第339話 孤独の狼
「2層目は……雪原か。かなり吹雪いてるね」
「そのローブ1枚で平気なのか? こっちは何枚着ても震えてるってのによぉ!」
「平気。僕はもっと寒い場所で鍛えてたから」
中央ダンジョン第2層へ降りてきた一行。
見渡す限りの銀世界……否、灰世界に足を踏み入れると、猛吹雪の中で第3層へ続く階段を探す、地獄の探索が始まった。
ファイスたちは背嚢に仕舞っていた毛皮を2枚重ねて着ているが、その寒さに震えてしまい、剣に手が伸びていない。
こんな状態で大丈夫か? と思うエストの前に、雪に擬態するように白い毛を生やした、鋭い牙の狼が襲いかかってきた。
「スノウウルフか……
寒さを感じていないのか、スノウウルフの魔石に目を輝かせたエストが周囲へ魔力を放てば、吹雪の中から十数体のスノウウルフが群れを生して牙を剥く。
しかし、尽くをエストの魔術で薙ぎ払われた狼たちは、無惨にも冷蔵保存庫の動力源へと姿を変えた。
「……アイツひとりで行けるんじゃね?」
「……余裕だろうな」
「だから仰っていたじゃないですか。『合わせるよ』と」
「……ここまで強い人だとは思わなかったぜ」
両手いっぱいの水色の魔石に頬擦りする仮面の魔術師に、ファイスたちは期待にも似た慢心を抱いてしまい、背後から襲い来るスノウウルフに体当たりされて吹き飛んだ。
意外にも浅い雪を抉り、立ち上がったファイスに容赦なく牙が襲いかかる。
すかさずウィルが盾を構えて間に入ると、ルミスの方をちらりと見た。
すると、彼女は3体のスノウウルフに囲まれ、今にもその命を散らさんとしていた。
「ルミスっ! あぁっ、立て、ファイス!」
「おおおおっ!! 間に合ええぇぇぇ!!!」
眼前のスノウウルフを盾で弾き飛ばし、2人はルミスの元へ走り出す。しかし、それを許す魔物ではない。
3体の狼はルミスへ飛びかかり、彼女の肉を喰らう……ことはなかった。
なぜなら、ルミスは極めて冷静に状況を把握しており、狼が動き出すタイミングに合わせて、
3体が怯んでいるうちに、目を離さないよう後ろ歩きでエストの隣に来た。
「良い判断だ。授業で教えた光魔術の使い方、ちゃんとできてる。やっぱり君は優秀な生徒だよ」
「えへへ……ありがとうございます」
「強いて言うなら、僕じゃなくてウィルの後ろに行くことだね」
「でも先生は戦士よりお強いですよ?」
「僕以外の魔術師だと死ぬよってこと」
「むぅ……分かりました」
目が眩んでいた狼たちが視界を取り戻すと、最も近くに居たウィルたちへ標的を移し、即座に後ろ足で雪を蹴る。
これにはマズイと感じたウィルだったが、飛びかかってくるスノウウルフのうち、2体が土の槍に貫かれて死んだ。
「あと2体、工夫して戦って。ダンジョン産とはいえ狼は賢い。常に一手先を読まれてると思って立ち回ること」
「おうっ! ウィル、やれるか?」
「ああ。背中は任せた」
2人は組んでいる歴が長いのか、しっかりとウィルの方に注意を集めてからファイスが攻撃し、即座に退くことで窮地に陥らないように戦った。
戦闘における、利を得る立ち回りと損を減らす立ち回りは似て非なるもので、ファイスたちは確実に生存確率が上がる、損を減らす動きでスノウウルフたちを倒しきった。
この魔物の適性ランクはB。2人からすれば、格上を相手に戦術を立てて戦えた経験が、大きく成長の一歩を踏み出すことになる。
「良い戦い方だった。Cランクとは思えない」
「……あ〜、おう!」
「なるほど。君たち失効したのか」
「……なんで分かるんだよ」
ファイスの返答の間から、2人が失効経験者だと見抜いたエストは片手で仮面を覆ってしまった。
