第341話 信頼の匂い
「うぅ……痛たぁ。飲みすぎたぁ……」
「朝から晩まで飲むからだよ」
「だってぇ、エストが居なくなってぇ……お姉ちゃん寂しかったんだもんっ」
「……よく僕を臨時パーティに差し出したね」
ダンジョン都市メイワールに来て2日目の朝。
二日酔いの頭痛を治す魔術は無いと言われ、エストに泣きつくアリアはベッドの上を見て混乱する。
「え、嘘……子ども? お姉ちゃんとの子ども? でも狼の耳と尻尾……システィちゃん、もう出産したの? にしては大きくない? どうして赤髪なの? まさか……浮気!?」
普段の口調からは想像もつかない早さで出てきた言葉たちは、その尽くが空を切る。
「すごいね。全部違うよ」
「じゃあ誰!?」
「ダンジョンで拾った子。死にかけてたから保護したんだ」
ことの経緯を説明すると、痛みに苦しむ頭を抱えながら、アリアはウルティスを棄てた冒険者たちに怒りを見せた。
しかし、今は彼女の保護が優先という思考はエストと同じで、ある程度冒険者として育成してから独立させるべきだと、完全に意見が一致した。
『……おにい、ちゃん』
「はいはい。ここに居るよ」
夢にうなされるウルティス。そんな彼女の小さな手を、優しく覆うように握ってあげるエスト。
瞬く間に落ち着きを取り戻した様子から、この少女がどれだけエストに信頼を置いているのか見えてしまう。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、朧気な視界にエストが映った。
体を起こしたウルティスが見たのは、ベッドに腰をかけたエストの横に居た、真っ赤な髪のお姉さんだった。
また驚いて抱きつくだろうと思っていたエストだったが、ウルティスは驚いた様子を見せず、エストの背中に抱きついた。
『……いいにおい、する』
「んふふ〜、お姉ちゃんの悪口言ってない?」
「言ってないよ。僕からいい匂いがするらしい」
「あは〜、そういうことか〜」
「どういうことだ〜?」
背中に顔をぐりぐりと押し付けられるエストは、懐かしさを覚えてしまう。
肩甲骨の辺りでクニっとした耳の感覚がシスティリアにそっくりで、帰ったら同じことをしてもらおうと決めたのだ。
そんなエストに、アリアは通説とされる獣人の感覚について説明してあげた。
「ほら〜、獣人族って『信頼の匂い』が分かるって言うじゃ〜ん? 獣人から信頼されている人間にだけある匂いって言うか〜。エストにはシスティちゃんの匂いがべったりこびり付いてるから〜、その子に無条件で信頼されてるんだと思う〜」
「言い方が気になるけど……まぁそうだね」
「お姉ちゃんも〜、ちょっぴりシスティちゃんの匂いが付いてるはずだがら〜、あんまり拒絶されないんじゃないかな〜?」
「……なるほど? とりあえず僕らは、信頼とまでは言わず、信用はされてると」
「いぇすいぇ〜す。それではお姉ちゃん、必殺技を使いま〜す」
エストの膝の上にちょこんと座ったウルティスは、彼に付いたシスティリアの匂いに重ねるように頭をぐりぐりと押し付けた。
「ウルティスちゃん!」
『……ふぇ?』
「お姉ちゃんたちと〜……ご飯、食べよっか」
『うんっ!』
笑顔で頷くウルティスに微笑み、どうだと言わんばかりに腕を組んだアリア。
「それが必殺技?」
「そうですとも〜。ご飯をくれる『優しい人』って〜、認識させたいんだよ〜」
「う〜ん……『ご飯をくれる人』になって、優しいと思うかどうか。ウルティス次第だ」
『……ぜんぶわかるよ?』
発音がまだ出来ないだけで人族語を理解しているウルティスは、エストにぎゅっと掴まりながら申し訳なさそうに言った。
「そうだよね。耳は良いんだった」
「もしかして〜、お姉ちゃんの作戦、筒抜けだった〜?」
エストが頷けば、アリアは頭を抱えた。
優しいお姉ちゃん大作戦がものの数秒で打ち砕かれ、打算的な人間だと知らしめる形で幕を閉じてしまったのだ。
アリアは謝りながら撫でようと、頭に手を伸ばすが──
『いやっ! おにいちゃんがいい!』
「うはっ……これが、拒絶……?」
嫌がられた上に頭頂部をエストの胸にうずめられてしまい、好感度が地の底にまで落ちたアリア。
