第340話 狼は懐かない?
「ア、アンタ……賢者エスト……なのか?」
「そんなことよりこの子だ。3層目はどんな環境なの? 落ち着けないならギルドに戻りたい」
赤髪の狼少女をお姫様抱っこしているエストは、流れるようにアイスワイバーンの魔石を亜空間へ落とすと、小さなアリア人形に宝箱を開けさせた。
中に入っていた黄金のブレスレットも亜空間に入れれば、ファイスたちと共に第3層へ降りて行く。
「3層目は森だ……です」
「敬語は要らない。僕が使わないから、君たちも使う必要はない。対応は変えないでくれると嬉しい」
「……あ、ああ。分かったよ」
「……本当に賢者だったのか」
「先生、杖をお持ちしますね」
「助かるよルミス。それじゃあ行こう」
エストの正体に驚くのも程々に、第3層へと足を踏み入れた4人。少女は泣き疲れて眠ってしまい、穏やかな寝息を立てている。
階段を降りた先は文字通り緑の海が広がっており、誰かが立てた看板に『火気厳禁、ボタニグラ生息』と刻まれていた。
階段を見失わない距離で木々を拓いたエストは、少女に掛けていた毛皮を外すと、ローブだけの状態で
少々蒸し暑い森の中、人数分の氷の椅子を創り出したエストを見て、2人は目の前の賢者が本物だと理解する。
「あの子について、なにか知らない?」
「……知らねぇ。そもそも神国に獣人が居ねぇからな」
「俺も情報は持っていない」
「あの人たち……女の子を囮にして逃げました」
「ありがとう。まぁ、生き残るために切り捨てたというなら理解できる。上に戻るまで、僕が面倒を見よう」
少女のそばに移動したエストは、顔にかかった前髪を優しく撫でて払ってあげると、彼女を棄てた男たちに怒りが湧く。
口では理解出来ると言ったものの、重度の凍傷のまま連れて歩いた行為は明確に悪意があり、元より死んでもいい……あるいは殺すつもりでダンジョンに居たことが分かる。
ふつふつと上がる体温を氷龍の魔力で下げ、椅子に座り直してファイスに向かう。
「……どうしてオレたちと組んだんだ?」
「面白そうだから。あと、ルミスが居た」
「彼女と貴方はどんな関係なのだ?」
「講師と生徒。元だけどね。僕が王立魔術学園で講師をしていた時、ルミスのクラスを指導していたんだ」
「わたしはクラスで唯一、光の適性があったので、色んな使い方を教わっていたんです。スノウウルフの時も、余裕を持って逃げられたのは先生の教えがあったからですよ?」
「まぁ、ルミスは5本の指に入る生徒だった。2人は安心して命を預けていいし、命を懸けて守らないとダメだよ」
そんなアドバイスを贈りながら、昔のことを思い出すエスト。考えてみればそれほど前の話でもないなと思い、顔を上げれば、2人は感動した様子でルミスを見つめていた。
どうやら賢者に褒められた生徒ということで、更なる力を秘めているのではと、憧れを抱いたらしい。
「ルミス、すげぇ奴だったんだな!」
「これからもよろしく頼む」
「あはは……ええ、よろしくお願いします」
絶妙に気まずい空気が流れ、エストは手のひらシスティリアを創ることで気を紛らわせた。
実力以上の能力を求めるほどファイスたちも愚かではない。きっと3人なら喧嘩することも少ないだろうと思っていると、赤髪の少女が目を覚ます。
少しずつ
「大丈夫だよ。この人たちは優しいから」
『……ほんと?』
小さく、細く折れてしまいそうな声で発せられたのは、人族語ではない言葉だった。
『おにいちゃん……たすけてくれた』
「人族語は聞き取れる感じかな?」
『……うん。はなせない。ごめんなさい』
『いいよ。僕が同じ言葉を使えるから』
『えっ……! どう……して?』
『勉強したから。ねぇ、君はどこから来たの? 名前は言える?』
『……わかんない。名前は……ウルティス』
『僕はエスト。君の家族や仲間は居る?』
『……お父さんもお母さんも、しんじゃった』
