第104話 吐露


「僕はね……システィを。ううん、システィリアっていうひとりの女の子を愛しているんだ。……と思う」



 いつもと変わらない声色で吐き出された音が、メルにとっては理解を拒む不協和音に聴こえた。


 耳を塞ぎ、しゃがみこみ、内に抱えるものを全てぶちまけたくなるような思いから、握った手のひらが赤くなる。



「君はよく、僕の隣に居てくれたよね。同じ机で授業を受けて、隣で魔道書について話したりさ。楽しかった」


「……うん」


「魔術を学ぶ時は後ろを歩いてくれた。歩き方を教えただけなのに、走り出したように成果を見せてくる姿は尊敬してる。僕は背中を押されることが少ないから、メルがかっこよく見えたんだ」



 無情にも、音の発端は最高品質の楽器だった。

 音だけで聴けば憂いも晴れる美しい音色なのに、曲を知っているから純粋に楽しめない。

 酔うほど好きな音が、今は吐き気を催す曲を奏でている。



「苦しいでしょ」


「……え?」


「僕の言葉が不愉快。そんな顔してる」



 透き通るような蒼い瞳が、心を透かしたように言い当ててくる。それが事実であるから、メルは顔を上げてしまう。



「僕は恋愛感情を知らない。人に対する好きの種類とか、小さい頃から人と関わらなかった僕にはわからないんだ」


「…………」


「だから、誰に対しても好きって言う。だって、嫌いとか普通って言われるより、好きって言われた方が嬉しいでしょ?」



 じゃあさっきの言葉はなんだったのか。

 愛していると言ったのは、どういう意図があるのか。



「システィは、初めは僕のことが嫌いだった」


「……え?」


「誰に対しても噛み付くような態度でさ。出会ってすぐに決闘して、僕が勝ったら泣かせちゃって、色々あって一緒にオークと戦ったんだ」


「い、今とは全然違う」


「うん。あの時のシスティは、ハッキリ言って弱すぎた。剣も魔術も中途半端、知識があるからギリギリ生きているけど、正直いつ死んでもおかしくなかったと思う」



 たった3年前のことなのに、遠い昔を思い出すようなエスト。その表情は優しく溶けており、それでいてどこか苦い経験のように歯を食いしばっている。



「エルダーオークに殴り飛ばされたシスティを見た時は、流石に焦ったなぁ。僕も僕で対応が遅れていたし、2人揃って死ぬとこだった」


「……それで?」


「なんとか倒して生き延びたよ。意識朦朧のシスティを抱えて街に帰っていたら、弱々しい手で撫でられた。小さくお礼を言って気絶したけど、最後まで僕の前に立とうとしたんだ」



 自分がエストを守らないといけない。

 そんな思いを感じたあの手は、今でも鮮明に記憶されている。

 精神的にボロボロだと言うのに、頬に添えられた手から伝わる思いは強く逞しく、立派な戦士の魂が感じられた。


 エストには無いその精神は、興味を持つのに充分な材料だった。



「それから旅が始まったんだけど、システィはいつも、僕の手を引いてくれた。なんてことない道も、迷子の時も。良さそうなお店や綺麗な武器屋に行く時も、手を引っ張ってくれた」



 その先の言葉は聞きたくない。

 きっと、メルが求めているものとは違うから。

 でも、どうしてか。

 聞かないとダメだと思うほどに、続きを聞けと内なるメルが叫んでいるのだ。


 エストは小さく鼻を鳴らし、全てを吐く。



「僕は、僕の前に立つ人が本当に好きなんだ。師匠やお姉ちゃん、先生だってそう。でも、その中でも。システィリアという子は、特別に好きなんだ。命をかけて守る。そう約束できるくらいには」