そもそもの知識量や経験が優れていることは分かっていたが、まさか一度死亡判定を受けた間抜けだとは思わなかったのだ。
その経験は非常に苦いと感じているのか、ウィルが苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らした。
「どこまで行ったの?」
「……Bランク」
「上等だね。ゴブリンに手こずったのは?」
「ありゃ経験不足だ。オレたちゃ魔物を狩りに来てんだぜ? 誰が人間サマの武器を持った魔物と戦うんだよ」
「……昔からファイスは対人戦が苦手だ」
「そう。変な剣士」
「はぁっ!? 変な魔術師のアンタには言われたくねぇなァッ!?」
そうだそうだとウィルも小さく拳を掲げて応援するも、“変”の中でも強さが格段に違うという理由で、ルミスが変な魔術師の方に付いてしまった。
その後は笑いながら対人戦が下手すぎてゴブリンを取り逃した話や、ボタニグラを単独撃破した話。
ウィルにすら盾で押し負け、未だに一度も勝てたことがない話を聞いていると、第3層へ続く階段を守る主魔物が居るという、樹氷の森を発見した。
「あの奥に居る主魔物はコロコロ変わるぜ」
「スノウグリズリー、アイスゴーレム、オーガのうちどれかと言われるが、こんな噂がある」
ウィルの話に耳を傾けていたエストは、その先の情報に目を見開く。
「数年に一度、アイスワイバーンという、Aランクの魔物が出るとか」
「……ワイバーン」
「はっはっは! 流石のアンタでもワイバーンは厳しいだろ?」
「どうしてそう思う?」
「そりゃ単独で倒せたらそれなりの名声が手に入るからな。冒険者で、知らない奴の方が少ないくらいに」
「たかがワイバーンで?」
「たかが? ……まさかアンタ」
エストの口ぶりに、壊れた人形の如くぎこちない動きでその顔を見れば、目の位置に空いた穴から覗く蒼き輝きは、氷河に流れる氷のように澄んでいた。
ルミスの方を見れば、苦笑いを浮かべながら頬を掻き、小さく頷いている。
「魔術師でワイバーンの単独討伐……やっぱりアンタ、どこかの宮廷魔術師か?」
「どうだろうね」
「お? アタリか!?」
「どうだろうね」
「おいウィル! この人の正体分かったぞ!」
嬉しそうに報告するファイスに対し、ウィルは顎に手を当てて考え始めると、ハッと思い出したように顔を上げた。
「……聞いたことがある。帝国宮廷魔術師団に、俺たちと同じ歳で入団した、天才土魔術師が居ると。確か名前は──」
「メル。僕の友達だよ」
「は?」
「とも……だち?」
「うん。魔術学園で知り合った。まぁ、3ヶ月で…………やっぱこの話ナシ。忘れて」
「忘れられねぇよ!? 3ヶ月でなんだよ!」
「……3ヶ月で宮廷魔術師団にスカウト?」
「どうだろうね。ほら、もうすぐ着くよ」
戦闘前にモヤモヤを作ったエストを睨みながら2人は前を歩き、樹氷の隙間を進んで行く。
すると、今も主魔物と戦っている冒険者が居るのか、魔物の大きな咆哮が聞こえてきた。
その鳴き声にどこか聞き覚えのあったエストが背伸びをして前方を確認すれば、そこには3人の男が、ローブ姿の少女を囮にして、その場から逃げ出す瞬間を目撃した。
「ああクソっ! ワイバーンが出るなんて聞いてねぇ! お前、せいぜい時間を稼ぎやがれ!」
そう吐き捨てて、男たちは樹氷に姿を消す。
少女の方はと言えば、防寒具も無しに第2層を探索させられたのか、両手の指が酷い凍傷に陥り、指先が真っ黒に壊死している。
瞳も虚ろで、命果てるまであと数分も無いというのに、眼前のアイスワイバーンは少女に向けて口を開く。
「……ウィル」
「……無理だ。俺たちにあの子は助けられない」