『そっか。お腹、空いてるでしょ。何か食べよう。お肉は好き?』
『……すき』
『ちょっと待ってて。すぐに作るから』
エストは自分が座っていた椅子に高級クッションを置くと、その上にウルティスを座らせた。
ふかふかの感触に目を輝かせ、渡されたコップ1杯の水を飲み干すと、
2人しか通じない会話に唖然としたファイスたちは、ハッとして目を覚ます。
「な、何を喋ってたんだ!? つーか何語だ!?」
「獣人語だよ。この子の名前はウルティス。家族が居ないらしい。出身はドゥレディアだと思うけど、本人は覚えていないんだって」
「……先生、完全にその子の心を開かせましたね」
「そう? とりあえずご飯をあげてみるよ。システィのレシピがあれば、僕でも美味しく作れるからね」
そう言ってシスティリアが書いたレシピを見ながら、保存食用に残しておいたワイバーンの肉を取り出せば、鼻の効くウルティスは口をぽかんと開けて見つめ始めた。
口の端から涎が垂れると、慌てて手の甲で拭い、じっと料理の完成を待っている。
「ほう? 大人しいな。ファイスとは違う」
「ンだとぉ!? オレは生肉には興奮しねーから!」
ファイスが大きな声でウィルに反論すると、驚いたウルティスが跳ね上がり、急いでエストの方へと走って隠れた。
エストの腰に抱きつき、恐怖のあまりローブの中に顔を突っ込んだウルティスは、ぶるぶると体を震わせている。
「……ファイスさん?」
「ち、違っ、そんな……悪かったよ」
「神国は獣人が少ないとはいえ、あんな扱いを受けていた子どもだぞ。気にかけてやれ」
「お前のせいだろうが……っ!」
「俺も悪いと思っている。後で謝るぞ」
「……おう」
そんなやり取りの裏では、テキパキと調理を進めるエストがワイバーンの肉を炒めると、腹の虫が唸る良い香りを放ち始めた。
ローブから体を抜いたウルティスは、エストのお腹の辺りで耳を動かし、顔を上げる。
エストが優しく『跳ねると熱いから、少し離れてて』と言えば、彼女は再びローブの中に頭を突っ込み、ひんやりと冷たい体に抱きついた。
「先生……その子、どうなさるんですか?」
「どうしようか」
「……何も考えていなかったんですね」
「あの状況で何かを考えられるのは悪人の素質があると思う。とりあえずウルティスは、お姉ちゃんとシスティに相談してみるかな」
「お姉さんと言いますと……まさか、二ツ星のアリアさんですか!?」
「うん。独り立ちできる程度には、鍛えてあげた方がいいよね」
「……あぁ、あのおぞましい訓練をさせるのですね…………」
「授業じゃない分、厳しくするよ。火の適性もあるし、冒険者として生きるには充分な力がある」
また新たな生徒が誕生することに胸を踊らせ、完成したワイバーンの蜂蜜焼きを皿に盛ったエスト。
ウルティスを椅子に座らせると、ちょうどいい高さの氷のテーブルを創った。
「相変わらず美しい魔術ですね、先生」
「でしょ? 僕の自慢の魔術だよ」
あまりに滑らかに魔術を使うものだから、ファイスたちはそれが魔術で出来た物だと気付かず、突然物を出す手品か何かだと思ったのだ。
静かに消えた台所と、目の前の甘い香りを放つステーキに目を輝かせるウルティスを見て、ここがダンジョンの中であることを忘れてしまう。
『……たべていい?』
『いいよ。ゆっくり食べてね』
『うん!』
ボサボサの尻尾を激しく振りながらナイフとフォークを手に取ると、扱いに慣れていないのか、柔らかい肉でさえ切るのに苦戦してしまうウルティス。
すると、エストが面白いものを見せてあげようと指を鳴らせば、ステーキが一口サイズに切り分けられた。
『すごい……!』
「……失礼だが、気持ち悪い腕前だな」
「本当に失礼だね。ファイスみたいだ」
「オレを失礼な人間みたいに言うなよ!?」
『ひうっ!』
「……ファイスさん、学んでください」
「……すみませんでした」