天井を仰いでからベッドに倒れ込むと、誰かの腹が鳴る。
「あ、僕だ。朝ご飯食べに行こう」
『うんっ!』
「……お姉ちゃんに、払わせてください」
そうして、アリアが着替えるために部屋へ戻った。
替えの服が無いウルティスに、エストが
……が。ウルティスに着せる前に、エストは職人の目つきで彼女を見る。
『ウルティス、尻尾の手入れをしてもいい?』
『しっぽ? うん、いいよ?』
『ありがとう。失礼するね』
エストがベッドの上で正座をすると、膝の上にうつ伏せで腰を置いたウルティスは、全幅の信頼を寄せており、力を抜いた。
緊張が抜けて重力に従った尻尾が、冷たいエストの手で触れられる。
毛並みが荒れた深紅の尻尾は、システィリアの柔らかみのある尻尾と違い、芯があるストレートな毛に覆われている。
右手に持った荒い歯の櫛でゴミを取り除くと、ウルティス専用の櫛を作るべく、全神経を注いだ
「ブラシだと抜けちゃいそうだな……ふむ」
『あたしのしっぽ……きれいにしてくれてる』
それから数分。
櫛の調整回数が120を超えた辺りでちょうどいい櫛が完成した。
ボサボサだった尻尾は見る影もなく。
ボタニグラオイルで手入れをされた毛は、澄み切ったルビーのような艶を放ちながら下へ伸び、クセの無いストレートな毛は幼い顔立ちに見合わぬ、色気にも似た大人の美しさを振り撒いた。
立ち上がったウルティスがくるっと一回転すると、柔らかくうねる尻尾が紅く輝く。
『すごい……きれい』
『でしょ? 僕はお嫁さんの耳と尻尾を6年も手入れしてるからね。腕に自信があるんだ』
『ろくねん』
『ウルティスは幾つなの?』
『8歳だよ?』
『……どうやってダンジョンに入ったの?』
『わかんない。ぬのでね、ぐるぐるまきにされてね、どうくつにいたから』
『……誘拐か。目的が分からないな』
8歳ではギルドカードを作ることが出来ない。
ただの荷物として、歩いは物資に紛れさせる形で中央ダンジョンに連れて来られたのだろうが、何のためにウルティスを誘拐したのか。
エストが考え込んでいると、ノックをしたアリアが部屋に入ってきた。
「わぁ〜! ウルティスちゃんが綺麗になってる!」
『おにいちゃんがね、あたしのしっぽ、きれいにしてくれたの!』
「おほほほ〜! お姉ちゃんみたいに綺麗になったよって〜? 口が上手いね〜」
「……僕に綺麗にしてもらったってさ」
「……ッスよねぇ〜」
せっかく綺麗になったウルティスだが、そんな尻尾を隠すようにローブに身を包むと、フードもしっかり被るようにエストが指示を出す。
言われた通りに耳を倒してフードで隠せば、シルエットだけでは獣人と分からなくなった。
ギルドの2階酒場に来た3人は、各々が好きな料理を頼み、テーブルが食べ物で埋め尽くされた。
ウルティスはエストと同じ物を同じ量で頼んだが、流石は獣人といったところか。幼いながらにも、モリモリと食べては口元を汚す。
エストがそっとハンカチで拭ってあげると、アリアの方を向いて言う。
「システィの所に連れて行くよ」
「報告〜?」
「うん。誘拐されてダンジョンに居たみたいだから、あの男たちを捜したい」
「うへぇ……目撃者は〜?」
「ファイスたちだね。昨日の3人組」
「じゃあ次は〜、お姉ちゃんが臨時パーティメンバーになろ〜っと」
「そればっかりはルミスも腰を抜かすよ。まぁ、やるなら指導してあげて。Bランクの実力はあるから、鍛え甲斐があると思う」
「おっ、いいね〜。燃えるね〜」
夜にこの2回酒場で落ち合うことを約束すると、3人の朝食が終了した。朝から凄まじい量を平らげた2人分の料金は、アリアも口を開ける金額を叩き出す。
これには単純にお金稼ぎをしないとと思ったアリアは、ちょうどギルドにメンバー募集でやって来たファイスたちを見て、ニヤリと笑う。
「んじゃあ、またね〜。行ってきま〜す」
「行ってらっしゃい」
『いってらっしゃい?』
親指をグッと立てたアリアが2階から飛び降りれば、昨日の謝罪をしつつ3人に絡み、顎が外れんばかりに口を開けた3人の視線が2階を向いた。
外していた仮面をつけ直したエストが軽く手を振ると、次の瞬間には消えていた。