 騒がしい会話も、美味しい料理も、恥ずかしそうに一緒に寝ようと言ってくる姿も、全部が大切に思えたのだ。



「システィに守られたい……なんて思っちゃうのは、まだまだ僕が弱いからだね」



 まだまだ半人前だから。

 そう付け足すエストの表情は、氷のように冷たく己を律し、心に灯した火に絶えず薪を入れる鍛冶師のようだった。


 熱く、熱く。己という鉄を冷ましてはならないと言い聞かせ、寝ても醒めても燃やし続ける狂気の精神。


 そんな心を映したように凛とした表情が、メルはたまらなく好きだったのだ。



「ごめんね。僕はもう手を繋げない。背中を押すこともできないし、手を引くこともできない」



 その手は既に、引っ張られているから。

 振り向くこともしなければ、前を見て。時に横を見て、現状把握と向上に向けて歩き続けなければならない。



「メルは何か、言いたいことはあるかな」



 今ならどんな言葉も受け止めると、遠く離れた彼が言う。

 あんなに近くに居たのに。

 手を伸ばせば触れられそうで。

 でも、どうやっても届かなくて。

 必死に必死に手を伸ばして掴んだと思ったら、彼は手を引かれて前に進んでいく。


 そんなエストが、今だけは横に居る。



「……一目惚れだったの。初めて見たのは、入試の会場。みんなが緊張している中、ひとりで魔道書を読んでるからすごく目立ってた」



 まだ初級魔術も満足に使えない頃の話だ。

 その異常性に誰も近寄らず、歩いて行った貴族の子息も冷たくあしらわれていた。

 その上、魔術の最先端を往く学園長に魔術のダメ出しをしたと思ったら、誰も真似できないような高度な土像アルデアを披露した。


 メルの瞳には、そんなエストが輝いて見えたのだ。


 人々から注目を集め、名声に溺れずひたすら自己研鑽に時間を費やし、泉のように湧き出る知識は憧れだった。


 整った顔立ちは王族かと思うほど美しく、使う魔術の丁寧さはまるで芸術品。

 隣の席に座った時は、酷く緊張していた。

 2日目は名前も覚えておらず、大きなショックを受けたのだが、悔しさをバネに魔術を教わるにまで至った。



「ずっとずっと、大好きなの。もっと2人で居たい。一緒に魔道書を読んだり、お買い物をしたり、色んなことがしたかった」



 黙って聞くエストは、小さく頷いた。



「魔術対抗戦も、本気を出してぶつかった。でも、実力差は明白だったよね。私の魔術、全然効かなかったから」



 勝てないと悟った時点で、負けていた。

 あのシスティリアという冒険者ならば最後まで諦めなかったと思う。命が尽きる最後の最後まで、食らいつくことを諦めなかったと。


 攻撃を止めたことが、運命の分かれ道だった。



「……私は負けた。エスト君にも、システィリアさんにも。でもね……正直に言って、イヤ」


「嫌?」


「あの人が居る場所は、私が居たい場所だから。エスト君と一緒に旅をして、同じご飯を食べて、同じベッドで寝て……私の理想の全部だもん」



 沈みゆく陽が逆行することが無いように、今を覆すことはできない。

 傾き始めた太陽が、水面を眩しく照らす。

 溢れそうになる涙を瞼で押さえつけ、無理やり作った精一杯の笑顔で、エストに言う。




「だから……きっと幸せだと思う。エスト君も、幸せになってほしい。これだけ強い2人なら、誰にも負けないと思うから!」




 うん、と。そう言って歩いて行く後ろ姿は見れない。きっと今目を開けたら、涙がこぼれてしまうから。


 遠くなる足音が完全に聞こえなくなると、メルはしゃがみこんで瞼を上げた。



「うう、うああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」



 堰を切ったように想いが溢れ出す。

 初めての恋が、盛大に散ったのだ。

 その姿は美しくなくとも、立派に咲かそうと蕾をつけた事実は残る。咲けば美しかっただろうその花は、静かに枯れる時を待つのみ。


 苦しかった。視界に入れるだけでも胸が高鳴るのに、見つめ合い、言葉を交わし、手を繋いだ時のことは忘れられない。


 一緒に学んだ短い日々は黄金のように輝いて、小さな出来事は宝石のように散りばめられていた。

 それすらも今は、涙と声に替えられ吐き出している。


 痛く、苦しく、心地良い。


 そんな生活がもう二度と帰ってこないという事実が、胸を裂くように爪を立てた。




「……よく、頑張りましたわ」



 小道の影から、青い毛先がはみ出している。

 メルには聞こえない小さな声で呟くと、自身にも想いが伝わってきたように、壁に背を預けて俯く。


 3年間。いつか帰ってくると信じた相手が、理想の相手を見つけて現れた。一体どれほどの苦しみなのか、それは本人にしか分からない。


 甘い理想を持ったことが悪いのか。

 何度も何度も、釘を打ち付けるように自分の考えを否定する姿は、まさに傷心という言葉の通りだった。




「私だって……私だって好きなのにぃ!!」



 しばらくは彼女の隣に居てあげよう。

 彼女の親友として。


 そう胸に誓う、クーリアだった。

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