第42話 負けたくない
森から帰ってきてからというもの、エストの日常は大きく変化していた。
午前の授業中は初級魔術の効率化を求め、狂ったように紙を文字で埋めていく。四属性に限らず光、闇を含む魔術理論を元に紡がれる術式は、もはや一つの属性魔術とは言えなくなっていた。
メルが許可を取ってから目を通すが、十を超える多重魔法陣の構成要素、その全てを理解していることが前提の術式に、脳が理解を拒否した。
「これ……ホントに初級魔術?」
「うん。消費魔力を抑えて汎用性を高めたんだ。これは
「ごめん、よく分かんない」
「わかったら凄いよ」
現状、エストと魔女以外誰も知らない理論も組み込まれている。
それはガリオと出会ったゴーレム戦でも活躍した、圧縮魔法陣だ。
相互作用を使わずに初級魔術で高威力を出せる圧縮魔法陣は、複雑奇怪な多重魔法陣の知識が求められる。
それすらも中継役に使うとなれば、メルの手元にある紙は金銀財宝でさえ霞む知識の価値があった。
「ちなみに属性とかって……」
「……さぁ?」
「さぁって、分からないの?」
「うん。この魔法陣に適性は要らないから、全属性とも言えるし、無属性とも言える」
「そんな魔術があるんだ……」
「ね。僕もビックリ」
他人事のように話すエストに尊敬を通り越して呆れるメルだったが、実物の魔法陣を見て、奇跡的に元の魔法陣を当てた。
ベースは初級魔術の
ただ、原型はほとんど残っていない。
白く濁り、無数にある輪の回転速度は全て違う。
「エスト、授業中に魔術を使うな」
「あ、ごめんなさい」
「……おう。気を付けろよ」
エストが素直に謝ったことに面食らう筋肉担任。
こと魔術の学びを邪魔したとなれば、エストは誰よりも申し訳なく思うし、謝罪の言葉を口にする。
メルは小さく笑った後、ごめんねと謝った。
昼休みに入ると、二人は食堂に行く。
エストはいつもの山盛りランチを、メルは手作りの弁当を持参している。先にメルが席を確保すると、ふと懐中時計に描かれていた銀髪の少女を思い出した。
「『師匠』って言ってたっけ。どんな人なんだろ?」
そう呟くと、プレートを持ったエストが座った。
「僕のお母さんだよ。それに超凄い魔術師」
「へぇ〜……え? お母さん!? そ、そっか」
明らかに幼い容姿だったとメルは記憶している。
母親と呼ぶならアリアの方が正しいと思うが、エストが微笑みながら言うので飲み込んでしまった。
ボーッとしていると、エストが食べ始めてしまった。
「メルのお母さんはどんな人?」
「私? う〜んと、優しい人、かな」
「でも、自分に厳しい?」
「よく分かったね。そう、人に甘くて自分に厳しい。だからたまに倒れちゃうんだ。どうして分かったの?」
「メルがそうだから。あんまり寝てないでしょ? 顔色が悪い。魔道書を読む時は、ちゃんと寝た方がいい」
「あはは……はい、気を付けます」
メルの部屋に入った時、山積みになった魔道書達を覚えていた。
その中には、エストも借りたことがあった火属性の魔道書もあったのだ。
今のメルは、魔術の深さを全身に浴びている。きっと、楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。
知らなかった世界を、知っている世界に持ち込める。
適性という概念に縛られた思考を、一冊の魔道書が解いていく。その面白さが、魔術を学ぶ楽しさを誰よりも実感している。
睡眠時間を削って読んでしまうのは、仕方のないことだった。
「エスト君は魔術、好き?」
唐突にメルが聞く。
それにエストは即答した。
「ううん。好きじゃない」
「え?」
「大好きなんだ。知ろうとすればするほどわからなくなる。理論という言葉を使うのに、何よりも曖昧。なのに曖昧すぎてもダメ。明確にしてもダメ。頭と心のバランスをとる……それがどうしても楽しくて、辞められない」
魔術を語るエストは、どんな時でも笑顔だ。
失敗しても楽しくて、成功すれば嬉しくて。
考えてるだけで顔がニヤけるくらい好き。
ある種の中毒者と言えるだろう。
朝起きて魔術を使い、先人が記した魔道書を読む。
昼は魔術を慣らして新たな可能性を追求する。
夜は反省し、魔術への好奇心に胸をふくらます。
魔術師とは、得てして魔術に狂っている。
「私も……エスト君みたいに楽しめるかな」
狂気とも呼べる道に立ったメルは、迷っていた。
初めはエストに手を引かれて見た景色も、今では自分で見つけられる。ここから先は、貪欲に魔術を学ぶ覚悟が必要だ。
「さぁ? 僕はメルじゃないから、分からない。でも、楽しめた方が幸せだと思う。魔術以外にも楽しいことはあるだろうし、まずはやってみたらいいんだよ」
「い、いいの? もっとこう、グイグイ勧めてくると思ってた。魔術を極めろー! みたいに」
「まぁ……魔術って、危ないから」
ダンジョンで魔物を相手に魔術を使ってから、エストはそれが自分に向かった時のことを考えるようになった。
容易に命を奪える武器。それが魔術だと。
これは料理における包丁と同じく、正しい使い方をすれば問題ない。
そのために、魔女は徹底的な教育をしたのだ。
だが、世界中すべての魔術師がそうとは限らない。
人を殺す専門の魔術師が居るかもしれないし、それらを征伐する魔術師が居るかもしれない。
おいそれと魔術の道を歩ませるのは、エストの倫理観が許さなかった。
それが例え、魔術を学ぶ学園生であっても。
「突き放すように言うと、好きにすればいい。僕からすると、土の適性は仕事に困らない。現状のメルでも充分に稼げると思うし」
「……ちゃんと考えてみる」
「うん。メルは幸せになってほしい。どんな道を選んでも、僕は応援してるから。ゆっくり考えてみて」
「う〜ん……う〜ん、悲しいなぁ」
チラチラと窺うも、エストは気づかない。
露骨なアピールすら届かないとなると、メルは冒険者の言っていた“可能性”が脳裏に過ぎる。
首を振って食事を再開するが、やはり様々な気持ちがメルの胸で燻り、思考を鈍らせる。
「はぁ……女の子らしくないのかな」
そんな考えが口から零れると、横から否定された。
「メルは可愛いよ」
「ぅえっ?」
「たまに変な声出すけど」
「もうっ! それはエスト君が急に、か、可愛いとか言うから!」
「事実じゃん。あ、そろそろ食べ終わらないと間に合わないよ」
「もー!!!」
絶妙なバランスで心を揺さぶられ、メルの感情は大忙しだった。しかし、隣で懐中時計を眺める横顔を見ては許してしまう。
積み上げた知識と、魔術に対する自信。
取り憑かれたように、されど楽しそうに話す姿。
あの透き通った目で見つめられると、メルの鼓動が早くなる。
弁当を食べ終わると、メルは立ち上がって言う。
「魔術対抗戦、絶対、絶対絶対勝つから!」
否、負けたくない。
この人の隣に立つには、負けてはいけない。
せめて相打ち。最低でも引き分け判定を貰わないと、エストの隣には立てないから。
「僕も負けない。面白い魔術、見せてね」
「うん! それじゃあ、教室行こ?」
対抗戦ではライバルとして。
それ以外では……友達として。
少し悔しい気持ちを我慢しながら、メルは燃えていた。あのエストにひと泡吹かせてやりたい。
想いを込めた、最高の魔術をぶつけたい、と。
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