縮こまるウルティスの頭を撫でてあげ、安心したところでワイバーン肉を口に入れたウルティスは、ピタリと尻尾の動きを止めた。
耳をピンと立て、全く動かない様子に目の前で手を振ったエストは、3人に向かって言う。
「あははっ! 面白いね。気絶してる」
「……この人の笑いツボ、怖ぇよ」
「これが賢者の裏の顔か」
「先生はこういう方ですよ」
「辛辣だね。ちなみにだけど、僕が火を使ったせいでボタニグラが集まってきてるよ。ファイス、ひとりで倒せるんだっけ? 頑張れ」
「おいおい……おいおいおいおい!! それはないだろ!?」
気付けばエストたちはボタニグラに囲まれており、大きな口の付いた花が一斉に敵意を剥き出しにする。
そこで意識を取り戻したウルティスは、口の中にある肉の旨みに頬を緩ませ、ボタニグラなど知ったことかと言わんばかりにエストの方を向き、純真な笑顔を見せた。
彼女からすれば大きな手が頭の上に乗せられると、耳を触らないようにしながら撫でられた。
「た、助けてくれよ! 賢者なんだろ!?」
「自分で蒔いた種は自分で収穫してくれ」
「耳が痛い話だね。……あ、
そんなことを呟きながら杖先を地面に刺したエストは、
ファイスたちにボタニグラの蔦が伸びた瞬間、一陣の風が吹き、次の瞬間には十数体のボタニグラが茶色の魔石と化した。
まさか地面の中を風の刃が踊り狂い、ボタニグラの根を引き裂いたとは誰も考えつかない。
本来なら根を掘り出して戦うため、余計に地中に埋まった弱点を傷つけるという発想が珍しかった。
「……すっげぇ」
「……恐ろしいな。これが……賢者の魔術」
畏怖と戦慄が走る中、エストの視線はウルティスから動くことなく、どうやってアリアたちに報告したものか、無表情の裏で思案するのだった。
結局、それからもボタニグラを20体ほど倒したエストは、迷惑料としてスノウウルフの魔石以外を3人に譲渡することにした。
夕陽が照らすギルドに帰ってきた5人は、ひとまずアイスワイバーンの魔石を換金に出すと、それはもう大きな騒ぎを生み出した。
周囲の驚く声にウルティスがエストに抱きつくが、今のエストは仮面の魔術師である。
幼い少女に抱きつかれる変な魔術師と、数年に一度しか現れないアイスワイバーンの討伐という、悲報と吉報がギルドを渦巻いた。
「す、すげぇ大金だ……本当に貰っていいのか?」
「いいよ。君たちには迷惑をかけたから」
「迷惑と思ったことは一瞬足りとも無い」
「そうですよ。少しぐらい受け取っても──」
ルミスがそう言った瞬間、2階の酒場から澄んだ声が響き渡る。
「貰っておきなよ〜、金髪ちゃん。その子が強いの、分かってるんでしょ〜? 君が貰わないなら〜、お姉さんが貰ってあげようか〜?」
そう言って2階から飛び降りてきたのは、冒険者なら知らない者は居ない、伝説の冒険者がひとり。
二ツ星のアリアが、べろんべろんに酔っ払った状態で、エストたちの前に現れたのだ。
「うひひ〜、150万リカぁ? ワイバーンって高いんだねぇ〜? でもぉ、ワイバーンはお金にするよりぃ、お肉にした方がぁ、最っ高なんだよぉ〜?」
「……
エストも初めて見る泥酔状態のアリアに、思わず闇魔術で眠らせてしまうと、流れるようにお姫様抱っこで持ち上げた。
「身内が失礼したね。それじゃあファイス、ウィル、ルミス。僕はこれで。臨時パーティが組めて楽しかったよ」
ウルティスを連れ、アリアと共にギルドを出ようとするエストを大きな声で見送る。
「……貴重な経験になった! ありがとな!」
「貴方に教わったこと、忘れない」
「先生、お元気で!」
その背中が見えなくなると、ギルドもようやく落ち着きを取り戻す。
そして3人は、エストが抜けた穴を見て思う。
「……また、魔術師探しが始まったな」
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