レッカ帝国はレガンディ伯爵領に転移すると、一瞬で変わった景色に目をぱちぱちさせるウルティス。
目の前に広がる花畑の道と、遠くに見える綺麗な家。
庭に謎の虹色の結晶があると思えば、反対側には蕾をつけたボタニグラが日光を浴びている。
夢の世界にでも来たかのような美しさに立ち竦んでいると、仮面を外し、彼女のフードを持ち上げたエストが手を引いた。
『驚かせちゃったね。あれが僕の家なんだ』
『……きれい』
『新築だからね』
と、花に向かって言ったウルティスに自信満々で言い切ったエスト。
普段見ることのない色とりどりの花にしゃがみこむウルティスだが、絶対にエストから手を離さなかった。
エストも一緒になって花を見ていると、ガチャリと音が聞こえた。
お腹を大きくしたシスティリアと、帽子を被っていないエルミリアが出てくれば、道の先に居るエストを見つめた。
『っ……!』
「おっとと。お〜い、システィ〜」
慌ててエストの影に隠れたウルティス。
風が吹き、花の香りと共にシスティリアの匂いが鼻を抜けた彼女は、エストと同じ信頼の匂いだけでなく、狼として格の違う、本能が震え上がる匂いに怯えてしまった。
尻尾を左右に振りながらシスティリアが歩いて来ると、エストを思いきり抱き締め、首筋の匂いを嗅ぐ。
首から顎、頬、それから吸い寄せられるように唇を奪うと、1日会って居なかっただけというのに、執拗にエストを求めた。
それから数分、外であることも忘れてエストの唇を奪い続けたシスティリアは、ようやく満足したのか顔を離した。
ひょこっとウルティスが顔を出すが、黄金の瞳に睨まれて引っ込んだ。
「……おはよう、システィ。ただいま」
「おはようエスト。それとおかえり。で? そっちの得体の知れないケダモノは?」
「言い方が酷いよ。誘拐されて、ダンジョンで囮に使われた所を保護したんだ。お姉ちゃんに誘拐犯を追ってもらってる」
「なるほどね。エストを奪おうとした泥棒猫じゃないのね。でも……
エストからウルティスを引っペがし、細い両手首を片手で掴むと、耳の上まで持ち上げた。
怯えて下を見る顔を上げさせると、絶対的な格の差を教えるように両の瞳で睨みつけたシスティリア。
止めようとしたエストをエルミリアが止め、こればっかりは彼女の裁量に任せるべきと目で訴えられた。
じっと見守っていると、システィリアと視線を交わしたウルティス。その目には、彼女の下につくような、服従の意思が宿る。
すると手を離され、ぺたりと座り込んだ。
「エストは分かっておるな?」
「うん。白狼族は狼獣人の頂点に立つ。全獣人族の中でも最強。龍人族と同等の力と、群れる賢さがあったと」
「あれは獣人の本能じゃ。群れを作る時、必然的にリーダーが求められる。そこでああして、精神の強さで
システィリアから差し伸べられた手を取ったウルティスは、目尻に涙を浮かべながらエストに抱きついた。
両手を上げて無抵抗を示したエストだが、
足音が近付いて来ると背中側に移動し、次はシスティリアがエストを抱き締めた。
「もうっ、勝手に連れて来ちゃって…………次は一週間、ベッドの上で眠らせないわよ」
「わかってるよ、お姫様。いや、女王様?」
「ふふんっ! でもちょっと気に食わないわ。アタシが女王ならエストは王。対等か、アタシの方がちょっと下がいいわ」
そう言ってエストの首筋の匂いを嗅ぐと、ぺろりと舌を這わせた。
舌の腹から先に感じる肌の匂いや、塩味、皺の感触を確かめてから口内に戻し、妖艶に濡れた瞳でエストを見つめる。
そんなシスティリアの瞳も愛おしいエストは、気付けば背中を撫でながら唇を重ねていた。
「……大好きだよ、システィ」
「知ってる。アタシもアンタのことが大好き」
愛を囁き合う2人を見て、身の振り方を教えられたウルティス。しかし、そこにあるのは恐怖や絶望の類いではない。
この2人だからこそ、自分は命を助けてもらったのだという安心があった。
「運の良い狼も居たものじゃな……白狼族の縄張りに侵入を許されるなぞ、家族に等しい者しかおらぬぞ」
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