エストが居なかったら〜、確実に誰か死んでたよね〜。50人くらい」
「なんと! まさかそのような魔物を相手に、完全勝利したと言うのか!?」
「……それがね〜、そうでもないの〜」
活性化の対処に二ツ星2人とエストが仲睦まじく惨殺の限りを尽くしていたところ、抗魔の鎧を纏ったオークが現れ、エストの魔術も弾かれた話をした。
すると、いつの間にかシスティリアとウルティスも席についており、興味深そうに耳を傾けていた。
「最後に出たのが、アンデッドのドラゴンだった。元は炎龍だと思うけど、とにかく臭いのと、強かった」
「最初に突っ込む時間を作っちゃったからね〜。尻尾で薙ぎ倒されて17人死亡。エストも怒ってたよ〜? ドラゴンに」
「……ううん。あの時は冒険者に怒った」
「マジぃ? ともかく、あとは3人でえっさほいさ頑張って〜、無事討伐っ! ドラゴンを倒したのは初めてだったよ〜」
「初めてなの? アリアさんのことだもの。しれっと倒してると思っていたわ」
「……光魔術も攻撃魔術も無いからね? ウチの魔術の才、舐めたらいかんぜよ〜?」
決して威張れることではないが、純粋な肉体の強さで二ツ星にまで至ったアリアである。魔術の才能があれば、それこそドラゴンも単独撃破が出来るだろう。
どこか上に立ったような気がしたシスティリアだったが、そんなことよりもエストの腕を抱き締め、肩に頭を置いていた。
エストの口元で耳をピクピクと動かしていると、まるで釣られる直前の魚のように口を開け、耳の先端を咥えられたシスティリア。
曇った声を上げるも抵抗はせず、ハムハムされる感覚を楽しんでいればウルティスから羨望の眼差しを向けられた。
だが、エストはアタシのものだと口酸っぱく言っているせいか、我慢したウルティスは魔道書を広げた。
「あ! エストがシスティちゃん食べてる!」
台所からアリアが大声を上げると、蕩けた表情のシスティリアが、エストの耳元に甘ったるい声で囁く。
「食べられちゃった……うふっ」
「うまうま」
「アリア、まずいのじゃ。エストの脳が溶けておる」
「……ご主人。いつものことだよ?」
「いつも以上じゃ。エストの口から『うまうま』なぞ、この16年間で一度たりとも聞いたことがないわい!」
まともな人族が居ないと聞いたウルティスは、脳内でこう変換されて理解した。
まともな人間が居ない、と。
命の恩人であるエストと、尊敬するシスティリア。知識の宝庫である魔女に、龍人族の戦闘メイドことアリア。そして、今日も庭で丸まって眠るヌーさんたち。
誰ひとりとして、まともではなかった。
そんな輪の中に居るウルティス自身もまともではないと、まだ8歳の彼女には、理解出来るはずもなかった。
「今夜はシスティを頂こうかな」
「え〜? ……いい……わよ?」
「……っ! そ、そういう意味じゃなくて!」
「もうっ、エストったらぁ。欲求不満なのよね?」
「否定はしないけど……しないけど! 僕はシスティの体調優先だから!」
「仕方ないわねっ。今夜は寝かさないわよ?」
「つ、疲れてるのでまた明日……」
「嘘おっしゃい。本当に疲れてる時は口数が減るわ。それに汗の味が変わるもの。まだまだ元気なのは分かってるのよ!」
「……うぅ、水やりには起きたいよぉ」
「言ったじゃない。寝かせないって」
「お主らのぅ? そういう話は寝室でしてくれぬか? ウルティスの教育に悪いとは思わぬのか?」
頑張ってウルティスの耳を塞ぐ魔女だったが、2人の会話は全て聞こえていた。
しかし、まだ言葉の意味を理解していないウルティスは、こてんと首を傾げている。
そんな彼女に対し、2人は申し訳なさそうな顔で黙り込んだ。
「まったく……我が子の情事を聞くなど、死ぬほど気まずいわい」
「……どういうこと?」
「ウルティスは知らなくていいのじゃ。もう少し大きくなれば、しっかりと教えてやるからのぅ?」
「うん!」
そうして、少しだけ気まずい空気で夕食を食べる一家であった。
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