ワイバーンの吐いた冷気で少女のフードが持ち上がると、長く伸びた真紅の髪が露出し、生え際には立派な狼の耳が生えていた。
ワインレッドの
奥歯が砕けそうなほど歯を食いしばったファイスは、ふと仲間の気配が消えていることに気が付いた。
振り返れば、仮面の魔術師の姿が無い。
後ろに居たルミスも口に手を当て、目の前で散る命を前に、覚悟を決めている様子だ。
「そんな……あの人なら……──!」
腹の奥から出た声に、ウィルが肩を叩く。
反応したファイスが振り向いた先には、アイスワイバーンを前にトレントの杖を向け、少女を庇うように立つ、エストの姿があった。
「君、大丈夫?」
エストの声に、少女の反応は無い。
絶望に呑まれた意識の中、氷に覆われた温かい言葉を受け取れる余裕がなく、ただ呆然と立ち尽くしている。
「火の適性でも寒いでしょ」
杖を雪に突き刺し、着ていたローブを少女の肩に掛けたエストは、何もしてこないワイバーンをよそに、亜空間から取り出した白雪蚕のローブを着た。
そこでようやく目の前の状況に気付いた少女は、ルビーのように深い赤の瞳から、つーっと頬を濡らす。
強大な魔物に背を向け、自身を気にかけてくれる初めての存在に戸惑っている。
耳がピクリと動き、エストの背後を見つめるその目には、氷の塊を口の中で生成したワイバーンが、今にもこちらへ吐き出そうとしていたのだ。
……危ない。そんな声も出せずにいると、遂にワイバーンは氷塊を吐き出した。
「大丈夫。僕は守るために強くなったから」
凄まじい質量の氷がエストの後頭部に直撃する寸前、地面から伸びた氷の腕が氷塊を殴り砕き、衝撃で表層の雪が巻き上がる。
ホワイトアウトする視界が晴れた瞬間、エストはアイスワイバーンの方に左手を伸ばし、見ているだけで目が焼けそうな燃え滾る赤い単魔法陣を出現させた。
中心から伸びた槍先はどこまでも赤く。
周囲の雪を瞬時に溶かしていきながら、エストは標的を見ることもせず、少女の瞳を覗き込んでいる。
そして、何事もないかのように放たれた真紅の炎槍は、ワイバーンよりも遥かに格上である、炎龍の魔力を纏っていた。
少女が見たのは、その1本の槍でアイスワイバーンの頭が、胴体が、真っ二つに焼き貫かれる光景だった。
雪の上に大型の氷魔石が落ちると、隣に宝箱が現れる。
冒険者なら飛びつくはずの物に見向きもせず、エストは少女の前に跪き、両手をとった。
「痛い?」
「……(ふるふる)」
「触られてる感覚、ある?」
「……(ふるふる)」
「神経も死んでるか。大丈夫、目を閉じて」
少女は言われた通りにぎゅっと目を瞑ると、
そして次の瞬間。
両腕があった位置から『どさり』と音がすると、消えていたはずの手の感覚だけでなく、足先の間隔までもが治っていた。
目を開けると、凛とした表情の青年にお姫様抱っこでかかえられており、体は温かい毛皮で包まれていた。
何が起きたのか分からないが、とにかく助けてもらったのだと気付いた少女は、緊張がほどけたからか大泣きしながら服を濡らした。
「
そう言ったエストを見て、3人は……特にファイスとウィルは、顎が外れんばかりに口を開け、唖然としていた。
なぜならば、エストが着けていた狼の仮面が溶けて完全に無くなっており、ルミスが言っていた通りの、整った顔立ちが──それも、白い髪と青い瞳が見えていたからだ。
冒険者なら、誰もが知っている魔術師の顔。
大陸を救い、神国では神の使いや英雄として名を馳せた、3代目にして至高の魔術師がひとり。
氷の賢者こと、エストそのものであった。
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